3人が本棚に入れています
本棚に追加
桜は散った。
わたしも散った。
こんなはずじゃなかったのに――。
友だちに誘われて行った京都市内にあるD大学のオープンキャンパス。
隣県に住んでいたわたしからすると、ちょっとした遠出だ。
D大学の今出川キャンパスは、南に京都御所、北に相国寺に挟まれていた。
烏丸通りから、構内に一歩足を踏み入れると、世界は一変した。
赤レンガ造りの建物がずらりと建ち並び、一体どこにタイムスリップ、いや、テレポーテーションしたのかと心が躍った。
この大学に入りたい。直感だった。
そのためには、相当な努力が必要だった。
わたしは自分でも、勘が鈍くて、要領が悪いなと思う。だからなのか、勉強は得意じゃなかった。
でも、頑張れた。
あの素敵なキャンパスで、自分が大学生活を送る姿を想像すると、なぜだか心が沸き立つのだ。
でも、すべては妄想にすぎなかった。
猛勉強の努力が報われたときは嬉しかった。
でもそこがピークだったように思う。
理想と現実は違うのだ。
洒落た赤レンガ建築の世界に居ても、わたしはわたしだった。
人見知り、なかなか輪の中に溶け込めない、引っ込み思案なわたしはそのままだ。
地元の大学に行っておけば、数少ない高校の友だちと一緒に過ごせたのに、ほんとうに馬鹿だ。
なるべく人目につかない外のベンチに空きを見つけて腰掛ける。
よかった、空いていて。通路際に並んだベンチしか空いてなかったら、またトイレの個室にこもって過ごすところだった。
はあ、と誰の耳にも届かないため息をつく。
4月も終わりを迎えるというのに、今日は肌寒い。
そして、わたしはひとりぼっち。
わたしには、お昼ご飯を一緒に食べる友だちがいない。
大学は自由だ。
だからこそ、自分で行動しないと、存在しない人になる。
わたしはこの世界で透明人間だった。
みんな、わたしがいないかのように振る舞う。
二限の授業が終わると、示し合わせたように、ふたりとか三人組になって教室を出て行く。
長い昼休みの時間がこの上なくつらかった。
京都の中心地にある構内は、郊外の広々としたキャンパスとは少し趣が違う。
広大な芝はないけれど、たくさんの樹木が植わっているから緑は豊かだ。
おそらく桜が咲いていたと思しき木には、青々とした新芽が風に吹かれてそよそ揺れている。
昼食はもっぱらコンビニで調達していた。
食堂にひとりで入れるほど、わたしは肝が据わっていない。
毎日のことなのに、ひとりが慣れない。
大学に来ると、胃がきゅうっと絞られている心地になる。
食欲はないけれど、なにか食べておかないと、夕方の授業中にお腹がなってしまう。
薄情なお腹だ。
今日の昼食は学内のコンビニで買ったたまごサンドと温かい緑茶。
寒さからか緊張感からか、冷えた指先を熱いくらいのペットボトルが温めてくれる。
なるべく周りは見ないようにしている。
サンドイッチだけを見ながら、小さく開いた口に運ぶ。
ふと、隣に気配を感じた。
見ると、銀髪の綺麗な顔をした男子学生が、お尻一個分ほど間隔をあけて座っていた。
すっとしたフェイスラインに、切れ長の目が美しく、一瞬見惚れてしまった。
さっと顔をサンドイッチに戻し、状況を確認する。
隣のベンチは空いている。
それなのに、なぜ、あえてわたしの居るベンチに座るのだろう。
「お茶……ですか」
彼の声だと気づくのに、数秒かかった。
隣を見ると、彼はわたしの膝にあるペットボトルのお茶を見ている。
「……はい」
一日、誰とも話さなかったからか、出てきた声は小さくて少しかすれていた。
「ほう……」
やたら興味深そうにお茶を凝視してくる。
大手メーカーが出している普通のお茶なのに何がおもしろいのか、変わった人だ。
そういえば、よく見ると袈裟のような和風な服を身につけている。
そして、なによりおかしいのは箒を手にしていることだ。
昔ながらの、あの箒だ。
学生ではなく、清掃の人かとも思ったが、構内の清掃業の人たちはおそろいのユニフォームを身につけている。こんな袈裟のようなものではない。
やっぱり、ちょっと目立ちたがりの学生なのだろうか。
綺麗な顔立ちに緊張していたが、風変わりな人と分かると、不思議と気がゆるんだ。
彼は、顔を正面に戻して、物珍しそうにゆっくりと辺りを見渡しはじめた。
「おかしなところですね、ここは」
独り言のようにつぶやくと、彼はまた口を閉じてしまった。
分からない。わたしに何を求めているのか。
なんと返事をしてよいか考えあぐねたが、時間ばかりがすぎていった。
最初のコメントを投稿しよう!