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乾杯の直後、ワオーンと獣の鳴く声が聞こえた。
見ると、同じ長テーブルの一人が狼と化していた。あれはたしか、同期の中で最も冴えない男──小池じゃないか。
端に座っていたおれは、逃げようと慌てて席を立つ。
「どうしたの?」
隣に座っていた同期の裕子ちゃんに手を引かれた。ドキドキと鼓動が早まる。いや、今はそれどころじゃない!
「だってあれ見てよ! 狼!」
「あ、もしかして、こういう飲みの席って初めて?」
「う、うん……」
「まあまあ座って。大丈夫だから」
裕子ちゃんに手を引かれるままに、席に戻った。
見渡すと、おれ以外のみんなは平然と食事を楽しんでいた。それどころか、小池が狼と化したことでやや盛り上がりを見せている。
「おいおい、できあがるのが早いぞ!」
目の前に座る課長が、小池に向かっていきいきと野次を飛ばす。
「えっと、できあがるというのは?」
思わず尋ねると、課長は呆れた様子で手に持っていた枝豆の鞘を皿に投げた。
「たしかに、研修のときに分からないことは何でも聞けって言ったけどな。伊藤、本当に知らないのか?」
「すみません……」
「まったく。あのな、酒を飲むと人が変わるなんてことがよくあるだろ? だけど、実際は変わるというより、その人の本来の姿が見えるようになるってだけなんだよ。できあがるっていうのは、その状態のこと。つまり、小池の本来の姿は狼男だったってわけだ」
「はあ」
「相変わらず物分かりが悪いな、新人。要は、普段はみんなして人間に化けてるのさ」
そんなことより、と課長はつづける。
「お前、ウーロン茶でいいのか? ようやく研修が終わって、今夜の主役はお前たち新人なんだから飲めよ」
そう言って課長がビールの入ったジョッキをこちらへ差し出すと、おれは苦笑いを浮かべることしかできなかった。
そこへ、裕子ちゃんが割って入ってきてくれる。
「ちょっと課長、それアルハラですよー。コンプライアンス研修のとき、ご自身でおっしゃってたじゃないですかー」
「冗談冗談。真に受けないでくれよ」
バツが悪くなった様子の課長は、ジョッキを掲げてみんなに呼びかける。
「さあさ、小池につづいておれたちも飲むぞ!」
ふたたびグラスをぶつけ合い、みんなして勢いよく酒をあおっていく。
それからグラスを重ねていくたびに、なんと、一人、二人と次々とできあがっていった。奥から手前の席にかけて(もう誰が誰だったか分からない)、ロボットに赤鬼、宇宙人、ガイコツ、半魚人……目の前の課長の隣に座っていた上司は、トイレに行ったきり帰ってこないと思っていたら、いつの間にか透明人間になっていた。
やがてそこにいる大半の人ができあがると、それぞれが余興を披露する雰囲気になった。
ロボットが秒速の暗算を繰り広げていると思えば、その向かい側では赤鬼がスーツを脱いで虎柄のパンツを自慢している。またも狼男が遠吠えを上げると、おれの隣で裕子ちゃんが拍手で応えた。
「みんなすごいね」
そう言って振り向く裕子ちゃんはというと、さっきから梅酒サワーを何杯も飲んで頬を赤らめているものの、依然として人間のままだった。本来の姿も人間ということだろうか。よかった、安心して好きなままでいられる。
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