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「水島……? おい、どういうつもりだ?」
多岐川は自分へ槍を向ける後輩に尋ねた。
「槍を下げろ。私はおまえの敵じゃない」
「……多岐川さん、僕達の現戦力で魔物の群れを突破することは不可能です」
抑揚の無い声音で水島は言った。
「お姫様を渡しましょう」
「出来るか! あの男はシズクさんを呪いの一部にすると言ったんだぞ!?」
「僕達には生きて戻るよう命令が出ています」
「女子生徒を護衛することも任務の一つだ!」
「お姫様は桜妃の生徒じゃないです」
「!……」
淡々と語る水島に多岐川は戦慄した。水島と雫は最初の迷宮探索から一緒だったのに。助け合う仲だった相手に、水島は一切の情を抱いていないのかと。
「シズクさんを渡せば、彼女は確実に酷い目に遭うことになる」
「でしょうね。でも仕方がありません。彼女一人の犠牲で三人が助かるんです。逆に多岐川さんに聞きますけど、彼女一人に拘って僕達を全滅させる気ですか?」
「それは……」
兵士として正しい解答を出したのは水島の方なのだろう。だが人の心はそう簡単に割り切れるものではない。多岐川は歯軋りした。
「マコト、私が参ります」
睨み合う男達を雫が仲裁した。
「水島さんの言う通りです。今は生き延びることを第一に考えて下さい」
「そんな、シズクさん!」
「今までありがとうマコト。あなたのことは忘れません。……さぁヤスフミ、私を連れていきなさい」
慌てた小鳥が雫の腕を掴んだ。
「だ、駄目っ、早まっちゃいけません」
雫は温かい眼差しで小鳥を見た。
「私は既に死んだ人間なのです。気遣いは要りません。椎名さん、あなたには帰る場所が在る。セラと共に長く健やかに生きなさい」
「ひ、姫様……」
優しく小鳥の手を雫は放したのだが、多岐川が黙っていなかった。
「行かせない! 私の目が黒い内はそんなことを許さない!」
「じゃあ死んで下さいよ。僕やピヨピヨを巻き込まないで下さい」
冷たく言い放った水島は槍を床に突き刺して立て、腰の銃ホルダーへ手を伸ばした。
「水島、動くな!」
太刀を捨て先に銃を構えたのは多岐川の方だった。学生時代から十年以上、競技射撃に関わってきた彼は早撃ち技術も身に付けていた。
「………………」
「銃から手を放すんだ、水島」
多岐川は静かに呼び掛けた。しかし水島は多岐川の銃口に心臓を狙われているというのに、ハンドガンを握った自身の腕を動かして多岐川へ向けた。
「!」
撃たなければ撃たれる。多岐川は思った。
パンッ!
幾度となく迷宮に響いた乾いた音。それが聞こえた数秒後に激痛が多岐川を襲った。
「嫌あぁぁぁぁぁ!!!!」
雫が悲鳴を上げて多岐川へしがみ付いた。
「マコト、マコト──!!」
雫の支えが足りず、多岐川が片膝を床へ付けた。頭部がグラッと揺れて眼鏡が外れて落ちた。
「……カハッ! ゴホッ」
咳がこみ上げてきて、血と共に出た。多岐川は心臓のすぐ近くを、二メートル先の水島によって撃ち抜かれていた。
引き金を引けなかった自身の銃。眼鏡が無くぼんやりとした視界の中、多岐川は水島のシルエットへ銃口をもう一度向けた。
パンッ、パンッ。
二発の弾が発射された。やはり撃ったのは水島だった。
一発が多岐川の左腹に、一発が多岐川に抱き付く雫の右肩に命中した。
「やめてッ、水島さんもうやめてェ──!!!!」
甲高い声で泣き喚いているのは椎名小鳥だろうか? 黒い幕が張られたようだ。瞳で光を捉えられなくなった多岐川は、音で状況を判断する他なかった。
「マコト、しっかりして下さい!」
(シズクさん……すみません。私は……)
「マコト、生きて! あなたまで呪いに加えられてしまう!!」
「多岐川さん!」
(私は結局……誰も護れなかった…………)
撃つつもりで水島へ向けた銃。だのに引き金に掛けた人差し指が動かなかった。
五月雨百合弥の時にもとどめを刺せず、少女である世良の手を汚させてしまった。あの時に深く反省したはずなのに。
(……私は…………何て……)
涙が頬を伝った。
多岐川誠。彼は人を殺すことがついに出来なかった。
(水島……、おまえのその強さで……椎名さんを護り抜いて……、おまえ達だけ……でも生き延び……てくれ)
「マコト、駄目よ起きてェ──!!」
(すみ……ません。……すみま……せ…………ん)
力が抜けた指の間からハンドガンがすり抜けた。そして多岐川の身体が床にゆっくり沈み始めた。
彼は絶命したのだ。
「嫌ぁ、マコト!!」
「姫様、離れて。一緒に引き摺り込まれてしまいます!」
「でも、でもマコトが!」
沈む多岐川に取り縋っていた雫は、鎧武者によって引っ張り上げられて肩に担がれた。
「放してっ! 放しなさいアツキ! マコトが、マコトがぁ────!!!!」
半狂乱となった雫を陰陽師の泰史が蔑んだ。
『何と見苦しい姿じゃ。男に狂うてただの女に成り下がったか。しかも憎き家臣らを簡単に楽にしてやるとはな。永久の繁栄を望んだあ奴らに、子孫を殺し血脈が絶える様を見せつけてやりたかったものを。口惜しや』
「マコト、嫌よ、マコト!」
『アツキ、そ奴を儀式の間に連れていけ』
「マコトぉ────!!」
雫を担いだ鎧武者が歩き去り、悲痛な叫び声が徐々に遠ざかっていった。
『ほほほ、貴様は良うやった。なかなかの見世物であったわ。約束通り魔物は退かせてやろうぞ。今の内に地上へ戻るがいい』
水島を褒めた泰史が指を鳴らした瞬間、魔物の群れが波のように一斉に後退した。残ったのは気絶した白い犬だけだった。
『……ではな。くくく、水島とやら、貴様は我と同じ闇に生きる者じゃな』
愉快そうに呟いた泰史も鎧武者の後を追い、その姿を闇の中へ消した。
フン、と水島は鼻を鳴らし、残り一発となったハンドガンをホルダーへ仕舞った。
「ほらピヨピヨ立て。いつまで安全か判らんからな、さっさと階段見つけて上へ移動するぞ」
水島は多岐川を撃ち殺したその手を、へたり込んで震える小鳥へ差し伸べたのであった。
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