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(ムカつく女)
水島は銃の引き金に指を掛けた。安全装置は外してある。この一発で煩い鳥から解放される。世良との仲も邪魔されることが無くなる。
そう思うのに────人差し指が動かなかった。多岐川と同じだ。
(殺せない? この僕が殺人を躊躇っている? ……違う! 殺したらコイツに言い負かされた気がして面白くないからだ!)
水島は必死に殺さなくて済む言い訳を捻り出した。小鳥の瞳が焦る彼を射貫く。
「見るな、そんな眼で僕を見るなッ!!」
殺せ。殺せ。殺せ。
水島の本意なのか迷宮を彷徨う死者の怨念が作用しているのか、彼の殺戮衝動がどんどん増していった。
だが指が────引き金に掛けた指が石と化したかのように動かない。
(何が起きている? 僕の身体にいったい何が起きている!?)
水島の中に怖いと言う感情が生まれていた。子供の頃に捨てたはずだった。
殺せ。駄目だ。殺せ。駄目だ。殺せ。
二つの意志が同時に主張してくる。こんなことは初めてだった。
「コハルさん!!!!」
意識が分散しそうだった水島を引き留めたのは、中性的なトーンのしっかりとした自我を持つ声だった。
「セ……ラ……?」
水島が横目で窺うと、魔物が姿を消した通路の奥に世良が居た。
「セラ……!」
愛しい者。穴に落ちてはぐれた自分達を捜しに来てくれたのか。
世良に会えて水島の乱れた思考は一旦落ち着きを取り戻した。
しかし世良は顔を歪めて水島を凝視した。
「コハルさん……。あなたは何をしているのですか……?」
水島は自分の銃を、未だ小鳥の額へ向けていたことを思い出した。
「違っ、違うよセラ、これは違うんだ。撃つつもりは無い。そう、僕はピヨピヨを撃ったりしない……。そうだろう? コイツは僕の脅威なんかじゃない」
最後は自分自身に言い聞かせるような呟きとなった。
「…………? コハルさん、落ち着いて下さい」
世良は恋人の様子がおかしいことに気づいた。ここで何が遭ったのか来たばかりの彼女には判らないが、水島が混乱しているように思えた。
「大丈夫ですコハルさん。私を見て」
「セラ……」
「まずはコトリちゃんを解放して下さい。大丈夫、大丈夫ですから……」
笑顔を浮かべて優しく言ってくれた世良。水島の深層心理が、もう忘れていた遠い記憶の母の姿を彼に思い起こさせた。
「セラ……セラ……!」
幼子が縋るように、水島はフラフラと歩き出した。世良へ向かって。
「水島、そこで止まれ!!」
無粋な怒鳴り声が水島と世良の再会に水を差した。
藤宮と笹川の二人がハンドガンを水島へ向けていた。
「高月さん下がって! 水島さんは椎名さんを殺そうとしたんだよ!?」
詩音も世良を庇うように立った。
「警告する。水島、銃を床に置いて伏せろ。さもなくば撃つ!」
「………………」
水島は銃を捨てなかった。彼が無言で見つめる先には、床に転がる多岐川の眼鏡が有った。多岐川が死亡する前に彼の身体から離れたので残ったのだ。
「それは……多岐川の物か?」
水島の視線を追った藤宮も気づいた。
「多岐川は……おい、多岐川は何処へ行った! お姫さんは!? 説明しろ水島!!」
「……僕の邪魔をしたから……」
水島の右腕が上がってくる。握る銃と共に。
「水島……よせ」
「水島!」
残り一発のハンドガンで銃を構える二人相手に戦える訳がない。だのに水島は照準を定めた。藤宮へ。彼は正常な判断力を失っていた。
「僕はただ、セラの元へ帰りたいだけなんだ。邪魔しないでよ」
(そう。今解った。世良が僕の故郷なんだ)
「撃たないで!!!!」
小鳥が身を乗り出した刹那、三発の射撃音が響き渡った。
笹川が放った一発は外れた。
藤宮と水島が互いに撃ち合い交差する予定だった弾丸が、水島の前に飛び出した小鳥の肺と膵臓にそれぞれめり込んだ。
「────!」
「椎名!」
「コトリちゃん!!」
ゆっくりと倒れる小鳥。彼女の小さな身体を水島が受け止めた。
「ピヨピヨ!」
柔らかい肉と熱い血潮。その二つが水島を正気に戻した。
「ピヨピヨ……馬鹿、何で前へ出た!」
そっと小鳥を床へ寝かせた。華奢な少女の身体に空いた穴から血が噴き出す。
「コトリちゃん!!」
「高月、待て!」
世良が仲間の制止を振り切って駆けてきた。小鳥の傍へしゃがみ込んでその名を呼んだ。
「コトリちゃん、コトリちゃん!」
世良の呼び掛けに、上半身が赤く染まった小鳥が笑顔で反応した。
「お……お姉さ……ゲホッ!」
肺を傷付けられた小鳥が大量に吐血した。世良が蒼ざめる。致死レベルの傷だと、沢山の仲間の死を見送ってきた彼女には解ってしまったのだ。
藤宮、笹川、詩音も警戒しつつ合流した。世良は一縷の望みを持って藤宮を見上げたが、藤宮は頭を左右に振って小鳥の死が避けられないことを示した。
「ピヨピヨ……。何でおまえ、僕を庇った……?」
「……多岐川さんと……同じだよ……馬鹿」
同じ? 水島は多岐川の死、そしてその後の小鳥の発言を思い出した。
────あなたのことを大切な後輩だと思ってた。……だから撃てなかった。
────自分の命をあなたにあげたの。生きるようにって。
「!…………」
水島の全身が震えた。
「コホッ、ゴボッ!」
小鳥の口からは血が涎のように溢れていた。
「コトリちゃん……!」
涙目の世良が小鳥の小さな手を両手で握った。弱々しく小鳥も握り返した。触れ合えるのはこれが最後。二人とも解っていた。
吐血した自分の血に溺れそうになりながらも、小鳥は世良へ別れの言葉を紡いだ。
「お……姉様。悲しまない……で。私は呪い……には……なりません。多岐川さん……も」
息も絶え絶えに、汗びっしょりな小鳥が囀った。
「私達……、迷宮の……護りに……なります。ずっと……見守ってる……お姉様のこと……」
世良は涙で視界が滲んだ。
「……あなた……に……会えて…………良かった…………」
最後まで言い切った小鳥は満足そうに笑った。そしてその笑顔のまま動かなくなった。
「……コトリちゃん?」
世良が握る小鳥の手を揺らした。
「駄目、駄目だよ……。目を開けて……」
小鳥の身体が床に沈み始めた。詩音が引っ張って世良を小鳥から引き剥がした。
「やだ……コトリちゃん……コトリちゃん……」
小鳥の小さな身体はすぐに見えなくなった。
あまりにもあっけない別れ。さっきまで世良の手の中には確かな温もりが在ったのに。
「……はっ、はぁ、はあぁっ」
悲しみが支配する場に誰かの荒い呼吸音が聞こえた。水島だった。
「おい水島、おまえ過呼吸を……」
「ああアァあぁぁア────────!!!!!!」
水島が大絶叫した。
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