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「水島っ……?」
藤宮と笹川が反射的にもう一度ハンドガンを構えた。
「あアァ────あぁアアアア!!!!」
目を剥き狂ったように水島が声を張り上げていた。皆は固唾を呑んで彼の奇行を観察した。
「アァァ……ァァ…………」
最後は声が掠れた。水島は肺の空気を全て排出し、漸く叫ぶのをやめた。
「はあっ……はぁっ、はっ、はぁっ」
明らかに呼吸音が乱れ目が血走っている水島へ、世良が恐る恐る声を掛け
た。
「こ、コハルさん……?」
「はっはぁっ……、はぁっ……」
世良を見ずに水島はユラリと立ち上がった。そして苦しそうに歩き始めた。誰も居ない通路の奥へ。
「水島っ、待て!」
藤宮が制止の声を飛ばした。水島はハンドガンを手放しており、黒柄の槍も床に突き刺さったままだ。サバイバルナイフのみで単独行動はさせられない。左腕からは決して少なくない出血も見られる。
藤宮としては水島を一時拘束して寮まで連れ帰りたい。だが精神状態が不安定な彼へ迂闊に近寄れない。水島の運動能力は学院警備室の中でもずば抜けている。
「止まれ、水島、止まるんだ!」
パンッ。
藤宮が水島の足元へ威嚇射撃をした。しかし彼は全く意に介さず歩みを止めなかった。徐々に水島の背中が小さくなっていく。
「行かないでコハルさん! 独りで行動したら死んでしまいます!」
世良は水島を止めようと駆けた。が、脚がもつれて転倒してしまった。小鳥の死のダメージは、心だけではなく世良の肉体活動をも鈍くした。
詩音が世良に覆い被さった。
「駄目だよ高月さん。今の水島さんは普通じゃない」
「コハルさん! 戻って下さい、コハルさ──ん!!」
懸命に世良は呼び掛けたが、水島が振り返ることは無く、ついに彼は闇の中へ姿を消してしまった。
「嫌あぁ!! コハルさんまで死んでしまう!」
「藤宮さん、水島を追いますか?」
このまま放置すれば水島は世良の予想通りの結末を迎えるだろう。笹川は藤宮の判断を待った。ギリッと藤宮の歯軋りの音が聞こえた。
「……俺達の弾薬は僅かしか残っていない。水島を追えば俺達も遭難する。魔物が見当たらない今の内に移動し、この二人を確実に地上へ還す」
「ですね……」
「そんなっ! コハルさんを置いてなんていけない! 私は捜しに行きます!!」
藤宮はハンドガンをホルダーへ仕舞い、詩音に押さえ込まれていた世良の胸倉を掴み、強引に立たせた。
「勇敢だな高月。だがそうやって無謀な行動をした多岐川がどうなった!?」
世良はヒュッと息を吸いこんだ。雫を助ける為に自ら落とし穴へ降りた多岐川。床には彼の眼鏡が転がっている……。持ち主がどうなったのか容易に想像できた。
笹川も優しい口調で藤宮に追随した。
「二次被害を出す訳にはいかない。高月さん、ここは堪えて藤宮さんに従ってくれ」
「……はい……」
世良は水島を連れ戻しに行きたいと願う。でも自分が迂闊な行動を取れば仲間を危険に巻き込んでしまう。幸いにも状況を把握するだけの理性がまだ残っていた。
「来た道をそのまま戻るぞ。笹川、先導しろ」
「はい!」
銃を構えた笹川が先頭に立って歩いた。世良は床から小鳥の形見となった、朱色の柄を持つ槍を拾い上げて抱きしめるようにかかえた。
(コトリちゃん……お願い、コハルさんを護って……!)
詩音と共に笹川の後を追う世良を確認してから、藤宮が右手で水島の槍を引き抜き、そして左手で多岐川の眼鏡を拾った。
(馬鹿野郎が……。まだ死ぬには早いだろうが)
学院警備室で藤宮と多岐川はバディを組んでいた。いつも藤宮の背後に控えフォローしてくれていた多岐川。彼が後ろに居てくれることが藤宮へ安心感をもたらしていた。
(多岐川……俺、女の子を撃っちまったよ)
水島を庇って飛び出してきた小鳥。彼女の胸に自分の弾が命中した手応えを感じ、藤宮は一気に全身が冷えた。今も槍を握る指が微かに震えている。
(俺が……俺が椎名を殺した。明るく前向きだったあのコを。そして水島を見殺しにしようとしている。多岐川……俺はどうしたらいい……?)
藤宮の頬を涙が一筋伝った。最後尾だったのでその涙は誰にも気づかれなかった。
☆☆☆
藤宮、笹川、詩音、世良の四名は新たな魔物に遭遇することなく、無事に寮へ帰ってくることが出来た。
世良は詩音にシャワーを勧められたが、小鳥の槍を握った状態で玄関ホールへ座った。ここで水島の帰りを待つつもりなのだろう。残りの三名は取り敢えず引き下がった。
「笹川、俺は立川さんに報告せにゃならん。その間、高月が外へ出て行かないように見張っててもらえるか?」
廊下で藤宮が笹川へ耳打ちした。
「はい。今だけじゃなく、俺が夜間の見張りもしますから、藤宮さんは今日はもう上がって下さい」
「いや、おまえだけに負担をかけさせる訳にはいかねぇ。俺は大丈夫だ」
「大丈夫じゃないです。酷い顔をしています」
言われて藤宮は大きな手の平で自分の顔をなぞった。それで顔色が判ることは無かったが。
「……俺も、黒田さんと相馬さんに死なれた時は休ませてもらいました。今度は藤宮さんの番です」
「……すまねぇ……。朝まで頼む」
素直に笹川の善意を受け入れることにして、藤宮は二階の自室へ向かった。階段を上がる脚が妙に重い。
多岐川の眼鏡を入れた胸ポケットに指を置き、ずいぶんと小さくなってしまった相棒を偲んだ。
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