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迷宮誕生
震度7? 8? 初めて体感した大地震に世良は、布団の中で縮こまる以外に何もできなかった。世界を上下左右に揺り動かす強大なエネルギーに、スポーツ万能とはいえ17歳の少女が太刀打ちできる訳が無かった。
もっとも、今夜のこの地震は自然が引き起こした天災ではなかったのだと、少女は後に知ることになるのだが。
「…………アンナ?」
揺れが収まって数分後、世良は向かいのベッドに居るはずの親友に声を掛けた。
「アンナ?」
もう一度。すると暗闇の中、ベッドの上でモソモソ動く影が見えた。布団の中から這い出て来た田町杏奈だった。
「セラぁ!!」
杏奈は布団を蹴り飛ばして世良のベッドへダイブした。二人分の体重を受け止めたスプリングがギシッと音を立てて軋んだ。
「怖かった、怖かったよぉ!」
気丈な杏奈が世良にしがみ付いた。彼女の心臓の激しく鼓動する音が身体越しに世良へ伝わった。世良は杏奈の背中を優しく擦った。
「大丈夫、きっともう大丈夫だから……」
口ではそう言ったが、世良は生徒の中に怪我人が出たのではないかと危惧していた。それだけ大きな地震だった。全寮制の桜妃女学院では、二百人近い女生徒が寮で生活している。
「アンナ、私ちょっと部屋の外の様子を見てくるよ」
「床っ……、いろいろ物が落ちたはずだから気をつけて!」
怯えながらも心配してくれる杏奈に、暗くて見えなかったかもしれないが世良は笑顔を向けた。
「気をつける。アンナもね。ガラスが割れているかもだから、窓の方に近付いちゃ駄目だよ?」
世良はそうっと探るように床へ足を滑らせた。指先にスリッパが触れた。片方はひっくり返っていたが、尖った物は中に入っていない。両足に履いて足元を防御した。
床を歩けるようになった世良が真っ先にしたことは、部屋の電灯スイッチを入れることだった。
カチッ、カチッ。
壁に設置されたスイッチを何度か押してみたが、部屋が明るく照らされることは無かった。地震の後は電気・ガス・水道が止まることがまま有るのだ。
(駄目だったか……)
室内灯の復活を諦めた世良は手探りで部屋のドアノブを探し当てて、回した。ドアがスムーズに開いて世良は安堵した。地震で建物が歪み、ドアが開かずに閉じ込められる危険は取り敢えず回避できた。
「みんな大丈夫? 怪我した人は居ない?」
廊下へ向かって世良は大声を出して尋ねた。数秒後にそこかしこから聞き覚えの有る声が世良へ届けられた。
「こっちは大丈夫!」
「何なのアレ、マジでビビったー」
「ねぇちょっと、電気が点かないんだけど」
良かった、クラスメイト達は無事だったか。ホッと息を吐き掛けたが、
「助けて! 助けてぇぇ!!」
悲痛な訴えが世良の耳を直撃した。近い。
「セラ、助けて! ミサが動かないよぉ!!」
「その声はケイだね!? 今行く!」
丸本美沙と岡部佳の部屋は右手二つ隣りだ。世良は壁に手を添わせながら慎重に暗い廊下を移動した。
「開けるよ!」
世良は目指した部屋のドアを開けた。すぐ側に人が蹲っていた。シルエット的には二人分に見える。
「ケイ? ミサ?」
「ミサが頭を打って倒れたの! どうしたらいい?」
世良は暗闇の中で目を凝らして、倒れた美沙を抱きかかえているであろう佳に近付いた。
「このコ、地震でパニクっちゃって部屋の中で暴れたの。それで派手に転んじゃって、多分そこの机に頭をぶつけた。暗かったからハッキリとは見えなかったけど」
興奮気味の佳は早口でまくし立てた。
「頭を打っているなら揺らしちゃ駄目だ。ひとまずそっと寝かせよう」
一緒に美沙を支えようとした世良は、手の平にぬらりとした触感の液体を受けた。……これは?
その時、廊下に一筋の光が差し込んだ。ユラユラと動く円形の明かりを見て世良は察した。懐中電灯だ! 誰かが懐中電灯を持って廊下を進んでいる。
「こっちへ来て! 怪我人が居ます、照らして!」
世良の声に反応した誰かは迷わずこちらへ向かってきた。ありがたい。世良は相手を歓迎したが、世良達に懐中電灯を当てた来訪者は「ヒッ」と短い悲鳴を漏らした。
「!…………」
眩しい程の光に捉えられて判った。丸本美沙は頭部から大量出血をしており、彼女に触れた世良の手も血に塗れていた。
「キャアアァァァァーーッ!!」
佳が甲高い悲鳴を上げて美沙から手を放した。佳は部屋が暗くて、今までルームメイトの正確な状態を見ていなかったのだ。
「ミッ、ミサ……、ミサぁぁぁぁ!」
美沙は目を見開いて虚空を見つめていた。いや、彼女の瞳にはもう何も映っていなかった。これだけ騒いでも変わらない表情。だらりと投げ出された手足。
「うあぁ、死んだッ、ミサが死んだあぁぁーッ!!!!」
ずっと美沙を抱き上げていた佳の身体も鮮血に染まっていた。その姿で半狂乱となった彼女は部屋の中をのたうち回った。赤の範囲が広がっていく。
(死んだ……? ミサが?)
世良には実感が湧かなかった。一緒に食事当番をした美沙。ほんの数時間前まで世良と元気に会話していた。その彼女が動かない。これから先、喋ることも無い。
(噓だ。そんな訳が無い)
野菜の皮むきは苦手なのに、キャベツの千切りはやたらと上手かった美沙。四つ年下の弟が居て、長期休暇が明ける度に彼の成長具合を嬉しそうに話していた。
「ミサ、ミサしっかりして」
世良の呼び掛けに美沙は答えなかった。まだ身体は温かいというのに。
「駄目だよミサ、返事して。こんな、こんなのって……」
禁忌だったが美沙の身体を軽く揺すった。それでも彼女から反応が返ってくることは無かった。
(そんな、こんなにあっさりと……。こんなに簡単に人は死ぬの……?)
世良は突然訪れた級友との別れに唇を噛んだ。
この時の世良は知る由も無かった。丸本美沙は「最初の犠牲者に過ぎない」という、恐ろしい未来が待っていることを。
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