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 狐にも学校がある。  と言っても、校舎はない。給食もランドセルも、もちろんチャイムもない。必要ないからだ。学校できちんと学んだ狐は、それらすべてに化けられるようになる。  山の中である。  背の高い木々が葉末を重ねたその下で、狐たちは懸命に練習をしていた。化けることは狐の身を大いに助ける。  たとえば車に轢かれそうになった時。大きなもの、たとえばトラックやバスに化ければ、運転手が避ける確率がうんと上がる。  逆に、畑にいるところを見つかった時は、より小さなミミズやハエに化ければいい。人間は見間違いだったかと首をかしげてどこかへ行ってくれるだろう。  ところが、なかなか上手く化けられない狐もいる。 「きぇーい、きぇーい」と掛け声は立派、くるっと宙返りするさまも他の狐たちと同様、サマになっているのだが、なぜかトラックよりでかいミミズに化けたり、ハエより小さなバスに化けたりしてしまうのだった。 「ああ、僕はとってもだめだ……」  もはや声は枯れ、宙返りしすぎてめまいがする。シクシク泣き出す狐を、周りの者たちは励ました。 「そう言うなよ。問題は大きさだけさ。うまく化けているじゃないか」 「そうだとも。車道ででっかいミミズにでくわしたら、運転手は気絶するだろうな」 「おいおい、気絶されたら轢かれてしまうじゃないか」 「下手な慰めはよしてくれたまえ!」  励まされた狐は、毛並みをつやつやさせて声を張った。 「僕は、狐に生まれたからにはキチンと化けられるようになりたいのだ」 「ふうむ、その志は立派」 「あっ、先生」  先生と呼ばれた年かさの狐は、練習中の狐たちをぐるりと見まわした。 「よく練習しているね、生徒たち」 「そりゃあもちろん。人間などに殺されたくありませんもの」 「それだけじゃありません。僕たちはみんな、化けるのがうまくなって、お稲荷さんのように偉くなり、やがては人間から拝まれるようになりたいのです」 「ウム……お稲荷さんは、それはそれは化けるのがうまかったそうだからなぁ」  無邪気な狐たちの言葉に、先生は重々しくうなずいた。  平たい石にどっしりと座る先生を、みんな輪を作って囲んだ。 「おまえたちは知らんだろうが、よその山には、人間に化けてやつらの社会にもぐりこむ狐がいるそうだ」 「もぐりこんで、どうするのですか?」 「人間のふりして働くようだな」 「なんと……!」  狐たちは顔を見合わせた。人間のように働くなんてみっともない……そう思う反面、なんだか魅力的にも聞こえる。  一匹の狐は舌なめずりして言った。 「とすると、彼らはお揚げやフライドチキンのような人間の食べ物を、いつでも食べることができるのですか?」 「きっと、そうなのだろうな」  素晴らしい! と、みんなは思った。お稲荷さんのお供えや、時たま人間が車から放り捨てていくフライドチキンは狐たちの楽しみだった。  だが、先生の声がいやに暗いのが気になる。  年老いた先生の瞳は、雨もよいの三日月のように潤んでいた。 「だが、そうした狐たちの多くはすぐに死んでしまうのだよ。かわいそうに、働くことがつらすぎて、尾から毛がごっそりと抜け落ちてしまう。そのうち、人間とも狐ともつかないドロドロの死体になって発見されるのだ……」  これを聞いた狐たちは、思わず自分の尻尾を振り向いた。このふかふかと太った尻尾から毛がなくなるなんてこと、本当にあるのだろうか? あるとしたら、恐ろしい。  すっかり怯えてしまった狐たちに、先生は厳かに言った。 「いいかね、おまえたち。化けることはむろん素晴らしいことだ。だが、技を極めすぎてはいけない。あくまで自分の身を守ったり人間をからかったりする程度に留めておくのだ。わかったね」  素直な狐たちはみんな、「はぁーい!」と、ピンと尻尾を立てて返事した。  ……あの、化けるのが下手な狐をのぞいて。
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