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─9─
逃げるように会場を後にする。
このあと葬儀がどうなるのか気にはなったものの、もう、私には関係のないことだった。
前のめりになりながら急ぎ足で歩いていると、すれ違う人々の視線を感じた。
それもそのはずだ。傘を持っているのにも関わらず、手に持ったまま、ずぶ濡れになりながら喪服の女が歩いているのだ。
冷静になったとはいえ、私は騙されていたのだ。すぐに受け止めることなどできるはずがない。気が動転して当然だ。私は被害者なのだ。私だって、彼女のように泣き叫び、暴れたい。
やっとアパートが見えてきた。自分のテリトリーに入り、心の安全を確保したい。
雨で濡れた手はかじかみ、うまく鍵が入らない。二、三回、鍵を落としながら、ようやくドアを開ける。
部屋に入った途端、全身の力が抜け、膝から崩れ落ちる。
「どうなってるのよ……」
ひとつに結んだ髪の毛から、水が滴り落ちる。
不思議と涙は出なかった。一度にいろんなことが起こり、私の心には悲しみさえ入る余地はないのだろう。
部屋を暖めようと、ストーブの電源を入れる。その時、膝にしみる様な痛みを感じ見てみると、黒いパンストが破け血が滲んでいた。
「そうか、あの時……」
会場で、後ろから押され前へ倒れた時にできた傷だ。こんな、みすぼらしくぼろぼろの姿で、ずぶ濡れになりながら早歩きをしていたら、視線を集めて当然だ。
この時、『惨め』という二文字が頭に浮かんだ。
「情けない……」
彼への怒りというより、一年半もの間見抜けず、プロポーズに浮かれていた自分に腹が立つ。
部屋が暖かくなってきたことでやっと体が動くようになり、寝室で着替えを済ませる。その足でお風呂にお湯を溜める。
いつものように洗面台で先にメイクを落とす。ヘアバンドをつけ、鏡を見る。
「酷い顔……」
漏れ出た言葉通り、アイラインやマスカラが雨で濡れたことで、目の周りが黒く滲んでいた。まるで、徹夜明けのような顔つきだ。
オイルでメイクを落とした後、穢れを落とすかのように、洗顔フォームを泡立てないままゴシゴシと顔を洗う。何度も顔を擦りながら『どうして……どうして……』と、頭の中で繰り返し、自分がどれだけ惨めで哀れでまぬけなのか思い知りる。
この時初めて、涙が溢れてきた。
一心不乱に顔を擦り続け、気が済むまで顔をすすいだ後、お湯が溢れる音にハッとし、浴室のドアを開ける。充満していた湯気が一気に放出され、視界が真っ白になり何も見えない。慌てて手探りでお湯を止める。
「なにやってんだか」
魂が抜けてしまうほどの大きなため息をつき、ダイブするように勢いよくお湯に浸かる。
滲み出てくる涙を何度も拭いなら、三十分ほどで上がった。
タオルを首にかけたままキッチンへ行き、冷蔵庫から麦茶を取り出し、タンブラーに並々注ぐ。それを一気に流し込み、そのまま布団に入る。
今日は何もしたくない。布団に身を委ねたい。
目を瞑ると、今までの人生が、アルバムのように蘇ってきた。
今思えば、割とツイていない人生だった。小学一年生のとき、雪山で遊んでいたところ、上から巨体な四年生が滑ってきて私にぶつかり、腕を骨折。
三年生には、風邪をこじらせ生死を彷徨い、中学一年生で入った部活で才能が開花するも、悪い先輩に目をつけられすぐに退部。そして、高校生活はほぼいじめられていた。
しかし、十九歳の頃、自動車学校に通っていた時、大人びた綺麗なギャルに出会う。そのギャルが、親友の高貝優紀。切れ長な目で、すっきりとした顔立ち。一見、近寄りがたい雰囲気を纏っていたが、話してみると印象は一転し、可愛らしい女性だった。でも、昔から一本の芯が通っていて、頼りがいがあり、男友達からは、姉さんと呼ばれていた。しかしそんな優紀も、今では立派な二児の母。彼女も割と不運な人生を歩んできていたので、結婚すると聞いた時、自分のことのように幸せな気持ちになり、喜んだ。
彼女と出会ったことは私にとって唯一の誇り。少し前までは、慎太と出会ったことも私の誇りだった。
恋愛は、六年付き合った彼氏がいた。その彼とは結婚の約束はしたものの、私とは真逆の、小さくて大人しく、かわいらしい……俗に言う、守ってあげたい系の女に捕られてしまった。そういえば、今日見た慎太の奥さんも小柄で、かわいらしく、大人しそうな女性だった。それに、若かった。
「ちっ」
所詮、男は若くて、大人しくて、小さな女が好きなんだ。
私は、かわいくもなければ、小さくもない、勝気な性格。
あー、なんだか腹が立ってきた。さっさと寝よう。
寝れば大抵のことは忘れられる……。
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