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「潔いのか諦めが早いのか……」
「え?」
「君の考えは全て分かるんだ」
美人のしかめっ面はなかなか迫力がある。ご先祖様は一度深く息を吐くと気持ちを切り替えた様子で再び手招きをした。
「また何か見せるのか?」
「ああ。説明するのは苦手だ」
面倒じゃなくて、苦手。忠告してくれたこともあるし口下手ではあるがこの人多分結構いい人だ。
この時点で横柄な態度で座っているご先祖への元々大して抱いていなかった警戒心は完全になくなり、素直にまた彼の側に行く。
先程とは打って変わって優しく額をつかれ、次の瞬間には人の輪郭を象った黒い影達が踊るように動き物を語り始めた。
―――それはまだ人々が争いを知らなかった頃。
世界を創造した神は発展を願い、人界に使者を遣わせた。
人々は無から有を生み出す彼等を精霊と呼び崇めたが、強い信仰心は時を経て所有欲へと変わっていく。
人知を超えた力を自分の側に。近くに。あわよくば自分のものに。
醜い欲望を前にして、人々は知ってしまった。人が人に剣を向けられるということを。
個人間の諍いが一族同士の諍いとなり、一族同士の諍いがそれぞれの纏める地域間での争いとなる。そうして戦火は広がり、いつしか人々の地は戦場となった。
精霊達は彼等の変貌に戸惑い、倒れていく人々を前に立ち尽くす。
―――自分達が力を振るえば救える命がある。だがその力を使う度、また新たに誰かの目が眩む。
その繰り返しに疲れ果て、人々を嫌悪し、絶望した。
だが神は自分が創り上げた者達の心根に眠る善意を信じ、争いを終幕へ運ぶための力を数人に与えた。
ある者は火の壁を作り敵の行手を阻み、ある者は水を浄化し餓えた人々に与え、ある者は絶対的な『王の力』で混乱の世を治めた。
そうして人界は平和を取り戻したが、精霊達は二度とその姿を人前に現さなかった。
それから数百年。時は流れ、精霊がおとぎ話の産物となった頃。
帝国のとある村で暮らしていた平凡な一人の少女が見知らぬ男に命を救われた。
森の中で盗賊に襲われていた彼女を突如現れた見目麗しい男が助けたのだ。長い白髪に黄金の瞳を持った彼が自分とは異なる何かであることは直ぐに分かった。
しかし彼女はそんなことは気にも止めず、彼に会うために頻繁に森へ足を運んだ。いつしか彼も心を開き、二人は村で共に生活し始めた。
そして少女は大人になり、彼との子を身籠ることとなる。産まれた子は、ある特別な力を持っていた。
母となった少女は我が子の無限の可能性に歓喜し、父の静止も聞かずにその子の力を人々のために振る舞った。
その力がその子を、まるで神の生まれ変わりのような………人間という枠から外れた遠い存在にしてしまうとも知らずに。
「このお父さんって………」
「ああ。私だ」
「ご先祖様、精霊だったんだ」
ご先祖様の瞳が微かに揺れる。自分から教えたくせに、本当はあまり知られたくなかったみたいだ。
「母様に触れた時、中に何かいるって思ったんだ。それが母様を殺そうとしてるって。あれが精霊の力?」
少しの沈黙の後、形の整った唇をそっと動かした。
「そうだ。精霊の力は人間の身体では受け止め切れない。私の力を受け継いでしまった子どもたちは………大きな力を手にする代わりに、短命となるのだ」
―――ああ、彼は知らなかったんだ。
人間ではないという事実が寧ろしっくり来るほどの整った容姿。あまりに綺麗すぎて何処か冷たく見えてしまうその表情が、いつも痛みで歪んでいるのが分かってしまった。怪我をしているのではない。罪悪感から来る手の施しようのない苦しみが、今も尚彼を襲っている。
「精霊は人間とは身体の作りがまるで違う。そもそも私達は繁殖などしないからな」
「繁殖て………」
「だからまさか、自分に子どもができるなんて思わなかった」
その一言から感じられるのは後悔と………その隙間から垣間見える喜び。
存外このご先祖様は俺達のことを思っているらしい。そうでないのなら、似ても似つかない二人の姿が重なって見えるはずがない。
「ご先祖様。俺、やっぱり起きなきゃ駄目だ」
「さっきは仕方ないと受け入れた様子だっただろ」
「うん。でもほら。母様も兄様も………それから父様も。俺のこと大好きなんだよなあ」
その3人だけじゃない。ルネも使用人の人達も騎士の人達も、皆俺が大好きで。
ここで自分の命を諦めることは、そんな彼等の思いを裏切ることになる。
「あ、もう一人いたな」
「………」
「ご先祖様も、俺に死んで欲しくないって思ってる」
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