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未だ目覚めぬアーリアの部屋には今日もユリシスがいた。
寝る間を惜しんで通うユリシスを見兼ねた父がベッドをアーリアの隣に運ばせてからは殆ど毎日ここに留まっている。
勿論父と母もここには頻繁に来るが、なんせ一人は病み上がり、一人は公爵家の主だ。二人の意思とは関係なく、片時も離れず見守り続けるというのは不可能だった。
結果的に一人でアーリアの側についていることの多いユリシスはすっかり憔悴しきっていて、代わる代わるやって来る使用人達がアーリアと同時にユリシスの体調にも気を配る程だ。
それでもユリシスは決して弟の側を離れようとしなかった。穏やかな寝顔を見る度にこれまで味わったことのない胸の痛みが襲ってきても、目を離した隙に天使のような愛らしい弟が何処かに行ってしまうよりはマシだった。
ユリシスのために用意された踏み台にのり、自分よりずっと小さな頭を撫でる。始めの頃はその日あったことを話したり絵本を読んだりしていたが、もう話すことも読む絵本もなくなってしまった。
不意に扉を開ける音がして視線を上げる。
突然現れた珍しい訪問者はそのまま一言も発すること無くユリシスの隣に並んだ。撫でるわけでもなくただ静かにアーリアを見つめている。
「イリア叔父さん、お仕事はもういいんですか?」
「適度な休みは作業効率をあげるんだ」
「へえ」
イリアはこの屋敷で今最も忙しい人間と言っても過言ではない。家族に気を取られて仕事が疎かになりがちなユーゼルを完璧に支えているのが彼だからだ。
そんな状況下でもイリアの振る舞いや表情からは僅かな疲れすら感じ取れなかった。
どのような時も呼吸一つ乱さず、何が起きても通常運転。あまりに表情が変わらないため一時期動くお人形さんだと思っていたこともあったりなかったり。
「ところでユリシス。今は団長との訓練の時間じゃないか?」
その問いかけに心臓がドキリと嫌な音を立てた。
それもそのはずで、幼いながらに物分りが良く利口だったユリシスはただの一度も公爵家長男としての教育を疎かにしたことがない。
両親から咎められていないとはいえ、初めて自分の意志で大人達の教えに背いたのだから罪悪感を抱いてしまって当然だ。
「ごめんなさい」
質問に答える代わりに、ユリシスは素直に謝罪した。勿論謝ったからといってアーリアの側を離れる気は微塵もない。それも含めての『ごめんなさい』だ。
そんなユリシスの意図を理解した上で、イリアは一切声を荒げることも諭すこともしない。かと言って謝罪を受け入れるわけでもなくいつも通り淡々と伝えるべきことを口にする。
「この屋敷で、俺は誰よりユリシスの気持ちが分かる」
その一言は、ユリシスの胸に重たく落ちた。何故なら彼はルシアの弟だから。アーリアと同じく身体の弱いルシアを、ずっと見守ってきた人だから。
「それでも、俺が言えることはこれだけだ。
ここでお前が熱心に見守ったところで、アーリアは目を覚まさない」
ユリシスの子どもながらに整った顔が痛々しく歪んだ。それでもイリアは決して慰めるような真似はしない。
ユリシスは年齢に反して頭の良い子だ。恐らく自分の幼い頃と同じくらいか、若しくはそれ以上に。
この部屋に留まっていても状況は何も変わらないなんてこと、この子はとうに知っている。
「でも、でも、僕はお兄ちゃんだから。アーリアの側で、アーリアを守ってあげるんです!」
「なら何故ここにいる」
愈々ユリシスの瞳から宝石の欠片ような涙がポロポロと零れ落ちた。しかし尚、イリアは言葉を続ける。
「守りたいなら、もっとすべきことがある筈だ。
アーリアが目を覚ました後、今度こそ守ってやれるように」
「目を、覚ました後………?」
ユリシスの呟きに頷いて、まだ小さな背丈に合わせて屈む。
「必ず目を覚ますと信じて待つ。
俺達にできることはそれだけだ」
たった一人の姉が深い眠りに付く度思い浮かんでしまう最悪の未来。
けれど、起こってもいない未来を想像して動けなくなるのは実に愚かだ。
姉が目を覚まし、そして再び目を閉じる度にもっと自分にできることがあったはずだと考える。
最悪な未来を想像して打ちひしがれていたあの時間に、何か出来たのではないかと。
ユリシスには自分と同じ後悔をして欲しくなかった。
そんなイリアの願いが伝わったのか、ユリシスは自分の腕で荒々しく涙を拭き取る。
鮮明になった視界に未だ眠りについたままのアーリアを映した。
思えば最近はアーリアが消えてしまった時のことばかりを考えていた気がする。目を覚まして欲しい。そう願うばかりで目を覚ましてくれた後のことまで考えていなかった。
「アーリア………僕、強くなるね。今度こそ、お兄ちゃんが守ってあげるから」
不安を押し殺して絞り出したであろうその決意をイリアは黙って聞いていた。背中を押すように、自分とよく似た甥っ子の頭を撫でる。
そして反対の手でもう一人の甥の額を優しく撫でた。
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