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―――これは夢だ。
ただの高校生だった時の夢。
夕日が差し込み淡い橙色に染まった教室で黙々と日誌を書いている樹を見つめる。
グラウンドから聞こえてくる部活動に励む生徒達の掛け声をBGMにして、異様なまでに整っている幼馴染の顔を眺めていると当然の如く眠気がやって来た。抗わず樹の机に肘を立て、頬杖をつく。
落ちてきた瞼が完全に視界を遮る前に言葉を零した。
「樹は折角格好良いのに、俺のせいで彼女できないんだよなあ」
「………何の話だ」
「んー、ナイショ」
真面目で優しいこの幼馴染は、馬鹿な上に寝てばかりの俺の世話ばっかしてるから女の子からの熱烈な視線に気づきもしない。
でもそれは言わないよ。
だって言ったら、俺から離れていっちゃうでしょ。
―――突然場面が代わり、あの事故の時まで進む。
トラックに引かれそうになっている俺を必死に追いかけてくる樹はまるで自分が死にかけているかのような切羽詰まった顔をしていた。
ごめんな樹。俺達、たった二人の家族だったのに置いていったりして。
でも大丈夫だよ。
樹は俺と違って頭も良いし運動も出来るし実は人付き合いも得意だし。
こんな形になってしまうなんて考えもしなかったけど、いつかは俺から解放されて自由になるべきだったんだ。
だからどうか、願わくば俺の前世でのたった一人の家族がこれ以上悲しむことなく幸せに生きていけますように。
✽✽✽
夢が終わったら目覚める時間だ。
既に人生を終えた養護施設育ちの高校生としてではなく、ハークレイ公爵家の次男として。
「………ぅう」
久々に感じる太陽の遠慮ない日差しが眩しくて目を細める。
窓から差し込む光がベビーベッドに直撃していた。
うーん。太陽は今日も今日とて労働して偉いなあ。
そろそろ連休をあげたいところ………じゃなかった。
変なことを願うのはやめよう。
下手したら本当に数日間太陽が消え去る。
そして俺の第二の生も終わる。
「アーリアっ、アーリア!!」
直ぐ側で母様の声がした。
悲鳴にも似たその声を聞くだけで胸が痛くなるのに、死にかけた時ですら笑顔を浮かべていた人が俺の頬を撫でながら涙を流しているのを見て平気でいられるわけがない。
「あーうっ、あー」
母様に向かって短い腕をジタバタ伸ばすと母様は泣きながら抱き上げてくれた。
「本当に良かった………良かった………」
母様の腕の中は温かい。
立ち上がったまま一人で俺を持ち上げられるなんて、どうやらご先祖様の言っていた通り体調は大分改善したようだ。
「「アーリア!!」」
まだ声変わりもしていない幼く高い声と、低いけれどやわらかく優しく響く声が重なって聞こえてきた。
兄様と父様だ。
その後ろには母様の侍女もいて、恐らく彼女が急ぎ報告に行ったのだろう。
父様は母様ごと俺を抱き締めて言葉にならない喜びを噛み締めているようだった。
「母様、母様!!僕にも見せてください!」
兄様の訴えに応えて母様がしゃがむ。
俺と視線が交わった途端、ユリシスは丸い瞳からボロボロと大粒の涙を流し始めた。
「うわーんっ、もう起きてくれないかと思ったんだよ!?アーリアの馬鹿ぁああああ!」
年齢にそぐわぬ大人びた思考を持った兄がこんな風に大きな声をあげて子どもらしく泣きじゃくる姿を初めてみた。
それが悲しいのに嬉しくて、俺のせいで泣いていると思うと申し訳なくて、急に視界が歪んでいく。
「うぅっ、………うああああ!!」
「あらあら………ふふ、よーしよし。いっぱい泣いていいのよ。私の可愛い子ども達。いっぱい泣いて、いっぱい食べて、いっぱい眠って。大きくなって、幸せになってちょうだい」
「そうだね。ユリシスもアーリアも、もっと子どもらしくしていいんだから。父様がちゃーんと見守ってるからな」
父様もしゃがんで、四人で抱きしめ合いながら涙を流す。
生きてて良かったと心の底から思った。
「うっ、と、父様はっ、ちょっとは真面目に仕事してくださいぃっ」
「ええ!?ユリシス!?寂しいこと言わないでくれ!」
「あーう。あぅあ」
ほんとにな。働け。
「あら、私の息子達は本当に賢いわね。父親のことをよーく分かってるみたい」
「る、ルシア〜」
馬鹿な俺でもそれなりに感じている波乱の予感は、多分気のせいじゃないんだろう。
それでもこの世界で、俺はもう一度生きてみるよ。
生きてて欲しいと願ってくれる人が、こんなにたくさんいるんだから。
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