雲取り吉祥

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雲取り吉祥

 小振りながら、指定通りの四曲一隻(よんきょくいっせき)。歌を(したた)めた色紙を配した屏風を前にすれば、その艶やかさに惚れ惚れする。  優美な筆致のそれは恋の歌で、達筆すぎるそれを読めずとも、その鮮やかな世界観は視覚として受け取ることができるだろう。  華やかな雲模様に区切られた吉祥紋が繊細に描かれ、歌に添わせた色唐紙は慎ましやかで出しゃばらず、深みのある金色で刷られた紋様は上品だ。よく見れば、微妙に色合いが違う金が不思議と奥行きを感じさせて、その大きさの割に、小さく纏まっているふうには少しも見えない。  この美しい屏風は、歌人が古希を迎える祝いに仕立てられたものだ。  老師の弟子たちも相当張り切ったようで、一切の妥協を許さなかった。協議の末に師の代表的な連作を選んで気鋭書家へ色紙の清書を頼み、いざ表具を! と至った際、石河(いしかわ)へと仕事が回ってきたのである。  石河の肩書きは美術商ではあるが、表具依頼の斡旋は時折、こんなふうにして舞い込んでくることがある。今の時代、伝手を持っている人間も限られるからだろう。特に相手が個人事業主ともなると、どう連絡を取ったものかと戸惑うらしい。回り回って石河が頼られるのは、そういう理由だ。  そもそも美術商というのは、一種のブローカーである。仕事としては、さほど変わりはしないのだろう。抱えている日本画家へ懇意にしている経師屋たちを紹介することもあるのだし、不都合はないのだ。  屏風をじっくり眺めていた依頼人は、満足げなため息を落とした。素晴らしい、との言葉に、石河は温和な笑みを浮かべる。 「製作者も喜びます。それでは、こちらをお納めしましても?」 「勿論です。また機会がありましたら、是非お願いしたい」  光栄です、と奇麗に辞儀をして、にこやかに見送られながら取引先を後にした。  それにしても、毎度のことながら、納品の時が一番緊張する瞬間である。作品に対しての賛辞を聞ければ達成感で胸が一杯になるし、喜ばれればこちらも嬉しくなってしまう。今回は知己から回ってきた仕事だったが、新たな顧客開拓となりそうだ。  これも、懇意にしている職人の御蔭。また御礼に善い酒を贈るとしようか、とぼんやり考えて、石河は口元へほんのり笑みを乗せた。  彼と知り合えたのは、全くの偶然と言える。  たまたま、ぽっかりと時間が空いた午後。そういえば近くでやっていたはず、と思い出して訪れた卒業制作展に於いて、見事な軸があったのだ。  勿論、描かれていた花鳥画も、大変素晴らしいものだった。伝統技法を生真面目に踏襲しながらも、はっとするような大胆な色使いは見事で、面白い子が出てきたものだと感心させられたくらいには。  その場で作者について係員に尋ね、その出自に納得したものである。けれど、彼が何より気を引かれたのは表具の方なのだ。  色彩設計を理解した上で配置された紋様と色、巻緒や軸先の色、風鎮の佇まいですら。  全てが、その絵のために作り上げられたものだった。大胆な色使いに負けることもなく、出しゃばることもせず、当たり前のように調和する。これほどまでに作品へ寄り添う文人表具は、初めて見たのではないか。  この軸を手掛けたのはどちらの経師屋だろうか、と序でのように尋ねると、こちらも卒業生の手に依ると言う。  こんなものを仕上げてみせる末恐ろしい学生がいるのかと、内心で大興奮しながら「是非とも会ってみたい」と掛け合えば、あっさりと呼ばれて奥からやってきたのは黒猫のような青年。  もし君が経師屋として活動していくのなら、是非とも仕事を頼みたい、と。  何としてでも口説き落としてやろうと意気込んでみれば、至極あっさりと名刺を渡されたのだった。それも手刷りしたらしい、表裏共に素晴らしいデザインの代物で、目を白黒させたものである。  詳しく話しを聞いてみれば、彼の父方の実家が代々の経師屋で、彼自身も跡を継ぐつもりで幼い頃から祖父へ弟子入りし、研鑽を積んでいたらしい。道理で、表装の伎倆も素晴らしかったわけだ。  けれど、未到の地と言っても過言ではないくらいに過疎も進んだ田舎のことで、先細りすることは目に見えている。実際に、彼の父は家業を継がず、外へ出て行ってしまった人間なのだそうだ。  待っていても無駄なのは明白。それならばと、広い視野の獲得と、顧客となりうる人脈確保のために、こちらへ進学することにしたという。  あれを見て、表具について尋ねてきたのは、あなたが初めてです、と。  にんまり笑った彼に苦笑して、石河はこの青年を贔屓にすることを決めたのだ。卒業後は地元へ帰ると言っていたが、少なくとも同じ国内なのだ。交通の便が悪いくらいで、諦められるような人材ではない。  幾度か仕事を頼んでみての印象だが、彼の仕事は誠実であり、繊細である。  真摯である、とも言えるだろうか。この辺りは師匠の教育の賜物なのだろう。既に故人となってしまったが、生前には、かの名人にも幾らか仕事を持ち込んだことがある。堅実な仕事は美事としか表現のしようもなく、これまで田舎に埋もれていたことが信じられず、残念なほどだった。  そんな名人である祖父に倣って唐紙師(からかみし)と名乗る通り、図案を起こし版木を彫るところから彼の仕事は始まる。  本来は木版彫師が別にいるものだが、かの地では後継者問題で途絶えてしまったそうだ。どの業界に於いても往々にしてあり得る悲劇ではあるが、過疎地ゆえに世間よりも欠け落ちていくのも早かったらしい。  そこで諦めなかったのが先代で、版木の全てを引き取り、老木版彫師が引退すると言うのを引き止めて、暫く弟子入りしたそうだ。日浦(ひうら)家が唐紙師と名乗り始めたのは、それ以来のことだという。今回の仕事に使用した版木は、その当時に先代が製作したものだそうで、二代合作と言っても過言ではない。  あまりに艶やかで、見つけだした時は暫く見愡れた、とは日浦の言葉だ。伝統紋の扱いに関しては、まだ師匠には及ばないと思い知った、とも。  そんな彼の仕事ぶりだが、一度だけ彫っているところを見せてもらったことがある。手製だという幾つもの彫刻刀を自在に操り、迷いなく彫り上げていくさまには感心させられた。  仕事内容によっては木版にこだわらず、色使いも型に嵌まらない。新技術を試すことにも積極的だ。その辺りは、若さ故の柔軟性と言えようか。そのくせ、ある種の傲慢さから勘違いをして、主役を喰うこともない。あのバランス感覚は彼の強みだろう。あれほど作品に寄り添えるのも道理と、深く納得したものだ。  さて、とちらり腕時計を見遣り、石河は颯爽と駐車場へ足を向ける。今日の案件はこれで最後だ。今は平日の常設しかないことだし、画廊へ戻って留守中の確認を済ませれば、定時に上がれるだろう。  自動車を飛ばして商業ビル内に構える画廊まで戻ってくると、従業員から抱えている画家から連絡があったのだと申し送られた。  普段からあちこち飛び回っている主人に付き従ってくれる彼は、曾て芸術家を志していた人物である。せめて美術に携わっていたいと売り込んできたわけだが、良く学んでいたのは確かなようで、なかなかの目利きぶりに重宝していた。また、若手の相談役としても機能してくれており、石河としては大変有難い人材である  渡された書き付けを一瞥すれば、個展へ持ち込む作品について、打ち合わせがしたいようだ。どうやら、悩んでいた目玉作品の目処がたったらしい。酷い難産だったようだから、予定通りに開催できそうで幸いである。  今でこそ画廊の仕事も順調に伸びているが、石河の本業は古美術商だ。  父から受け継いだ家業は曾祖父の頃からの物らしく、代々目利きとして、業界では一目置かれていたりする。祖父は書画、父は西洋骨董を得意とし、石河は広く網羅しつつも、得意と聞かれれば書画と答えるだろう。  興味はそのまま現代作家へも向き、初めは本業の傍ら、旗師から始めたのだ。箱師(画廊主)となった頃に、半ば息子へ骨董店を任せることにし、現在へ至る。  本音を言えば、完全に息子へ譲り渡したいところだが、まだまだ目の利かない物もあるようで、不安だからと引き止められていた。腑甲斐無いとは言わないが、もう少し自信を持ってもらいたい。  息子は息子で得意分野があり、別にそれを専門と定めて骨董屋を営んでも構わないのだ。代々続いた店をそのまま維持したいという志は買いたいので、幾らでも使われてやるつもりはあるが、息子へそれを言ったことはない。  閑話休題。  画家へ連絡を取り、後日アトリエへ訪ねる約束を取り付けると、石河はそのまま手帳を眺めて予定について思案する。  これで展示作品は揃うことだし、本格的な準備に取りかかれそうだ。会場は画廊の小規模なものだが、SNSでも話題の画家だ。それなりに人出は見込めるだろう。告知のダイレクトメールも知己の店頭へ置かせてもらえることになっているし、新規開拓してもいい。  問題のダイレクトメールだが、デザインをかの唐紙師に頼んでみたいのだ。曾て渡された名刺の姿を見るまでもなく、良い物を作ってくれそうである。  打ち合せ前に可能か確認しておこうと、早速、自宅兼工房へ電話をかけた。スマートフォンの番号どころか、各種アドレスも当然知っているが、固定電話へかけるのは仕事の電話だという合図でもある。彼の住まいは本当に寂れつつある田舎で、集落の人間は大体顔見知りのうえ、電話をかけるより直接訪ねてしまうヒトビトばかりらしい。自ずと、固定電話が鳴るような用件は限られるのだそうだ。  ややあって繋がった受話器から、耳に馴染んだ声が聞こえる。 『お待たせしました、日浦です』 「やぁ、日浦くん。石河です。少し仕事の話しがしたいのだけど、今は大丈夫かな?」  構いません、と落ちついた声に促されて、現在準備している個展について語る。  件の画家は写真と見紛うほどの写実絵画による美人画を得意としている人物で、だからこそ、それを前面に出しただけのデザインでは、ただの写真にしか見えないという難物だ。それを君なりに飾ってほしいと請えば、そうですね……、と少々上の空に感じる相槌を打つ。 『……ネットで幾つか出てきましたけど、凄いですね、これ』 「そうだろう、現物を目の前にすると驚嘆するよ。撮影はこちらでして、素材を提供する形でお願いできないかな?」 『それなら、間引いていないデータで頂きたいです。しかし、俺でいいんですか?』 「そこは、私がきちんと口説き落とすんだ。受けてくれるなら確実に仕事は回すよ」  ふ、と向こうで笑ったような気配が漂った。わかりました、と応じた声は柔らかくて、どうやら気の所為ではないらしいことが窺える。 「助かるよ、有難う。そうだ、先日の屏風を納めてきたけれど、大層喜んでいただけたよ」 『それは良かったです。石河さんの仕事は、難しい物ばかりですから』  それから少し話しをして、通話を切ったところでメールが届く。確認してみれば日浦からで、口説き落とす材料にどうぞ、と美大時代の友人たちから個人的に請け負ったという仕事の見本データが幾つか添付されていた。いずれも個展の案内で、ダイレクトメールの他に、フライヤーやポスターもある。内容も洋画を始め、日本画や書など様々だ。  これは有難い、とすぐに礼を返信して、タブレットへデータを落とす。これで勝率は上がるだろう。あとは石河の腕の見せ所だ。  それにしても、一通り目を通してみると、デザイナー顔負けの仕事には感心する。そもそも、唐紙の紋様もグラフィックデザインと言えなくもないので、彼に向いた仕事なのかもしれない。  納品に出掛けていた間に積まれた雑務を片付け、画廊を閉めるのを従業員へ任せて、少し様子を見るつもりで古巣の骨董屋へ顔を出す。  こちらは、それなりに賑わう商店街の一隅に構えた古びた建物で、外観は小洒落た洋館風だ。建てたのは曾祖父らしいが、当時から店鋪として使用しており、今では市の有形文化財に指定される程度には古い建築物である。お蔭様で時折、若い女性がカフェと思い込んで迷い込む有り様だ。  息子の代になってから、そんな彼女たちにも興味をもってもらえるような、安価で可愛らしい品が店頭に並べられるようになっている。日本の豆皿や硝子の器、海外のアンティーク小物が大半だが、この辺りは息子の嫁のセンスだろう。  それらと一緒に並ぶ、経年で破損してしまった細々とした物を組んだアクセサリーも、嫁の作品だ。こちらは結婚前から細々と作ってセレクトショップ等へ卸していたもので、熱心なファンもついており、定期的に訪れる客もいるらしい。  姿の良い小振りな品々を眺めながら奥へ足を向けると、帳場に座っていた息子が「丁度良かった」と笑った。 「お父さん、華千代(はなちよ)さんとも顔見知りでしたよね?」 「あぁ。何かあったかな?」 「贋作が出てきたみたいですよ」  彼女は現代作家なんですけどね、と苦笑を浮かべ、午前中に持ち込まれたという軸について申し送られる。  依頼主は若年の女性で、父親が購入した掛軸の真贋を確かめてもらいたいと、生真面目に頼まれたのだそうだ。なんでも、父親の知人経由で「いい物だから」と言葉巧みに譲られたらしいのだが、その時の様子を聞くに、何となく胡散臭さを感じたらしい。  掛軸なんてわからないし、調べてみようにもサインらしき物もなんだかよくわからない。父親に確認しても、母親に叱られて畏縮してしまい、要領を得なかった。すっかり途方に暮れてしまった彼女は、確か骨董屋があったはずと抱えてきたようだ。残念ながら古物ではなく、現代作家の贋物だったわけだが。 「肉筆画で、まぁ悪くはない絵だったんですけどね。下手な花押(かおう)がなければ、飾ってあげればいいですよと言えたんですが」 「ふむ。華千代嬢の花押は、真似易く見えるだろうからなぁ」  非常にシンプルな一筆書きの蝶は、実のところ、単純ながら考え尽くされたバランスの代物なので、真似るのはなかなか難しいのだ。  何より、彼女の模倣を難しくしているのは。 「明らかにそこしか見てないのが、丸判りだったんですよねぇ。花押だけは何とか似せようと腐心したのが窺えたんですが、表装が本当にお粗末で。あれも含めて『華千代』でしょうに」  石河が心底惚れ込んだ表具の所為、だ。  着実に名を上げている日本画家の華千代には、真しやかに囁かれている噂がある。作品を自らが認めた経師屋にしか託さない、というのだ。  画家としての矜持の表れだと、諸先輩方から好意的に受け取られているそれは、半分当たりで、間違いである。  これは殆ど知られていないことなのだが、華千代とは合作名に近い。  その作品が初めて世に出たのは、件の卒業制作展。決して表に出てこないはずだった、華千代の相方を見い出したのは石河自身だ。だからこそ、他者が知り得ないことまで、当人たちから聞いて承知している。  彼は最初から、華千代の作品の為だけに新たな唐紙を起こし、それを表具に用いていた。おまけに、小さなお遊びのような隠し要素も仕込まれている。そもそも、適当に真似られる代物ではないのだ。  更に言えば、華千代という雅号と蝶を象った花押も、元は日浦の発案に依るらしい。本名で出しては意味がない、と笑ったのは華千代自身で、親の威光なぞいらぬと笑い飛ばしたのだった。  故に、彼女は謎多き日本画家、なのである。 「そうだなぁ。近々日浦くんの所へ出掛けてくるから、ついでに華千代嬢のアトリエにも顔を出してこようか。その軸は、どうしたのかな」 「お持ち帰りされましたよ。華千代さんについて説明して差し上げたら、逆に興味をもたれたようで。御両親をつれて個展へ出掛けたいと」  近々ありましたよね、と手許のノートパソコンへ視線を向ける息子へ、石河は苦笑を浮かべた。そういえば、サンプルに預かったデータの中にもあったはずだ。 「あるけれど、少々遠方だからなぁ。しかし、会場として確保した建物は雰囲気が随分いいらしいから、話題になりそうだね」 「お父さんの画廊では預からないんですか?」 「面白そうだけど、いろいろと問題がねぇ」  石河としては扱ってみたい画家ではあるが、彼女は自ら精力的に動く質だし、何より母堂が画廊を経営している。そちらを無視して、というわけにもいかないため、少々手が出し辛いのだ。彼女自身は、いずれ預けると言ってくれているのだけど。  その他にも小さな相談事を聞きながら過ごし、閉店準備を手伝うと連れ立って帰宅する。今日は嫁とまだ小さな孫息子が自宅へ来ているはずで、月一度行われる石河家恒例の料理教室と食事会なのだ。  始まりは至って単純で、石河の奥方は調理講師を長らくしており、その味に惚れ込んだ嫁が、是非とも教えてほしいと頼み込んだこと。そもそも奥方は、シェフになるために海外へ武者修行へ行っていた強者で、ヨーロッパの郷土料理もお手のもの。  一方の嫁は、結婚するまでは海外アンティークの買い付けでよく渡航していたそうで、あちらの味が恋しかったのだそう。  それから二人、仲良くキッチンに隠って料理をするようになった。嫁の手際がよくなるにつれて、一回の教室で作る品目が少しずつ増えてゆき、今では立派に食事会となっている。全員が懐かしい味に舌鼓を打ち、思い出話に花を咲かせる楽しい集いだ。  思えば、父子揃って何故か海外で日本人の嫁を見つけてくるという、よくわからないことをやらかしているわけだが、それも親子故と言えるだろうか。  ギリシア料理が並んだ食事会は和やかに進み、石河の一日は恙無く幕を閉じたのだった。   ◇◆◇  後日、画家との打ち合わせを経て、正式に日浦へダイレクトメールの制作依頼をしたところ、数日後には幾つかPDFデータが送られてきた。候補の中からどれか選んで、修正指示があればそれに書き込んでくれ、ということらしい。見事にそれぞれ方向性が違い、けれどどれを選んでも相応しく見える出来だ。  彼の仕事を目にして二つ返事で制作を了承した画家へ転送したところ、これが好きです、と即座に返ってきたメールに、思わず笑ってしまったものだった。彼が示したのは雲取り吉祥をあしらったもので、石河も一目でそれを気に入っていたのだから。  それは、彼の師匠の物とは違った視点で切り取られたような作品で、不思議と絵画に良く馴染む。  何故だろう、とよくよく観察してみれば、雲模様の中へモダンに図案化された花々が紛れ込んでおり、例えるならば、和風アール・ヌーヴォーといった風情だったのだ。線画だけで添えられたそれが、師匠へ対する彼なりの答えなのだろう。  どうしてこれを? と興味本位に画家へ尋ねてみたところ、紋様も好きだけど、個展の題字にあしらわれた花模様の雰囲気が良くて好きとのこと。  これってスカートの花模様ですよね、と画家に言われて初めてそれに気がついた石河は、相変わらず良く見ているなぁ、と日浦の仕事ぶりに感心させられたのだった。  以降、すっかり日浦を気に入ったらしいかの画家が、個展の度に彼を指名するようになったのは、また別の話し。毎回、今度は何処からモチーフを探してくれるのか、楽しみにしているらしい。  更に別の日には、息子から一報が寄せられた。  愉しげなその連絡によると、件の贋物を掴まされた一家は、華千代の個展会場近くに湯治場があったことから、娘が小旅行のつもりで行かないかと両親を誘い、出掛けていったという。雰囲気の良い古民家の至る所へ、小洒落た風情で飾られた作品の数々を眺めやり、すっかり魅了されてしまったそうだ。  こちらの方が断然素敵じゃないの、あんなので誤魔化されたなんて失礼だったなぁ、などとしみじみ会話を交わしていたところ、現代風に華やかな着物を着こなした美人に声をかけられた。どちらさま? と訝る一家に「これは失礼を」と華千代嬢本人であることを明かされて、大層驚いたらしい。  笑い話のつもりで、遠路遥々やってきた原因の話しをしたところ、面白がった彼女に件の軸を所望され、あんな物でよければとアトリエへ送ったのだそうだ。  そのこともすっかり忘れた頃、かの一家の元へ荷物が届けられた。  送り主に驚き慌てて開けてみれば、中から件の贋物を真似たような掛軸が一本、出てきたという。  こんなことがあったんです、と。  興奮気味に骨董屋までやってきた女性に見せられたその軸は、そこそこ宜しかった花鳥画を、きちんと華千代の筆致で描き直され、華千代らしい鮮やかな色使いの表装で完璧に仕上げられていたそうだ。一緒に添えられていた手紙には、譲って頂いたもののお返しだから末永く愛でてほしいと書かれていたそうで、女性の両親は大層恐縮し、今度はきちんと購入しようと話しているという。  こちらの御蔭で素敵なご縁がありました、と丁寧に御礼を言われたそうで、息子からも華千代嬢へ言伝を賜った。  何とも粋なことをしたものだね、と。  別件で訪ねた序でに当の本人へ告げたところ、彼女は可笑しげに笑って、アトリエに飾られた軸を指したのだった。  今日は作業着として唐桟(とうざん)の単衣を着込み、襷がけに前掛けまで装備している辺り、しっかり根を詰めて描いていたようである。そこに日浦までいたのは仕事の打ち合わせか、将又(はたまた)悪い癖を出した相方を心配して様子を見にきたのか。アトリエを辞したら工房へ訪ねるつもりだったから、石河としては有難い限りだ。 「おや。もしやあれが噂の」 「わざわざ飾ってるんですよ、こいつ」  趣味が悪いでしょう、と軽く眉根を寄せる日浦に、絵自体はそれほど悪くないだろう、と華千代は至極あっさり告げる。 「酷く基本に忠実だ。忠実なだけ、とも言うがね」  なるほど、と現物を目にすれば確かに息子の言う通り、華千代を名乗るにはお粗末としか言い様のない出来だ。花鳥画は悪くはないけれど華千代らしさは少しもないし、表具はどこか拙い。石河の印象では、無名の若い画家が描いたものを、まだ師匠に仕事を任せてもらえないくらいの経師屋の卵が仕上げたのではないだろうか。  そんなことを口にすれば、華千代も同感だと笑う。  評判だけを耳にした第三者の仕業か、将又この程度と侮った花鳥画の製作者たちが、お粗末にもやらかしたのか。  どちらにせよ、金になると判断されたのは間違いない。それはそれで喜ばしいことだ、と彼女は薄く笑う。 「あれは私が名をあげた証のようなものだから、手許に欲しかったんだ」  曰く、最初はかの一家の財産に違いないのだし「買い取りたい」と言ったそうなのだが、あちらが「とんでもない」とかぶりを振ったようだ。  うちも処遇に困ってしまう物でもあるから、お望みでしたら差し上げます、と。  恐縮したふうに言われてしまい、その場では「それではそのように」と頷いた。勿論その時には、交換ということで別の絵を差し上げようと考えていたらしいが。  そっくりそのまま、贋物の『元』を作ってしまおうと思いついたのは、現物が手許に届いてからだったそうだ。  取り上げてしまったのだから代わりは必要だろう? と悪戯っぽく笑う彼女へ、呆れたような眼差しを向けた日浦だったが。こっそりと華千代が囁くには、彼女の企みを聞き、贋物を目にして面白くなさそうな顔をした彼は、贋物の表装を忠実になぞりながらも、きちんと華千代の作品へと仕上げたのだそうだ。  それこそ、となりに並べれば格の違いがありありとわかる程度には。  仕事が細かいと笑う彼女は、軸を受け取り只管恐縮する一家へ、一つだけお願いをしたのだと、素知らぬ顔で付け加えた。  いずれ、もう少しだけ名をあげることが出来たのなら、差し上げたその軸を一時借り受けたいと。 「その時は、石河氏の画廊で、個展を開かせてもらえないだろうか。目玉はあの贋物で」  一番目立つ場所に並べて展示して、となりに逸話を掲示して。 「そうしたら、あれを作った贋作師も恥じ入るだろうさ。カナの仕事があるからこそ、華千代足り得るのだと」  どうやら、彼女なりに怒っているのは間違いないらしい。但し、自分の贋物を仕立てられたことではなく、日浦の仕事が侮られた、ただ一点に対して。  愉しそうだろう、とにんまり笑う華千代の横で、日浦が一つため息を落とした。 〈了〉
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