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花菱七宝
仲沢工務店の仕事は幅広い。曾て栄えた集落の建物全てを建てたと聞けば、誰もが納得するだろう。古びた町家の佇まいから和製洋館まで、現存している建物は、基本的に仲沢工務店勤務者のご先祖たちが建てているのだ。
現在の会社になったのは終戦後になるが、それまでは、それぞれ別の大工だったという。得意分野ごとに部門を分けて、一括管理にしたというやつだ。先細りしていくしかない集落内で、肩寄せあって生き抜いていくために必要だったのだろう。
それも近年に報われて、集落外からの仕事も着実に増えている。何せ、和製洋館を建てられる工務店はそうないし、古民家のリフォームが流行ったことも追い風になった。ノウハウの有る無しはやはり強い。
そんな仲沢工務店勤務の建築士、武内は古民家建築班の棟梁の息子である。兄弟たちは父と同じく大工となっており、末っ子も同じ道へ行こうとしたところで、父から止められた。
おまえは頭がいいから、建築士を目指せ。
そう言われて、どちらにせよ家を建てる職業なのだからいいか、と頷いた。少しだけ後悔したのは、工務店へ就職してからである。何故なら、建築士は工事監理をせねばならない。古民家班だけ請け負っておけばいいわけではなかったのだから。
そして現在、武内は手土産持参で日浦家を訪れ、畳に手をついて頭を下げていた。
「ほんっとうにごめん彼方! 彼方しか頼めなくて!」
「惇司、大丈夫だから。ていうか俺、経師屋だから、やるのは当たり前」
「うううありがとうぅう、でもごめん襖いっぱい……」
何せ、由緒ある古民家の修繕及び改築なのである。元々が武家屋敷だったらしく、襖や障子の枚数が尋常ではない。更に更に、そのうち何室かは、よくある白い紙襖障子ではないのだ。先方は、傷んだそれらの完全再現を所望している。因みに、何処の仕事か不明。探しようがないので、一から作る他ない。
唐紙師を名乗り身軽に動ける人材は、近隣には日浦しかいないのだ。襖を張り替えるのは他にも手配している経師屋もいるけれど、日浦の負担は大きい。
「というかその工事、自称一流建築士の仕事じゃないのか」
事前に一応打診があったぞ、と不思議そうに小首を傾げる日浦に、武内は深々とため息をついた。
「事故ってね」
「は、え? 大丈夫なのか、それ」
うん一応、と頷いて、武内は肩を落としながら、しみじみとぼやき倒す。
他の仕事先のご近所にて、ながらスマホの自転車に思いっきり激突されたうえに、運悪く下敷きになったようで、片足をぽっきりやってしまったそうだ。不自由している中でこの仕事量は無理だろうと、武内へも割り振られた形になる。
一番大きな仕事だったはずの古民家が押し付けられたのは、父が請け負った仕事だったことと、日浦と幼馴染みで気心が知れているというのもありそうだ。
素直に受け取った計画書に目を通して、初めて工事内容を知り、内心盛大に悲鳴をあげたのだけど。
更に更に、まだ日浦へ正式に依頼してすらいないと当人から聞いて、本気の悲鳴をあげたのは御愛嬌。依頼するはずだった日に事故に遭った挙げ句、周りもてんやわんやで誰も気づかなかった結果である。平身低頭してお詫びしつつ、渾身のお願いをする羽目になったのは無理もない。
「ところで、白襖でない襖って、絵を描いたやつ?」
修復や模写も出来なくはないけど、と小首を傾げる日浦に、そこからか、と気づいた武内は慌ててかぶりを振った。
「違う違う、なんていうの? 唐紙でコラージュというか、パッチワークみたいにしてて」
うん? と訝しく眉根を寄せて、日浦は思案げな様子を見せる。
「扇面みたいなの貼ってる?」
「んん、見てもらった方が早いと思う。いろいろあってさ。こう、公的な空間は白いんだけど、客間とか私的な部屋だったのかな? ちょっと遊んでるというか、凝ってる感じで。それが全部唐紙なんだよ」
武内が可愛いと思ったのは、赤い唐紙と白い唐紙で作られた大振りな市松模様だ。唐紙は連続した丸い模様を刷った物だったが、紙が切り替わっても、きちんと繋がっているという凝りよう。白唐紙には赤で、赤唐紙には白で紋様が刷り込まれていたのも芸が細かい。そうして、所々に散る金銀が艶やかで奇麗だった。
それが一番派手な印象だったが、現代に通じる、デザイン性の高い物ばかりで、感心させられたものである。
「はぁ、それで俺か。その唐紙を再現しろってことね」
なるほど、と納得したふうに頷いて、ちらりと奥へ視線を向けた。
「まぁ、取り敢えず。まずはうちの版木を確認してからか」
もしかしたら先代が引き取った中に件の版木があるかもしれない、と思案げに言われて、武内は背筋を正した。
「ありそう?」
「随分古いのもあるのは確か。廃業した工房が結構古かったらしくて」
創業はいつなのか、最早判らないが、日浦の先代は件の工房廃業時に、版木は残らず全て引き取ったらしい。日浦家には作業場の横に版木専用の保管室もあるそうで、日浦作、先代作、引き取ったもので分けて置いてあるそうだ。
「じゃぁ、僕も手伝うよ。工務店からも人呼ぶし」
「ん、助かる。問題の襖はいつ持ち込まれるんだ?」
「運搬準備は出来てるから、こちらで受け入れられるならいつでも」
「じゃぁ、明日でも?」
大丈夫、と頷くと、武内はほっと一息吐いた。
「見つかるといいね、版木」
「傷んでなければ、な」
汎用の版木だった場合、へたって欠けてしまっていることもあり得るし、引き取ってからは保管に気をつけているとはいえ、古すぎるものはどうなっているかもわからない。何せ、日浦も把握できないほどにはあるそうだ。
「この機会に、整理するかなぁ。紋様ごとに区分けして、番号振って見本帳作って。専用の什器、注文していいか?」
「あー、人手出すから丁度いいかもね。大捜索する序でに分類毎にしちゃえばいいんだし」
インテリア部門にも声かけておくよ、と手帳を取り出して書き付ける。
これで、少し気が楽になった。建物の方は家族に任せておけば心配ないし、他の手配も済んでいる。日浦への依頼項目をグレーマーカーでチェックして、念のため確認しなおすと、手帳を閉じて鞄へ仕舞い込んだ。
「惇司、仕事終わりは何時?」
「うん? 今日はこれで直帰だよ。あちこち回って調整しなきゃで。彼方の家が最後」
「じゃぁ、飯食ってけば? 今日は弘来るし」
小日向が来る、の一言で、武内はぱっと目を輝かせる。そのままいい笑顔で「ご馳走になります!」と宣言した。
「やった、何作る? 僕も手伝える?」
「さぁ? なんか、むしゃくしゃするから飯作りに行くとか言われて」
ということは、渾身のB級グルメの可能性が高い。何故か彼は、ストレスを溜めるとジャンクな料理を食べたがるのだ。
因みに小日向曰く、B級グルメとご当地グルメは別物、らしい。安価で気軽にかっ込めて美味いもの、がB級グルメの定義らしいが、ご当地グルメは地域の特産を打ち出すためにB級に寄せた商法に過ぎないそうだ。武内としては、美味ければなんでも歓迎なので、物申すつもりはない。食べるだけの人間なんてこんなものだ。
時間を潰すため、久し振りに日浦と駄弁っていると、不格好に膨らんだ大判のエコバッグを抱えたスーツ姿の小日向が顔を出し、きょとりと目を瞬かせた。
「あれ? 惇司。何、どうした?」
「お疲れ、弘。仕事で来たら、飯食ってけって誘われたー」
仕事? と首を傾げられ、軽く仕事の概要を語る。そうして、そっちはどうしたの、と序でに尋ねると、果たして彼は盛大にため息をついた。
「出張三昧なんだよ! いきなり展示会行けとか言われるし! 俺、他の仕事あるのに!」
「いきなりって、なんで。そういうの、前もって予定組まれるよね?」
「……元の担当者、季節外れのインフルだそうな……」
遠い目でぽつりと言われて、それは仕方ないね、と苦笑する。
「僕も先輩が事故って代打だしさ。中堅って辛いねぇ」
「で、今日はどうするんだ?」
夕飯、とエコバックを見遣る日浦に、小日向はそいつを縁側へ置いてあっさりと応じた。
「食いたかったから餃子。但し包んでる時間ないし、出先にあった生餃子販売店で大量に仕入れてきた」
これに粉チーズで羽つける、と真顔で言われて、武内も真顔になる。
「それは、ビールが必要な案件じゃ……?」
「ビールならあるぞ。石河さんのお薦め品」
途端に渋い顔になった小日向が、明らかに警戒した様子で恐る恐る尋ねた。
「……今度はどんな際物だ?」
「安心しろ、ホワイトエールだ。きちんとオレンジピールとハーブの香りも判別できる、美味いやつ」
「よし、じゃぁホットプレートで一気に作ろうぜ」
現金だなぁ、と笑いながら立ち上がった武内は、食べさせてもらう人間の対価として働くべく台所へ向かう。
日浦家には、何かと友人たちが溜まり場にする所為で、色々と物が揃っている。ホットプレートもそのうちの一つで、一般家庭に用意される中では最大の物があるのだ。
因みに、それだと不便ということで、一人用の最少サイズもあったりする。この辺りの調理器具類は、日浦曰く、いつの間にやら増えているそうだ。武内にも持ち込んだ憶えがあるため、その辺りは沈黙を貫いている。
こうして始まった夕食会は、段々と愚痴大会へと移行して、日浦はひたすら聞き役へ徹してくれたのだった。
◇◆◇
翌日、工房へ持ち込まれた複数枚の紙襖障子を眺めやって、日浦は感心した風情で武内を振り返った。
「凄いな、これ」
でしょう、と笑いながら改めて眺める襖は、並べてみれば一層華やかである。単体で見れば、決して派手派手しいわけではない。唐紙の色味も渋めと言える。けれど、その佇まいがとてもモダンなのだ。
これを初めて目にしたインテリア部門のデザイナーは、大いに参考になると、興奮気味にスマートフォンを構えていた。
「……これ、七宝繋ぎに花文組み合わせてるんだな。統一してるのか」
「え? あ、本当だ。気づかなかった」
指摘されてよく見れば、刷り込まれた紋様自体は同じようだ。
同じ半径の円を、円周の四分の一ずつ重ねて四方に列ねる、有職紋様と呼ばれる種類のもの。その円の中心に、菱形のように花弁を四枚広げた花が飾られていた。日浦は花文と呼んだが、こうした形の模様を花菱とも言うらしい。
それを刷り込んだ唐紙の色や刷り色、扱い方で変化を見せており、それだけで印象ががらりと変わる。
「これなら、万一版木がなくても、そこまで大変じゃない?」
「……いや、大きさが、違う……な。基本、線画で構成されているから、繊細といえば繊細だし」
うへぇ、と嫌そうに呻いた武内に小さく吹いて、日浦は手伝いに駆り出された工務店の人員を振り返った。
「それじゃぁ、今日は宜しくお願いします」
版木の保管庫は、おそらく日浦家で一番場所を取っていると思われる。工房も作業によっては狭いと困るらしく広々としているが、その凡そ二部屋分ではないかとのこと。曖昧なのは、現在版木で溢れていてよく判らないからだ。
一応、棚に仕舞われているものの、積まれて置かれているものが殆ど。日浦が受け継いでから、先代が引き取った分については、ほぼ触っていないらしい。先代はそれら全てが頭に入っていたのか、迷う様子もなく版木を持ち出してきていたそうだ。そうした一部だけしか日浦は見ていないし、触ったのも僅かだという。
保管庫から人海戦術で持ち出された版木は、大雑把に分類しつつ先代が使っていた部屋へと運ばれていく。すっかり片付けられたそこは普段、帰るのが面倒になった幼馴染みたちが転がり込む客間としても使われていた。
畳の上には、日浦が「大体こういう紋様の場所」として、紋様を走り描きした紙が置かれている。それを頼りに、更に似通った物を積むようにしているわけだ。
「んんー、なかなかないねぇ」
「量もあるからなぁ。というか、俺も初めて見たのがちらほらと」
運び込む彼らの横では、インテリア部門の人間が版木の大きさを測っている。
厚みと大きさは統一されているため、一枚ずつ部屋を作ってやる形になるらしい。全てを木製で賄うと重くなり過ぎるため、部屋の仕切りを工夫するつもりだと言っていた。地震で滑り落ちてくるのも怖いから、少し工夫もするようである。
什器の仕様について日浦と話しつつ、ざかざかスケッチを仕上げた担当者は、続いて保管庫の測量へ向かった。
その間も、次々と運び込まれる版木に時折、決まりきった有職紋様から変型したもの等、分類に該当しない物が混じる。日浦もよくやる手法だそうだが、既存の割付紋様に、他の紋様を組み合わせて表現するのだ。よく見かけるのは、流水や籠目、麻の葉に草花を組み合わせたもの。この辺りは定番と言っても過言ではないという。
更に、草花へ分類されるものになると多種多様で、途中で分類を細かくしたほどだ。今も新たに描きあげた紙を置き、日浦は僅かに眉根を寄せる。
「……これは、スペース足りないか……?」
「工房にも運び込む?」
武内の問いに、応じかけたとき、版木を抱えた青年が、ひょっこり顔を出した。
「日浦さん、これ、そうじゃないですか?」
はい、と版木を掲げて見せられて、日浦は即座に工房を示す。
「照らしてみましょう」
連れ立って向かう二人を見送り、草花の再分類を始めて暫く、版木を抱えた女性が部屋を覗き込んだ。
「あれ? 武内さん、日浦さんは?」
「工房です。どうしました?」
「えぇと、多分この版木もそうじゃないかなって」
おや、と軽く眉を持ち上げ、武内は彼女が抱える版木を見遣る。
「もしかして、固めて置いてあったんでしょうか」
「そうなのかも? これも工房に持って行きます?」
そうですね、と頷いて先に立つ。そうして、工房を覗き込むと襖障子の前で膝を着いている日浦へ声を掛けた。
「彼方ー、もう一つ、それっぽいのあったって」
「持ってきて。さっきのは当たりだ」
手招かれ、女性から版木を受け取って傍まで行くと、目の前の襖障子を指される。
「これだった。そっちは?」
「ちょっと大きめ?」
版木を眺めてから日浦へ手渡すと、彼は紋様を確認してから襖障子を見回す。そうして、徐に立ち上がった。目星をつけた襖障子と版木を見比べて、次へ移動する。それを繰り返したのち、武内へ版木を差し出した。
「ごめん、持ってて」
「へ? あ、うん」
慌てて受け取ると、日浦は襖障子を幾つか入れ替え、数枚を近くへ固めた。同じ意匠は勿論、全く別のデザインの物までまとめられて、武内は首を傾げる。
「これだけ、だな。その版木を使ったのは」
「え、そうなの? 使い回してるのもあるんだ?」
「そりゃぁ、な。唐紙一枚毎に一つ版木彫ってたら邪魔にもほどがある」
苦笑を浮かべた日浦は襖障子をぐるりと見回して、今度は先に持ち込んだ物を使用していると思われる襖障子を集めた。そうして、残されたものへ目を向ける。
「大体、唐紙の面積に対して大きさを変えてるみたいだな。多分……、あと一つか」
ほほう、と感心したふうに相槌を打って、武内は一つ思い出して口にした。
「そういえば、これとさっきの版木、近いところにあったって。残りもすぐに見つかるかもね?」
「だったら有難い」
武内から版木を受け取り襖障子の傍へ置くと、日浦は保管庫へ戻るよう促す。
こうして一日掛けて版木の大移動が行われ、無事に残りの版木も発掘されると、日浦は早速仕事に取りかかったのだ。
幸いなことに版木へ重篤な傷みは見られず、日浦がその場で試し刷りした印面は、襖障子のものと変わらぬ佇まいをしている。これならそんなに時間は貰わないで済むな、と日浦はにんまり笑って請け負ってくれたのだった。そうして、仕事をするうえで確認してくれと頼まれたのは一つだけ。
唐紙を本来の色で再現するのかどうか、だ。
経年で色褪せするのは当然で、今回持ち込んだ襖障子も、剥がしてみれば本来の色が判るだろうと日浦は言う。
所々に金銀が散ってはいるものの、地色の白を除けば、基本的に各々一色のみで構成されているのだ。艶やかに見えるのは、偏に手掛けた経師屋の、構成の巧さに依るらしい。
白地に刷り込まれた色と、唐紙の色が違って見えるものがあるのは、使われた素材の差で褪せ方が違ったために、そうなったそうだ。褪せやすい色は特に、驚くほど印象が変わると予想される。
曾ての鮮やかさを求めるのか、それとも現在見慣れたこの色を出すのか。
ちょっと待って、とスマートフォンを取り出して時間を確認し、施行主へ電話をかける。
すぐに繋がった相手へ軽い挨拶と進捗を報告したのち、日浦の言葉を伝えて確認すると、先方は迷わず「本来の色で」と応じた。
そもそも、施行主の意向は過去と現代の調和だ。彼が家屋を受け継いだ時には、既に幾らか手が入っており、原形を留めてはいなかった。そのうちの不格好な部分を修正し、曾ての佇まいを可能な限り取り戻しつつ、現代の住まいとしても遜色なくしたいと言っていたのである。
今更、ガラス障子を全部紙には戻せませんしね、と。
笑っていたらしい施行主の中には、明確な線引きが存在しているようだ。それに基づいて的確に判断してくれるため、大変有難い施行主と言える。
引き継いでから確認した現場写真を見るに、増築を請け負った業者は、高度成長期によく見られた手抜き施行を行ったらしい。お粗末な継ぎ接ぎのトタン屋根には目眩がしたし、妙に飛び出した水周りは最悪の一言だった。折角の庭を台無しにしてまで設置した湯舟が一人風呂だなんて、涙が出そうになる。
不幸中の幸いだったのは、母屋の主だった柱や梁、大引や根太、土台に妙な手を加えられていなかったことか。悲惨な物件になると、無惨に断ち切られて中に浮いていたり、全く用を成さない有り様になっていたりする。
歪んで今にも崩れ落ちそうになっていた小屋は既に取り壊され、一部の壁と床も剥がされた。壁の位置を移動し、更に幾つか追加することになるだろう。無理矢理押し込んだふうの台所は取り払われ、曾ての土間を一時晒している最中だ。
水周りは全て屋内へ移動。台所を今風のシステムキッチンへ置き換え、その周囲の部屋を潰して、風呂やトイレを設置する予定だ。間仕切りに使われていた襖障子の枚数も少し減って、日浦に作り直してもらう枚数も、元あった数から少なくなる。
一流建築士を自称するだけあって、先輩が引いた設計図は住む人の利便性がよく考えられていて、眺める度に感心した。大正時代までに完成した和洋折衷屋敷の手法が巧く取り入れられており、無理なく調和するだろうと思われる。
施行主のおしゃまな娘の希望により、洋間に作り替える予定の部屋に使う建具は、大正時代の建物を解体した時に出た中透かし戸だ。これも彼が見つけてきた物で、彼女は一目見て気に入ったらしい。
彼女の部屋は同じ建物から回収した飴色の床材を張る予定で、天井も同じく拝借してきた物を利用。壁も漆喰で仕上げることになっていた。窓はガラス障子に切り替えられた頃の物が素晴らしいので、そのまま採用。
雰囲気としては、古き良き時代のご令嬢の居室といったところか。上品で、どこか可愛らしい部屋になりそうである。
どうやら、彼女の希望する「素敵なお部屋」を、お喋りしながら巧みに聞き出して設計したらしい。その所為か彼女は先輩に懐いており、怪我をしたので担当を交替したと報告に訪れた時は、泣きそうな顔で大層心配していた。
あんなふうに人を喜ばせる仕事が出来るようになりたいな、と憧れるものの、惚れっぽいところが玉に瑕か。あれと、ちょっと自信過剰過ぎやしないか、と思わせるあの性格がなければ完璧なのに、と思わないでもない。見た目が爽やか系で悪くないだけに勿体無い、とは同僚女性の弁だ。
閑話休題。
日浦へ施行主の意向を伝え、保管庫をざっとみんなで掃除したあと、従業員たちと一緒に工房を辞した。インテリア部門はこのまま什器製作へ移るそうで、社屋へ帰り着くと、そのまま作業場へ去って行く。他の社員たちと別れて古民家建築班の部屋へ向かった武内は、室内の白板前に立っていた末兄に気がついた。
「お帰り、惇司。どうだった?」
「お疲れさま。彼方の所に版木あったから、一から作らなくて済んだよ」
「そりゃ良かった。現場も順調だ。今日も労災なし」
工事進捗を書き込んだ末兄は、武内を振り向いてにんまり笑った。
「そういや、今日は現場にお姫さま来てたぞ。お兄ちゃんいないんですかって」
「あれ? そうなんだ。さっき電話した時、そんな話は聞かなかったけど」
「奥さんと来てたからじゃないか? おまえもすっかり懐かれたなぁ」
懐かれたというより心配されているんじゃないだろうか、と何処か遠い目で応じると、けらけら笑う。その背中をぺしりと叩いて、武内は「笑い過ぎ」と苦言を呈した。
幼い彼女にしてみれば、親しくしていた知人が怪我をしたことが相当ショックだったのだろうから、笑い事にしてはいけない。
「おまえ、これで上がりなら久し振りに家へ来いよ。うちの娘も会いたがってるし」
「行くのはいいけど、ちゃんと連絡してよ。突然訪ねたら義姉さん困るだろ」
大丈夫だ、と気にしたふうもなく笑う末兄を横目にスマートフォンを取り出して、手早く義姉へメッセージを送る。こういう時、父や兄たちの「大丈夫」ほど宛てにならないものはないのだ。
間もなく返ってきた「連絡有難う、これからごはん食べにおいで」と文面を確認していると、末兄のスマートフォンが鳴った。取り出した彼が微妙そうな表情をするさまに、ちらりと覗いてみると、義姉から罵倒と共に「弟を見倣え」とメッセージが届いている。
「……ほらみろ。昔の大家族じゃないんだから、突然連れ帰ったら困るに決まってるよ」
何か手土産買って行った方がいいかな、と考えながら帰り支度に取りかかる武内の背後から、末兄のため息が聞こえた。
どうせ、また喧嘩になっているのだろう。仕方ないな、と内心ため息をついて、武内は振り向いた。
「手土産買うから車回してよ。美味しいプリン売ってるケーキ屋があるんだって。序でに花屋に寄って、小さめの可愛いブーケでも買って謝れば?」
「……ブーケ」
「コップにも挿せるくらいの奴ね。変に見栄はったもの大量に買うより印象いいらしいよ。あと、反省して態度も改める」
先輩の受け売りだけど、と半眼で告げれば、末兄は項垂れて深々とため息を落とす。最終的には性格の不一致で振られるものの、結構もてるかの人物の助言というのが納得いかないのだろう。しかし、彼ががっちり女性の心を掴みにいけるのも確かなのだ。
というか、反省しろって自分のことじゃないか、と。
聞かされた時に内心突っ込んだのは秘密である。
〈了〉
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