向鶴

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向鶴

 つっかれたぁ、と深く嘆息しながら新幹線のシートへ座る。ネクタイを軽く緩め、留めていたスーツのボタンも外して、深く身体を沈めた。  今回の展示会は恙無く終わって、新規顧客はないものの、興味を持ってくれたらしい手応えは幾らかあったように思う。弟が打ち出したシリーズは発色の柔らかさとシンプルさが売りで、女性客に受けが良さそうだと好印象を与えられたようだ。  小日向(こひなた)の実家は、古くから磁器を製作販売している。  曾て栄えていた頃には、陶工や絵付け師を幾人も抱えていたそうだ。後に工業化し、機械生成となって量産を始めたが、それも戦後は苦戦を強いられた。  小日向自身は残念ながら絵心がなかったが、営業職を請け負って飛び回っており、歳の離れた弟は絵付けと開発を担い、将来盛り立ててくれそうである。父親は小日向に会社を継いでほしいらしいが、未だにのらりくらりと躱している最中だ。  今は趣味と嘯いているけれど、小さい頃から続けている陶芸を、諦め切れないから。  小日向の工房は、日浦(ひうら)家の離れにひっそりと存在している。空家のままになっていたそれを貸してくれと、日浦の祖父へ頼み込んだのは随分昔のこと。家賃代わりに使う日に晩飯でも作ってくれ、と軽く言われて了承した。それは今でも続いていて、休日は大体日浦家に入り浸っていたりする。  インターネットが普及した現在、作品を売ることには困らない。クリエイター御用達マーケットアプリへ適当に流せば、それなりに買い手はついた。  彼が作る物は全体的に薄地で、ぽってりと丸い風合いをしており、しっとりと手に吸い付くようなマッドな質感と、淡い色で構成されている。配色に関しては、何となく日浦の祖父から影響されているような気もするが。  近頃のお得意様は背島(せなしま)で、彼女の依頼で食器を一揃作っている最中だ。  曰く、ヒロの食器は得意げに陶器を前面に押し付けていないのが良い、らしい。  どうやら彼女は曾て流行った、渋すぎる色味で如何にもなガラス質の釉薬をこれ見よがしにかけた、分厚いコーヒーカップのような代物が嫌いだそうで、初めて工房を訪れた時は惚れ惚れと作品を眺めていたものだ。  そもそも彼女が顧客となったのは、日浦の家に幾らでもある小日向作の食器を前にして、目を輝かせたことから始まったのである。最近では、井波(いなみ)も幾つか作ってほしいと言っており、帰ったらきちんと話を詰める予定だ。  ぴろん、とポケットに放り込んでいたスマートフォンが鳴って、小日向はのそりと身体を起こして取り出す。確認すれば尾野(おの)からで、どうやら井波から夕飯のご招待らしい。 「お、やった。グラタン?」  そんなの行くに決まってんじゃん、と手早く返信を打つと、井波の家へ集合との指示がくだる。  どうやら、いつもの溜まり場と化している日浦家は、現在日浦が仕事で缶詰め中だから不可のようだ。集まる面々の自宅配置を考えた場合、中心にある井波家が選ばれたのも道理である。他には、調理器具の充実度だろうか。  井波の作るグラタンは、三十センチ角の大きな耐熱ガラス製の深皿へ、層も奇麗に見えるよう具材が詰め込まれる代物だ。それを囲んでみんなで突つく、というのが定番となりつつある。ベシャメルソースも絶品だし、野菜も美味しくたくさん食べられるのだ。  帰りに何か酒でも見繕っていくべきだろうか、と思案してメッセージを打つと、即座に尾野から白ワインを指定される。どうやら今日のメインは海鮮のようだ。  それから酒屋を営む友人へ条件込みで酒を見繕っておいてほしいとメッセージを送り、更に母へ井波の所で夕飯をご馳走になることになったと送って、スマートフォンをしまう。あとは最寄り駅へ到着後、地元へ帰る前に酒屋へ自動車を回せばいいだけだ。奴の酒へのこだわりは尾野並みなので、任せておけば安心である。  この酒屋の若旦那は小日向の同級生で、高校時代につるんでいた男だ。  日浦は進学のために数年地元を離れていたが、小日向は変わらず地元住みで、バイクで一時間掛けて通学していた。今でこそ集落でもコミュニティバスが走るようになったが、当時はそれすらなかったので、必要に迫られたのだ。  その頃に出来た友人たちとは未だに繋がっており、時間が合えば遊ぶこともある。そこから仕事へ繋がることも稀にあるため、疎かに出来ない付き合いだ。とはいえ、そろそろ既婚者も増えて、ぽろぽろ人が欠けていっているけれど。  日浦とは幼馴染みではあるが、学年が違うこともあって、実は在学中に学内でつるんでいたことはない。  それでも交流が切れなかったのは、小日向が日浦家に入り浸っていたからこそ、と言えるだろう。日浦の祖父母には実の孫並みに可愛がってもらっていたし、当の孫が外で暮らしていた間は、殆ど離れに住んでいた。その頃に日浦の祖母が亡くなって、日浦の祖父のことが心配だったこともある。  日浦が戻ってきて実家へ帰ったものの、週末に通う日々に変わっただけ。そのさまに、母は日浦さん家へ息子を一人やったつもりだったらしいと、つい最近知った。小日向が跡取りとしてがっちり囲い込まれていないのは、有難いことに家付き娘である母の気遣いだったようだ。  あんたは日浦のお兄ちゃんの跡継ぎだものね、と。  手の中にすっぽり収まる息子の作品を眺めながら、懐かしそうに言われた一言が、少しだけ誇らしかったものである。それ以来、何故か父も、あまりしつこく言わなくなった。  新幹線から在来線へ乗り換えて、最寄り駅まで移動する。駅前駐車場から愛車を引き取ると、酒屋へ向けて発進した。賑やかな商店街を突き進み、間もなく見えてきた商業ビルの駐車場へ滑り込むと、その一階に構える酒屋へと顔を覗かせる。 「藤元(ふじもと)ー、頼んだの、どう?」 「お疲れさん、小日向。幾つか出したから選べ」  すっきり整えられた洒落た店の奥から手招かれて、何気なく店内を見回しながら奥のワインセラーへ向かう。頻繁に訪れる酒屋だが、その度に品揃えが変わっていて面白い。ふと目に飛び込んできた、シンプルなラベルの水色の瓶は、日本酒だろうか。 「なぁ、なんか面白そうな日本酒入ってんな?」 「あー、目敏いな。そっち別に話しあるから、後でな」  分厚いビニール製の暖簾のようなカーテンを掻き分けて、薄暗くひんやりとしたワインセラーへと足を踏み入れれば、目に飛び込んでくるのは煉瓦造りの壁だ。作り付けの木製の棚には整然とワインや一部その他の酒類が並び、飴色をしたフローリングの床には木箱も積まれている。  この店は本来、実家の酒屋とは別に、友人の祖父が持っていたワイン専門店だった。現在は引退し友人へ任されて、ワイン以外にも面白いと思った物はなんでも置いている、知る人ぞ知る酒屋となっている。祖父の頃からあった角打(かくう)ちもそのままに、立ち飲み屋の代わりに一杯引っ掛けていくヒトビトもいるという。  中央へ置かれた丸テーブルの上には白ワインが数本並べられており、友人は「どうぞ」とばかりにそれらを示した。 「おまえ好みと、尾野ちゃん好みと、料理目線と、俺のお薦め」 「んん? ドイツ、イタリア、チリと、これ何処」 「そいつもドイツ。ボックスボイテルの白。フランケンワインだな。いいのが入ったとこでさぁ」  ほほう、と独特のずんぐりした形のワインボトルを手に取る。 「じゃぁ、これ」 「毎度ー。会計序でに、あっちで相談乗ってくれ」  訝しく友人について会計台へ向かうと、先にワインの会計を済ませる。緩衝剤を被せて紙袋へ入れたのをこちらへ押しやった彼は、棚から先程の四合瓶(よんごうびん)を取って戻ってきた。 「この蔵な、今まで他所へタンクで原酒卸してた所なんだけど、細々と自分の蔵のブランドも出し始めててさ。いい酒なんだよ。無名なのが勿体無いくらい」 「ふぅん? で、相談って何」 「ここと、この土地の米と水だけ使って地酒作ろうって話があってさ」  うちの通販でそいつを大々的に売りたいんだよね、とにんまり笑う。 「んでさ、パッケージ一式作りたいんだけど。確かおまえの幼馴染みが、そういうのやってなかった? 紹介してほしくて」 「あー……? そういうのやってないぞ。いや、でもたまにデザインやってるなぁ」  眉間に皺を寄せて唸る小日向に、友人は小首を傾げた。 「あれ、デザイナーじゃなかった?」 「違う違う、本職は経師屋(きょうじや)。ただ、唐紙(からかみ)の図案自分で起こして作ったりもしてるし、その関係でたまに紙物のデザイン頼まれたりするってだけで」  ちょっと待って、とスマートフォンを取り出し尾野のSNSを開くと、目当ての画像を表示させる。 「ほれ、こういうの」  示したのは刷り上がった唐紙や版木、それから華千代(はなちよ)の個展告知用のフライヤーだ。 「デザイン仕事は、こういう唐紙の紋様(もんよう)活かしてほしくて、わざわざ頼んでるみたいだな」 「へぇ、いいじゃん。つか、こういう紋様あしらうの面白そうだなぁ」 「いいなら、話しておくけど? 今度連れてこようか」  悪いな、と明るく笑って、四合瓶にも緩衝剤を被せて、こちらは瓶用の細い作りのビニール袋へ放り込んだ。 「じゃぁ、こいつは俺の奢りってことで進呈。その幼馴染みと一緒に飲んでくれよ。味知ってもらって、興味持ってほしいし」 「はいよ。ただ、今大物の仕事抱えてるみたいだから、すぐは無理だぞ」  差し出された袋を受け取りながら釘を刺せば、大丈夫としっかり頷く。 「次の蔵開きまでに間に合えばいいからさ。宜しくな」  ひらひらと手を振って酒屋を出ると、小日向は小さく嘆息した。当初はこのまま井波家へ直行するつもりだったが、何となく危険な気がする。一度自宅へ戻るべきか、日浦家の離れへ寄ってからにするか。 「……離れだな」  自宅へ帰ると、再び出るのが億劫だ。どうせ日浦と飲むのだし、離れには小型冷蔵庫もある。先に冷しておけばいいだろう。  愛車に乗り込んで、エンジンをかける前にグループへメッセージを送る。ここから地元へは約一時間といったところ。買い物完了の報告と凡その到着時間を告げると、即座に了承の返事がくる。それを確認して、愛車に取り付けたホルダーへスマートフォンを差した。  さてグラタンだ、と鼻歌混じりにエンジンをかけて、ゆったりと発進する。  小日向の料理の師は故日浦老夫人で、彼女は近所で評判の料理上手だった。それを食べて育ち、興味を持って手解きを受け、後にどつぼに嵌まってめきめき腕をあげていった彼が認める料理人。それが井波だ。  小日向が和食を中心に、郷土料理と御当地、B級グルメ的な諸々を網羅しているのとは違い、彼女は洋食を初めとして、日本国内で認知され、家庭でもそれなりに食べられてもいる各国の料理を幅広く網羅している。先日の飲み会に持参してくれたタンドリーチキンは、大変美味かった。  こうして期待に胸を脹らませ、到着した井波邸で披露されたシーフードとポテトのグラタンを有難く頂きながら、小日向は参加しなかった二人を思い、あいつら食べられなくて残念だなぁとため息をついたのだった。   ◇◆◇  数日後の仕事終わり、日浦の仕事が完了したのを見計らって家へ訪ねると、彼は前庭へ面した掃き出し窓を開け放ち、居間の卓袱台(ちゃぶだい)でラフを描いている最中だった。  一旦離れへ寄って、冷していた酒を手に戻ってくると、勝手知ったるとばかりに縁側から上がり込む。何の奴? と手許を覗き込むと、日浦は手を伸ばして掴んだ紙切れを小日向へ差し出した。 「うん? あ、蝶子(ちょうこ)の仕事か」 「それ描いてて、ぶっ倒れる寸前だった」  低い声がぽつりと零れて、視線をあげた小日向は、不機嫌そうな幼馴染みの様子に「あぁあ」と苦笑を浮かべる。 「それで連絡つかなかったのかぁ。今回どうすんの」 「額装するっていうから、マットに紋様いれて、額縁にも少し手を入れる予定」 「おまえ、本当に器用だねぇ」  今日はどうした、と手を止めて振り仰ぐ日浦に、小日向は手にした水色の四合瓶を掲げてみせた。 「お仕事の話。それに関連して酒貰ったから飲もうぜ」  きょとりと目を瞬かせる日浦の前に四合瓶を置いて、どかりと座る。 「俺の連れのやってる酒屋でさ、蔵と一緒に地酒作るんだって。それのパッケ一式、彼方(かなた)に頼めないかって。これは、その蔵の酒」 「パッケージデザイン? 俺に?」 「一応、ちゃんと経師屋だって教えてるし、軽くすぐ見せられる程度の仕事も見せて確認してる。フライヤーの紋様使いに興味持ったみたいだな」  ふぅん、と相槌を打って四合瓶へ手を伸ばした。  裏書きによれば、夏向けにさっぱりと作られた物のようで、食中酒へ推奨されている。緑や茶の遮光瓶が使用されることが多い中、目に涼やかな水色の瓶は、わかりやすく爽やかさを印象づけるためだろうか。白を基調としたラベルデザインも非常にシンプルで、売場ではよく目を引いた。近頃は、味の目安としてグラフを記しているものも多々あるけれど、これにはない。 「今日の夕飯、煮浸しと親子丼のつもりだったんだけど、それでいい?」 「おう。何手伝う?」 「御飯の解凍、したら適当にツマミでも作って」  はいよ、と応じてスーツの上着を脱ぐ。序でに邪魔かとネクタイも外し、袖を捲っているうちに日浦が卓上を片付けて、二人は台所へ向かった。  先に手を洗った日浦が冷蔵庫から材料を取り出す間に、小日向もしっかり手を洗い、用意した盆に箸を二膳乗せて食器棚を振り返る。  食器棚から取り出した丼は、昔から小日向専用に使わせてもらっている物だ。ぽってり丸い、手に吸い付くような手触りの、クリーム色の丼。淡い色で描かれた模様は向鶴(むかいづる)で、破れと言われる手法で隙間を作りながら敷き詰められている。時折濃い色が紛れ込んでおり、それが妙に幼心をくすぐって、この丼が大好きだった。  これを作ったのは、日浦の伯父だ。  日浦家の兄弟は揃って父親の家業を継ごうとはしなかった。それを、日浦翁も咎めはしなかったらしい。この先を見込めないと、当人も思っていたようだ。好きな道を選べと促されて、兄は陶芸へ、弟は外交官を志した。  それぞれ順調に積み重ねていたはずの兄弟だったが、兄は若くして病魔に蝕まれ、呆気無くいなくなってしまったらしい。それ以来、あの離れはずっとそのまま空家だったのだ。小日向が、貸してくれと掛け合うまでは。  日浦専用の丼も取り出し、ついでに飾り気のない冷酒グラスを食卓へ置くと、ふと思いついて尋ねた。 「煮浸し作るのか?」 「いや、昼にチヨへ差し入れた残りが冷蔵庫にある」  なるほどねー、と呟きながら冷蔵庫を開けて器を取り出す。更に冷凍庫から小分けにした白飯を二つ取り出して、皿に乗せると電子レンジへ放り込んだ。  ツマミはどうするかな、と思案して、改めて冷蔵庫を漁る。肉、卵、野菜と一応揃っているが、さて。 「あ、ミニトマト。じゃぁ、キュウリと和えるかな。ラー油と山椒はー、と」  アボカドもあったら入れるところだが、日浦の家に備蓄されていることなぞ端から期待していない。  食材を揃えて野菜を水洗いしたところで電子レンジが鳴って、取り出した白飯を解しながら丼へ盛り付けた。それを日浦の傍らの作業台へ置くと、俎板と包丁を洗って鼻歌混じりに野菜を刻んでいく。  ツマミを簡単に作り上げてのち、台布巾を手に盆に乗せた諸々を居間へ運び、卓袱台を丁寧に拭いて卓上を整える。そうしている間に丼を両手に日浦がやってきて、二人は腰を落ち着けた。  箸を取る前に四合瓶へ手を伸ばした小日向は、スクリューキャップを開けて日浦のグラスへ注いでやる。水色(すいしょく)は奇麗に透き通る無色で、とろみも感じさせない。例えるなら、磨かれ続けた水のような佇まい。 「まずは味見」 「ありがと」  自分のグラスも満たして「それでは」とお互い軽く掲げると、まずは一口飲み下した。  途端に、ふわりと米の香りは漂うが、それもするりと呆気無く消え失せて、飲み込んだ喉へとアルコールの熱さだけが僅かに残る。舌の上に少しも余韻が残らないさまは、いっそ清清しいほど。  うわ、と呟いて、思わず手の中に収まる杯を見つめる。その正面で日浦も、軽く眉根を寄せていた。 「……これは」 「旨味あるのは流石だけど、怖い酒だな」  口当たりもごく軽く、味わいまでもが水のよう。ついつい杯を重ねるうちに、うっかり酔い潰れるような代物だ。 「(かん)つけたら抑制できそうだけど、夏の冷や向きなんだよな?」 「変に味濃いと、終いには嫌気が差したりするからなぁ。食中酒としても正しい、多分」  人畜無害そうな(つら)構えに騙された。いや、正しく爽やかと言えなくもないけれど。食事に手をつけながら酒も飲みつつ、二人はつらつらと言葉を重ねる。 「しかしまぁ、尾野が正月に持ってきた、あれよりは印象いいな。デザインの意図は解る」 「あー。やたら可愛い系のラベルの」  あれは確か濁り酒で、甘いお酒♪ みたいなアオリまでついていたスクリューキャップの一合瓶だった。しかしその実態は、大層辛くてきつい酒。濁りだから、甘さが一応残ってるというやつである。  おそらく、その蔵で製造している中では甘い分類だったのだろう。けれど甘い日本酒と言われ、大多数の人間に連想されるのは、某微発泡日本酒で広く認知された、もっちゃりとしたあの甘さである。如何にも女子向けデザインにそのアオリでは、きっと騙されたヒトは多いはず。  因みに、尾野は大喜びで呑んでいた。彼女にしてみれば単純に、濁り酒最高! でしかなかったようだ。パッケージを丸ッと無視して酒だけ呑めば、確かに美味い酒には違いなかったのだから。全ては、不釣り合いなデザインの所為で生み出された悲劇である。 「辛さがないぶん、酒飲み慣れない層も飲めそうだし」 「いやぁ、だから怖いんじゃね? 加減わからないのが、ガンガンいっちゃうって。つか、隠しておいて正解。これ、万里矢(まりや)に見つかってたら飲み干されるだろ」 「あっという間だろうな」  つゆ多めの、とろとろ玉子が美味しい親子丼をかっ込んで、合間に煮浸しを摘む。  酒の味が淡白なため、上品に出汁が香る煮浸しの味を一切阻害しない。食中酒として大正解だ。しかし味わえば米の香りがとても奇麗なので、華やかに香らせる酒でも印象は良さそうである。  味わうように酒を舐め、じっくりとラベルを眺めていた日浦は、ふと視線をあげて小日向を見遣った。 「(ひろむ)、依頼者から話は聞ける?」 「ん、いつでも店に連れてくわ」  じゃぁ近日中に、と言われて了解する。次の休日にでもアポイントメント取っておくか、とスマートフォンへ手を伸ばして手早くメッセージを打ち込んだ。  即座に返ってきた「でかした!」の一言を横目に、気に入ったのかと尋ねると、ほんのり気後れしていそうな表情が浮かんで、ちらりと四合瓶を見遣る。 「正直に言えば、これデザインした人に頼んだ方がいいと思う。けど、今度作るのは、その酒屋主体なんだよな? 差別化したいと言うのも、わかるし」 「新酒の頃に出すって言ってたから、こいつより味も風味も強いの出してくるだろうな?」 「どんな個性出すのか聞いてからか」  悪目立ちさせるのはよくないだろうな、と瓶を置きながら嘆息した。曰く、非常にシンプルに見えるが、書体にも気を使っている優れたデザインらしい。  そういうの詳しかったんだな、としみじみ吐き出せば、何を言ってるんだと言いたげな目を向けられる。 「何のために進学したと思ってるんだ」 「それは失礼」  全くだ、と呆れた風情で丼をかっ込む。その高台(こうだい)の真ん中には向鶴。  あの丼は、きちんと作品として仕上げた、初めての器だ。通常の向鶴よりも丸っこい愛嬌のある造型は、日浦の手による判である。  日浦の祖父が亡くなって、離れにある物は全て小日向が受け継いだ。日浦もこだわりなく了承し、離れも使えばいいと言ってくれたから、未だに制作は続けていられる。  その時に渡されたのが、向鶴。  銘もないんじゃしょうがないだろ、と呆れたように言われて初めて、世間に出してもいいのかと思い至ったのだ。  母へ湯呑みを作ったのも、その頃だったろうか。それを見た弟も欲しがったから、序でに家族全員分用意した。父と弟は職場で愛用しているらしい。  これ売らないの、と尋ねたのは弟で、暫くしてマーケットアプリを見つけてくると、登録するよう勧められた。その際、彼女にプレゼントしたいからと、細かく大きさを指定してカフェオレボウルを注文されたのは御愛嬌。因みに、アプリでの人気商品もカフェオレボウルだったりする。  アプリに掲載されている商品写真は弟の彼女の手によるもので、製作者当人が驚くほどお洒落に見える有り様だ。撮影の時は小日向を他所に二人して、あれこれ設置しては大騒ぎをしており、スタジオか、と内心呆れていたのは秘密である。  こうして済し崩しに販売まで始まってしまったが、はっきりとした色で判を押したのは、最初に作った丼だけだ。それ以降は地色にうっすら浮かぶくらいで押されており、それで構わないと思っている。  小日向が作りたいのは、大層な作品ではないのだ。誰かの家に、自然と溶け込んでいける日用品。これが好きだと愛用してもらえる物がいい。 「そういえば弘、おまえ酒器は作らないのか?」  手酌で酒を杯へ満たしながら尋ねられて、小日向はきょとりと目を瞬かせた。 「言われてみれば作ってねぇな」  弟とその彼女が妙に乗り気になってしまったため、何となく女性が喜ぶ方向へと作る物を揃えていた。実際、こうした食器類を買うのは大体が女性で、普段使いするものは白っぽい物が多くなる。  昔のように用途によって使う鉢を選ぶこともなく、今は他目的に使える器が一つあれば充分という時代だ。実家を思うと売り難い時代と言えるが、絵心のない小日向にしてみれば、売り易い時代とも言える。 「酒呑む女性増えてるんだろう? ちょっと大振りなぐい飲みとか、徳利(とっくり)じゃなくて片口みたいなのがいいのかな。敢えて印を目立つところにポイント置きしてやっても、女性には受けるんじゃないか?」 「あー、なるほど」  そういえば、あの向鶴は女性客から可愛いと受けがいい。そういうのもありなのか、とぼんやり考えていると、日浦は酒を舐めつつトマトへ箸を伸ばした。 「というか、俺が欲しい。弘の器、口当たりがいいし」  もっと美味く酒が飲めそう、と言われて、自然と笑みが浮かぶ。 「はいよ、了解。作るわ」 「白地で宜しく。印を色違いで複数」 「原色? 淡色?」 「いろいろ作って試したら?」  それもそうか、と頷いてキュウリを口に放り込み、酒で辛みを流し込む。  後日、試しに幾つか作って披露したところ、目を輝かせた女性陣が、それぞれ自分専用を確保する騒ぎになったことを特記しておこう。  お蔭様で日浦家の食器棚には、ぽってりと丸っこくて白いぐい飲みが五つ、仲良く並んでいる。 〈了〉
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