12 光の盾公爵の役目

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12 光の盾公爵の役目

「光の盾という言葉と、実際の能力である感情の集約と浄化に、ズレがあることには気付きましたか」 ヴェール様に問い掛けられたけれど、よく分からなくて首を傾げてしまう。 それから少し考えて、武器としての盾は何かを集約するものではないことに思考が行き着いてハッとした。その表情の変化を見てヴェール様も頷いてみせる。 「初代ローレンス公爵が神から賜った光の盾の力は、国民から王へ向けられる負の感情を弾く力でした」 「弾く力」 うん。そう言われる方が納得できる。 「最初はそれで問題がなかったそうなのですが、時が経ち国民が増えていく中で、弾くだけではだめだと気付いたんです」 「……弾いた感情がまた国民の元に戻ってしまうようなことがあるからですか」 「その通りです。そのため五代目からは、盾の使い方を変えて裏面で感情を受け止めることにしたそうです」 感情を受け止める、という言葉は元の世界にもある。その言葉の意味を完全に正しく理解できているとは言えない。 ただ言えるのは、私やほとんどの人間の思い描くその言葉の意味と違って、ローレンス公爵家は代々本当に感情を受け止めているのだということだ。しかも負の感情のみを。 「ただ、受け止めると言っても容量の限界というものがあります。溜まった負の感情は浄化しなければなりません。その方法も数代の間試行錯誤して、現在の形に成ったそうです」 「獣の姿になって、ということですか?」 聞くと、ヴェール様は少し首を傾けながら頷いた。 「あの姿は、リュミエール国民の負の感情の具現化と言われています。そして体から出る瘴気こそ、受け止めた負の感情そのものなのです」 そっと頬に触れられて顔を上げると、ヴェール様は優しい微笑みを見せた。 「リアナ、そんなに悲しそうな顔をしないでください」 言われてしまうほどに酷い顔をしていたなんて、失礼だったかもしれない。 でも、どんな顔をして聞くのが正しいのか分からない。にこにこと微笑んで? 驚いた顔で? 無表情で? ううん、きっと私の顔は間違ってない。夫となる人が、好きな人が想像以上に辛い思いをしていることを知って、悲しんでいるのだから。 「ごめんなさい。ヴェール様がお辛い思いをされているのを見てしまっているので……」 ヴェール様のお母様だって、自分の息子に課せられた宿命が辛くて悲しくて見ていられなかったのだと思う。ここで自分の心に嘘をつくのは違う。 「意外かもしれませんが、負の感情を受け止めている間は私は何も感じないんです。無意識下で行われて、感情や体調が左右されることもありません」 私の気持ちを読み取ったように、ヴェール様は説明を再開した。少しでも安心させようとしてくれている? その説明だと、今も無意識下で集めている最中ということ? 頬に触れた手がするりと動き、耳に触れて首筋を撫でて離れていく。 「盾の中が満杯になると、浄化が必要になります。そして……浄化直前には感情が器から溢れ出る影響で、体調に変化が起こり性格が凶暴になって抑えがきかなくなってしまう……」 「えっ、それって……」 「教会の時の私がその状態でした。すみません、リアナに恐ろしい思いをさせて」 思わず唇を噛んだ。感情のままに口を開けばヴェール様の尊厳を、ローレンス公爵家の仕事と誇りを全部否定してしまいそうで、何も言えない。 胃の辺りがムカムカして気持ちが悪い。この感情は何? 何なの? 誰が悪いとかでもない。初代が国の平和を願い神から賜った力を、代々大切に紡いできたものだ。 なのに、ヴェール様にとってこのお役目は誇りあるもののはずなのに、まるで罰を受けている罪人の話を聞いているかのように思えて仕方がない。どうしてヴェール様は何も悪いことをしていないのに、国中の負の感情をその身に受けなければならないの? 「リアナは、このローレンス家の仕事をどう思いますか」 「どう……」 どうしてそう思ったのか分からないけれど、ヴェール様の配偶者としてではなく、リュミエール国民の一人の意見として聞かれている気がした。 自分の夫となる人がこの仕事をしているのは嫌だ。だけど、この国が栄えているのは、安定して平和なのは、ローレンス公爵家の存在あってこそ。 無関係のまま呪いの内容も、公爵様がどれだけ辛い思いをされているかも知らなければ、この国の素晴らしさに感謝しているに違いない。 「とても……素晴らしいお仕事だと思います。ローレンス公爵家、現在はヴェール様のお力のお陰で、リュミエールの民は平穏に暮らすことが出来ています」 たとえそれがヴェール様の犠牲の上に成り立つ平和なのだとしても、間違っているなんて言えない。だってこんなの、私一人の意思でどうにかしていい問題じゃない。 だけど、胸の奥がいたくて目頭が熱くなって、唇が歪んでしまう。 「……けど、こんなのおかしいです。どうしてヴェール様だけがこんなにお辛い思いをされて、命まで……! ……っ……すみません、出過ぎたことを言いました」 こんなこと言ってはダメだ。ヴェール様はご自分で分かっていらっしゃる。呪われた公気狂い公爵だと自分で言っていたじゃない。私に聞いているのは、国民としての意見。妻としてのものではない。 それに、私は逃げも隠れもしないと言った。私たちは運命共同体として、ローレンス公爵の宿命に沿って歩かないといけないんだ。この仕事を否定していい立場には、もうない。 「……ヴェール様は、ご自身のお仕事をどう思われていますか?」 同じことを聞いてみたくて、同じ言葉で問い返した。本音を話してもらえるとは思っていないけれど、少しでも本心に近付きたい。ヴェール様が心の中が知りたい。 するとヴェール様は席を立って、部屋の中を少し歩いて考えるようにしてから、ゆっくり口を開いた。 「非常に誇りに思っています。他国と比べて明らかにこの国が平和なのは、歴史からも統計からも明らかなので、ローレンス家が存在する意味は十分にあると理解しています」 やっぱり当主と言う立場にある以上、そう言う以外にないわよね。 誇りある仕事なのは私にもわかる。たとえ国民がそのことを知らなくとも、この国の平和はローレンス公爵家が守っている。それが全ての支えなのだと思う。 「……でもやはり、辛いと思うこともあります」 「ヴェール様……」 「私の力が弱いせいで周囲の人たちを傷付けてしまったり、瘴気を振り撒いてしまうのは、とても辛い」 意外にも、辛いとは言ってくれるんだ。弱音を吐いてくれたのは、私が余計なことを口走ったせい? もっと他にも聞かせて欲しい。逃げたいとか、辞めたいとかもう嫌だっていう本音を話して欲しい。そうしたら、そうしたら私は……。 「だけどリアナ、あなたのお陰で私はまだまだ頑張れそうです」 「私、ですか?」 急に何を言われるのかと驚いて反射的に背筋を伸ばす。 「優しくて思いやりがあって、聡明で美しい方が妻になって下さるのですからこれ以上に心強いことはありません」 にこりと微笑む顔が窓から入る月明りに照らされて、その美しさに見とれて何も言えなくなってしまう。 私は決してそんな人間じゃない。ヴェール様の前でそうありたいと思っているだけの、ごくごく一般的な成人女性に過ぎない。 聡明に見えるのは、リアナの年齢が16歳であることに対して中身の私自身は30を超えていて、ヴェール様よりずっと年上だから。 本当の私は、今にもあなたに対してこんなことはもうやめましょうと言い出しそうだっていうのに。 逃げて逃げて逃げて、この国の負の感情なんて届かないくらい遠くの別の国で暮らしましょう。 なんて思ってしまうのは、私がこの世界の住人じゃないから? 違う。違う、みんなそう思ってる。みんな辛くて悲しいのを我慢しているんだ。ヴェール様のお母様だって、ローレンス家の仕事を誇りに思っていたのならヴェール様を心から愛せたはず。 こんなのはおかしいと誰もが気付いているけれど、やめられないんだ。やめた後の代償が大きすぎて、誰も言いだすことが出来ないんだ。 歴代ローレンス公爵もその奥さんも子供も執事もメイドも使用人も、とっくにそんなこと分かってるんだ。 呪われた公爵という異名は言い得て妙だ。ローレンス公爵家は呪われている。 私がヴェール様を生涯支えるのは全然構わない。もう他人事ではいられないし、愛情も湧いている。一人で苦しむ姿なんて想像したくない。私なんかで良ければ、ずっとこうして隣にいることくらい出来る。その気持ちは変わらない。 「リアナ、キスしてもいいですか」 えっ! と大声を出しそうになるのを寸でで堪えて立ち上がる。悶々と考えていたことが全部頭からすっ飛んだ。 ヴェール様とキス、そう言えば、一度もしたことがない。腕を噛まれたり口の中に手を突っ込んだことはあるのに、まさか、したことがなかったなんて。 「あ、ああああ、あのっ……ど、どうぞ……!」 意識したら途端に恥ずかしくて、顔が赤くなってしまって益々恥ずかしい。 ヴェール様が近付いてくる。この美しい顔と、キス? 嘘でしょ。 自分の子供のことを考えていながら、そこに至るまでに過程のことがすっかり頭から抜け落ちてた。 「……怖いですか?」 私に触れようと手を上げたヴェール様が、手を掛ける前に問いかけた。 「ち、違うんです。き、緊張して……!」 声が上擦ったー! 恥ずかしいー! すごい笑われてる……くぅ、どうせ恋愛未経験ですよ……! 「リアナは不思議な女性ですね。年齢や見た目よりもずっと大人な落ち着きと精神性を持っているのに、こうしたことはまるっきり初心な少女だ」 「……そ、れは……」 「愛は知っていても恋はまだ、ということですか?」 ヴェール様こそどうしてそんな恋愛百戦錬磨みたいな顔してるんですか。私より前にこんな関係になった女性が何人もいるということですか!? ここまで心を許した相手は私だけみたいな言い方をしておいて……公爵様だもんね……一晩限りの相手には、困らないってこと。 なんだか急に心が冷めて、頭に血が上った。 「やっぱりお断りします」 近付いて来る体を両腕で押しのけて、私はハッキリ言った。 「私はヴェール様がそんなに手慣れた御方だとは、思ってもいませんでした!」 「リアナ?」 やきもちだ。完全に、誰だか知らないヴェール様の過去の女性たちに嫉妬してる。 綺麗な顔にキスされて体を重ねた人たちに、そのことを黙っているヴェール様に怒ってる。いえ、ヴェール様が私に気を遣う必要などどこにもないのだけれど。だけど。 「……すみません、体調がよくないのでもう寝ます。ヴェール様も、夜遅いので戻ってお休みください」 「リアナ落ち着いてください、私は」 「おやすみなさい」
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