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3 光の盾、国王の影
ローレンス公爵に嫁いできて、一週間が経った。
私はまだ、最初に入れられた南の塔の部屋から一歩も外に出ることを許されず、ローレンス卿にもあれから一度も会えていない。
実家でもずっと軟禁状態だったし外出できないストレスは無いけれど、これが夫となる人の指示ということが心に来る。
オリビアがちょくちょく顔を出しに来て話し相手にもなってくれるけど、一人になると今の状況について色々と考え込んでしまう。
もしかするとローレンス卿は妻を沢山娶っていて、順繰りに相手をしているのではないだろうか。
お世継ぎの問題があるから女は何人いてもいい。気の向いた時に気が向いた妻の相手をして回っているのかもしれない。
そうでなければ一週間何の音沙汰もない理由の説明がつかないもの。
「ねえオリビア、ちょっと聞きたいのだけれど」
「何でしょうリアナ様」
これはお互いに愛のある結婚じゃない。だから妻が何人いたって傷付かない。そう覚悟を決めて、お茶を淹れてくれているオリビアに思い切って切り出した。
「このお城には、ローレンス卿の奥さん……夫人は何人くらいいるのかしら」
「えっ?」
「ローレンス卿のご事情は理解してるつもりだから大丈夫、教えてくれないかしら。そうすればどれくらい待っていれば私の所にも来て下さるか、凡そ計算できるもの」
そう言うと、オリビアは顔を逸らして咳き込み始めてしまう。心配になって立ち上がって駆け寄ると、小刻みに肩を震わせながら俯いてしまう。完全に笑いを誤魔化している……。
「ゴホッ、ゲフッ、し、失礼、ゲホッ……クッ……ククッ……ウフ」
「失礼ね、笑い過ぎよ……」
「す、すみません、リアナ様が、あまりに突拍子もない事を仰られるので、びっくりして」
笑いの合間に説明するオリビアの顔は真っ赤になっている。恥ずかしいのはこっちよ。
私の予想はどうやらとんでもなく的外れだったらしい。オリビアの笑いが嘘でないのは見て分かる。
「ねえちょっと、笑い過ぎよ!」
「申し訳ございません……旦那様の奥様はリアナ様お一人ですよ。今のところは、かもしれませんけど」
ふふっ、とまたオリビアが笑う。これが元の世界の友人だったら肩でも叩いてやるのに。
じゃあどうしてローレンス卿はいつまでも私を閉じ込めて、顔も見せてはくれないのだろう。他の理由があるとすれば、考え付くのは呪いと気狂いだけど。
「リアナ様、部屋から出る許可も与えられず、不安な日々をお過ごしなのはお察しいたします。ですがもう少し、もう少しだけ待ってあげてください。旦那さまにもご事情がおありなのです」
オリビアが、私の手に自分の手を重ねて優しくそう説いてくれた。
真っ直ぐに私の顔を見上げて、視線を逸らさずにいてくれる唯一の存在。なんていいメイドなのだろう。
オリヴィエお姉さまとリアナの関係もこんな感じだったのかな。優しくて聡明で気の利く年上の存在は本当に有難い。
「ありがとうオリビア。もう少し待ってみるわ」
エドワーズ家の使用人は、お父様の性格に合わせて歪んでしまった使用人ばかりがいた。メイド長がこんなにいい人で主人のことを少しも悪く言わないのだから、ローレンス卿はいい人に決まってる。
私を閉じ込めているのにも会いに来て下さらないのにも、ちゃんとした理由がある……はず。大丈夫、私は待てる。
深夜、眠りが浅くなったタイミングで窓の外から何やら動物の声のようなものが聞こえて目が覚めた。
「遠吠え……咆哮?」
エドワーズの家は割と都市部にあったので、野生動物の遠吠えが聞こえてきたこと殆どない。
この辺りは自然が多い分そういった存在が近いんだと、物珍しさから窓を開けた。犬か狼か、それとも全然別の動物か。耳を澄ませればまた聞こえるかもしれない。窓の縁に寄り掛かって、耳を外に向けた。
ワーーーーー!
ウワアアーーーーーー!
「狼じゃ、ない……?」
遠くからかすかに聞こえて来るそれは、何かの動物の鳴き声というよりも人間の叫び声に近い。まるで拷問にあっているような、家族を目の前で殺されているような、ゾッとする声だ。
どうしてそんな声が聞こえるのかと、理由を考えると心臓がドキドキする。
聞きたくない。考えたくない。窓を閉めて、ベッドの中に潜りこんで何もなかったことにしてしまいたい。
だけど、そんなことは出来ない。私はこの城の夫人になる予定の人間だ。目を閉じてはいられない。この叫び声こそが、私が閉じ込められている原因なのかもしれないのだから。
「ローレンス卿は光の盾、国王の影……法で裁けない罪人を、裏で拷問している可能性は十分ある」
夜な夜な秘密裏な拷問を行い、罪人の悲鳴や叫び声が遠くまで響き渡った結果、あそこの城主は気がおかしいと噂が立ち、気狂い公爵と呼ばれるようになった。
そうであってほしいと思うのは私の願望だ。たとえ乱暴で残虐だとしても、行っていることは正義であってほしい。だけど、もしこれがただの趣味だったらおしまいだ。
「旦那様……て!」
「やめ…下さ…旦……!」
風に乗って何者かの叫び声の合間に、使用人と思われる人たちの声が途切れ途切れに聞こえて来る。
やっぱりローレンス卿が関係している。周囲の人たちが何を言っていたのかは分からないけれど、拷問とは別の声音で必死に叫んでいるのは分かった。恐らくそれだけローレンス卿による拷問が酷いものなのだ。
体中から血の気が引いて、手が震えて悪寒がする。これ以上聞いていられなくて、なんとか窓を閉めるとベッドに潜り込んだ。
きっと、使用人が叫んで止めるほどのことをしているのだ。たとえそれが仕事だとしても吐き気がする。
「ローレンス卿にお会いした時にどんな顔をすればいいの……」
私に出来るのは、どうか拷問相手が極悪非道の凶悪犯罪人でありますようにと願うことだけだ。
聞こえて来た叫び声は男性のものだったけれど、私も公爵の生贄である可能性は否めない。私が拷問される理由ならある。リアナは魔物の目を持っているし、私はこの世界の本当の住人ではない。法では裁けないかもしれないけれど、断罪するには理由が十分すぎる。それに、私が死んだとしても、悲しむ人は誰もいない。
どうか全部私の勘違いであってほしい。あれは狼か何かが発情している鳴き声で、使用人の声はただの風の音。私の妄想力が聞かせた空耳であってほしい。
震えて怖がりながら布団にくるまっているうちに、いつの間にか眠ってしまったようだった。
目が覚めたのは、オリビアに何度も声を掛けられてからだった。
「リアナ様、おはようございます。起きて下さい。リアナ様、リアナ様」
「う……ん、オリビア……?」
「どうされましたか。お体の具合が悪いですか?」
いつもはオリビアが来る前に起きているのに、今日はどうしてこんなに眠くてだるいのだろう。
そう不思議に思った途端、昨晩耳にしたものが脳裏に蘇って一気に覚醒した。
「あ、おはようオリビア。ううん違うの、元気元気。ちょっと寝ぼけちゃったみたい」
「そうですか、朝食のご用意が出来ていますがどうされますか?」
「いただくわ」
心拍が一気に飛び跳ねて、まるで全力疾走した後のように胸の中で暴れ回っている。ああ体に悪い。
オリビアが食事の準備をしている間にどうにか平静を取り戻して、普段通りに振舞う。
昨晩の叫び声の話をオリビアに聞いてみたいけれど、話題にしてもいいのかどうか分からない。触れてはいけないことかもしれないし、もしかしたらオリビアも知らないことかもしれない。
「オリビア、その手の包帯どうしたの?」
お茶の用意をしてくれているオリビアの方に顔を向けると、昨日まではなかった包帯が手首から手のひらにかけて巻かれていた。
いつ怪我をしたのか心配になって聞くと、オリビアは苦笑しながら私に顔を向けた。
「昨日派手に転んで、地面で強く擦ってしまったんです」
「ええっ、それは痛そう……」
想像すると身が竦む。外の地面でじゃりっとやってしまうのもそうだが、つるつるとした室内の床との摩擦で擦れるのも相当痛い。
「大丈夫? 私お茶くらい自分で淹れられるわよ」
「大丈夫ですよこれくらい、もうご用意出来ますからそのまま座ってお待ちください」
そう言われて、私は浮かせかけた腰を下ろした。
こんなにしっかりしてメイド長にまでなっているオリビアにも、転んで怪我をするようなおっちょこちょいな一面があるんだな。
「そう言えば昨日の夜、狼の雄叫びみたいな声が聞こえた気がするのだけど、この辺りに狼って生息してるのかしら」
人の声だと気付いたことは言わず、軽いジャブ的に聞いてオリビアの様子を見ることにする。私に公爵の仕事だと言うつもりがないならば、そのまま狼だと答えるはず。私の想像とは全く違う予想外の返答もあるかもしれない。
できるだけ何でもないように聞いたけれど、心臓はバクバクで表情が引き攣っていない自信がない。
さあ、どんな反応を示すのかと構えていたら、オリビアの指先からティーポットが滑り落ちた。
ガシャーン!
「ひっ!」
落ちる瞬間を見ていたのに、思わず情けない声が出た。
「す、すみませんリアナ様! 今片付けます……ああ、そちらまで破片が飛んでいるかもしれません、そこから動かないでください」
「オリビアも大丈夫!? 慌てるとガラスで怪我をしちゃう」
すぐにしゃがみ込んで割れた破片を拾おうとするので、私も慌てて立ち上がって制止しようとしたけれど一足遅かった。
「痛っ」
「大丈夫? 血が……どうしましょう。私誰か人を呼んでくるわ」
そう口にして、ハッと自分の置かれた立場に気が付いた。私はこの部屋から出てはいけないのだ。第一出たとしても城内の地理が分からないし、どこに向かえば人がいるかも知らないんだ。
「リアナ様、お気になさらないで、どうか座っていてください。すみません私の不注意でご気分を……」
「そんなことはいいから、とにかく止血して、それから掃除道具を持ってきて。私はちゃんとここで待ってるから」
「ありがとうございます、リアナ様」
オリビアが申し訳なさそうに頭を下げて、ガラスを踏まないようにそろりそろりと歩いて部屋から出て行くのを見届ける。
ドアがしっかり閉められたのを確認して、私は盛大な溜息を吐きながらソファに座り直した。
「……」
狼の鳴き声の話をなかったことにするために、オリビアはわざとティーポットを割ったように見えた。
私に説明出来ないのならそう言えばいいし、誤魔化したければ話を合わせて狼だと言えばよかったのに、思った以上に動揺させてしまったみたい。
使用人がポットを割ってでも話を逸らさないといけないくらいのことが、夜な夜な行われているということ?
安易に拷問かと思っていたけれど、違うのかもしれない。それ以上のことが行われていると考えると、本当に気狂い公爵になってしまう。
「リアナ様、失礼致します。私旦那様専任執事のセバスチャンと申します」
部屋のドアを叩かれて、老齢の男性の声で話しかけられて思わず立ち上がった。
「あ、ど、どうぞ。あ、今ティーポットが割れて、床にガラスが散らばっているので足元に気を付けて下さい」
「お気遣いありがとうございます、リアナ様」
ドアを開けて入って来た執事のセバスチャンは、私に一礼して単刀直入に用件を言った。
「旦那様が、本日リアナ様とお会いになられるそうです」
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