6 オリビアのヒント

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6 オリビアのヒント

私はこのローレンス城から去る気はない。帰る家はここしかあり得ないとハッキリ意思を示した。 その気持ちはオリビアがヴェール様に伝えてくれた筈だったけれど、結局食事を共にすることはなく、私はまた部屋の外に出ることを禁じられた。 ヴェール様が一体何を考えているのか、全然分からない。 閉じ込められてもう三日。待つだけでいいなら構わないけれど、こちらから何かリアクションが必要なら、そろそろ行動に移さないといけない頃合いなので悩ましい。 この城を出て行けとは言われていないし、婚約破棄とも通達はされていない。前進も後退もなく保留のままということは、私はまだ何か試されていることになる。それは一体何だろう。 元々この世界は小説。仮に今の話は私(リアナ)が主人公の外伝だと考えるなら、これはきっと試練だ。ヴェール様の凍った心をを溶かして、信頼を勝ち取ってこそ、先に進めるのだと思う。 でも一体どうやって? 「ふぅ……」 思わず大きなため息を吐くと、オリビアが困ったように笑う。 「オリビア、私ヴェール様を怒らせてしまったかしら」 部屋の外に出ることすら許されない私に打てる手は殆どない。会えるのもオリビアだけ。メイとライラも含めて、他のメイドも使用人もこの部屋には入っては来ない。 私がヴェール様に再び会えるかどうかは、オリビアの導きに対して正しい選択が出来るかどうかにかかっている……ということなのかしら。 オリビアは私の座るソファーの斜め前に立つと、言葉を選びながら口を開いた。 「リアナ様もお気付きとは思いますが、旦那様はとても慎重で用心深いお方です。お仕事柄やお立場のこともあると思いますが……」 「でもこのままじゃいけないと思うの。私、ヴェール様と直接話さなきゃ」 このまま待ちの姿勢でいても埒が明かない。焦りも合わさって、オリビアに少し強く聞くと、当たり前ではないことを当たり前に言った。 「では、リアナ様の方から会いに行かれてはどうでしょう」 それが出来るならとっくにしてる。この部屋はいつも外から鍵がかかっているし、三階か四階くらいの高さにあるから窓から出て行くことも出来ない。 城内を自由に出歩ける身分じゃないから聞いているのに何なの? 許可がもらえるの? 「会いに行きたくても、私は部屋から出ることすら出来ないじゃない」 「試されたことがあるんですね?」 「うん……初めてここに来た時に」 素直に答えてしまったけれど、行儀の悪い行為だったかも。夜になる度に窓を開けて、拷問と思われる声が聞こえてこないかと耳を澄ませているなんて絶対に言えないわ。 「以前がそうだったからと言って、今もそうとは限らないのではないでしょうか」 「えっ、それって」 今は鍵がかけられていないということ? そう思って腰を浮かせたが、オリビアは一歩下がって一礼されてしまう。 「すみません、私は仕事がありますので失礼します」 これ以上は話せないとばかりに、オリビアは私から逃げるように部屋を出て行った。ここで無理に縋っても意味がないことくらい分かってるし、あまりみっともない真似は出来ない。 代わりにその足音が遠のき聞こえなくなってから、私は静かにドアノブに手を掛けて体重をかける。 やはり鍵がかかってびくともしない。ではどうしてオリビアは、今もそうとは限らないなどと言ったのだろう。 「…………」 公爵の仕掛ける罠か、それともオリビアの与えてくれたヒントか、悩ましい所だけれどこれしか道は無い。 同日、夜が深まるのを待ってから、私はいつも通り窓を開けて外の様子を探る。どれだけ耳を澄ませても、あの日以来拷問のような声が聞こえてきたことはない。 静かに窓を閉めて、それから部屋の外に出る唯一のドアに手を掛ける。祈るような気持で慎重に押すと、鍵のかかった引っ掛かりは無くスムーズに開いた。 やった、と思わず片手で小さくガッツポーズを取る。ヴェール様に会いにいけという、オリビアからの無言のメッセージだ。 通路に明かりは殆どなく、セバスチャンと共に歩いた光景を思い出しながら手探りで歩いていく。 伯爵家では常に薄暗い室内にいたためか、結構夜目がきく。それがこんなタイミングで役に立つなんて皮肉なものね。 ヴェール様の試し方といい、オリビアのヒントといい、何だか設定の決められたゲームみたい。いえ、実際に小説の中なのだけれども。 彼らは、私は、本当に生きているのだろうか。作者の滑らせるペンから紡がれる、それか今ならキーボードのタイピングで生み出される、ただの物語でしかないのだろうか。 そう考えるとこの自分の思考と行動さえ、見えない力に決められて動いているような気がするから不気味だ。 「登場人物には確かめようもないけどね」 やっぱりというか何というか、私は誰にも見つかることなくヴェール様の部屋の前まで辿り着いた。 普通ならもう眠っている時間の筈。だけど、起きていると思う。起きていてほしい。というか眠っているとしたら、もうこの部屋にはいない筈だ。返事がなければ戻って眠って何事もなかった顔をして、明日の夜もう一度同じことをするしかない。 軽くドアを叩くと、間を置かずに返事があった。 「誰だ」 「…………」 「誰だと聞いているのです」 「リアナです」 答えると、少し間を置いてから内側からドアが開けられた。 「中へ」 歓迎されていないのは表情と空気で分かる。けれど拒絶されることなく招き入れられた。 前回この部屋を訪れた時のような柔和な笑みはなく、ただただ無表情で私を見る。当然だと思う。こちらも歓迎してもらえると思って来ているわけではないので、その顔を見返して笑顔を作る。 「こんな夜更けに訪ねて来るなんて、夜這いのつもりですか?」 「どうしてあの日以降、会って下さらないんですか?」 不躾な問いを無視して質問で返すと、ヴェール様はふいと目を逸らしてしまう。 「仕事が多忙でして。今も寝る間を惜しんで仕事中です」 この反応からすると、少しは悪いと思っているのかもしれない。ちょっと強めに押してみよう。 「お食事の時間くらい、何時になっても私合わせられます」 「食べながらも仕事をしていましてね」 確かに、こんな時間までお仕事をされているのだから、相当お忙しいのだと思う。 どんな事をなさっているのか分からないけれど、公爵という地位であれば国政に関わる大きなことをされているのかもしれない。 でもヴェール様のそれは言い訳に過ぎない。私と会って庭園を見て散歩する時間は作れたじゃない。 「……怒っているんですよね。軽い気持ちで公爵様の元に嫁いで、呪いが本当だと聞いた途端言葉を失うような私に」 「怒ってなどいませんよ」 まだ目を合わせてもらえない。横顔だけでも美しくて絵画に収めてもらいたいくらいだけど、やはり正面から目を見て話したい。 「ではどうしてですか?」 「忙しいだけです。時間が出来たらお相手致しますので、今日はもう戻ってください。部屋まで送りましょう」 ポンと肩に手を置かれてドキリとする。突然のボディタッチは体に悪い。でも美容に良い。 何も話が進展しないまま帰るわけにはいかない。明日の夜も鍵が開いているとは限らないのだから、簡単には引き下がれない。 無理矢理退室させようと体を反転させてドアの方へ向かわせられながら、私はヴェール様の方に首を傾けて聞いた。 「ヴェール様の呪いって一体なんですか?」 呪われていると一口に言っても様々だ。死に直結するものから、病を引き起こすもの、不幸が身に降りかかるもの、時限式のもの。 恐らくローレンス公爵家の血筋にかけられているものだと思うけど、その内容は聞いたことがない。 「あなたには関係ありません」 「関係あります、私はあなたの妻になるんですから。違いますか?」 ヴェール様の手が外れたので、私は体ごと後ろを振り向く。慎重で用心深いのは構わないけれど、いつまでも心を許してもらえないことには話が前に進まない。 私は気狂い公爵の秘密を聞いて受け入れる覚悟を決めた。あとは、ヴェール様が心を決めてくれるだけ。 魔物の目と言われる赤い目で真っ直ぐにヴェール様を見つめていると、少しの間だけ目を合わせてくれてから再び逸らされた。 「知れば……もうこの城から逃げることは叶いませんよ。例え婚約を破棄すると言ったとしても」 「分かっています。それでも逃げもせず、こうして部屋を抜け出してあなたに会いに来たのですが、それでもまだ疑いますか?」 どうにか思いが伝わってほしくて、体を半歩前に出してヴェール様の手を握る。緊張しているのか外気よりも冷たかった。 ヴェール様は少し驚かれた様子だったけれど、振りほどくことなく私に握られたままにさせてくれる。 「いえ、ここまでいらしたのはあなたが初めてです。正直驚いています」 「では……!」 期待を込めた目を向けると、ヴェール様はそれでもまだ悩むような様子を見せてから、諦めたように頷いた。 「ローレンス公爵家が、長きに渡って王の光の盾として行って来たことをお話しします。明日、セバスチャンを迎えにやりますのでその時に」 「今ではダメなんですか?」 再び部屋に閉じ込められてしまったらという疑念から、思わず急いた言葉が飛び出してしまうが、ヴェール様は笑って空いている手で私の頭を撫でた。 「今度はちゃんと約束を守ります。私にも覚悟を決める時間をください」 ちゅっ、と額に唇が当たって、あ、キスされた、なんてことに気付いた途端に腰が抜けた。
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