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【4.月明かりの下で】
赤々と燃えていた西の空も次第に夜の色に飲みこまれ、頭上にはぽつぽつと星が瞬き始めていた。遊歩道の入口で目を凝らしていたユールはようやく現れた小さな光に溜息をもらした。人影が近づくにつれ髪の鮮やかな緋色が判別できるようになる。
「ごめん! 遅くなって」
肩で息をしながらレンフォルツが頭を下げた。ユールは半眼を閉じた。
「呼びつけといて遅刻かよ」
「本当にごめん。もっと早く出るつもりだったんだけど、ちょっと言い合いになっちゃって」
「え、親子喧嘩? ウィンザール……まさか家出」
「違うよ大丈夫。行こうか」
にこっと頬を緩めた彼は手提げランプを行く手に向けた。
ティエル湖のほとりにある遊歩道は随所に季節の花が咲き誇る花畑あり、美しい景観を楽しめるベンチあり、ティエルストの住民にとって人気のある憩いの場だ。とはいえすっかり日の暮れた今時分に、しかも男ふたりで来る場所では決してないとユールは思う。
暗い木立の中、前を歩く影絵のような背中に「なあ、」と声かけた。
「花なんか探してどうするの」
「え?」
「導きの花って昔話のあれだろ。竜の城に行くとき使うやつ。オレどんな花か知らないんだけど。っていうか存在するの」
協力を請われ、最近タイトルをよく目にしていたせいもあってついうっかり承諾してしまった。が、早まった気もしなくもない。
灯りの動きが止まり、レンフォルツが振り返ったのがわかった。ランプの小さな光では彼の表情はよく見えないけれど。
「僕も知らない」
「じゃあどうやって探すんだよ」
「うーん、多分なんとかなると思う」
「適当だな」
ふふ、と楽しそうな声がする。再び灯りが遠ざかり、ユールは苦虫を噛み潰したような顔で後をついていく。
木立を抜けた先にはティエル湖が広がっていた。満天の星を映した水面の真ん中に丸い月が揺らめいている。
ユールの目は一角に引き寄せられた。うっすら明るい宵闇の下、湖とは道を挟んで反対側にぽっかり開けた箇所があった。その広場と木立の境目に白っぽい茂みが見える。
「ユールリッドくん、灯り消して」
レンフォルツが振り向いた。なんで、と口にする前に彼の指が茂みに向けられた。
「花、多分あれだと思うんだ。そうっと近づこう」
「精霊? いるのか」
「わかんないけど」
灯りを吹き消したレンフォルツに従い、ユールも手の中のささやかな光を消した。視界は一瞬暗闇に包まれたが満月のおかげで順応は思いのほか早かった。
遊歩道を逸れ、緩やかな傾斜のついた広場を歩いていく。近寄ってようやくその正体がわかった。釣鐘の形をした白い花が一面に咲き乱れている。一輪を摘み、しげしげ眺めていたレンフォルツはゆっくりとそれを天に掲げた。
ふたりの間を宵の風が吹き抜けた。――だけどそれだけだった。
「……何も起こらないね?」
「合ってるのか、それ」
「だって釣鐘草でしょ? 掲げると星が降ってくるんじゃないの」
「オレに聞かれても……。例えばひみつの呪文があったりするとかさ、何か条件が」
「精霊さーん、いませんかー」
「オレの話聞いてた?」
そばにあったベンチの背もたれに半分腰を預け、ユールは腕組みをした。空に向かって花を振り回すレンフォルツを渋い顔で見ていると、彼がぱあっと破顔した。
「ユールリッドくんもやってみてよ。物は試しって言うでしょ」
半ば押しつけられる形で花が手渡される。
「ほら、ユールリッドくんこそドレーゲルの血筋だし」
「なんでオレが。ウィンザールが頼めよ。精霊その辺にいるんだろ? ぱっと捕まえてさ、星を降らせてもらえば」
ユールはまっすぐ花を差し出した。藍色の双眸がきょとんと瞬き、彼は「まさか」と微苦笑を浮かべた。
「僕にそんな力ないよ」
「星竜の目じゃん」
「藍色なだけだよ。みんなと何も変わらない。だから特別視されるのは、ちょっと」
「本当に? 色が違うだけ?」
月明かりの下、レンフォルツが頷くのがしっかり見えた。そんなまさか。
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