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「この間話したけど、幽霊が人間に化けているケースって、結構多いらしいね」
ここは怪談好きの集まる、鳥飼のバーである。今夜も早速常連客の草野が話を切り出した。
「そうですね。それもかなり巧妙に化けるから、殆ど生きた人間と見分けがつかないそうですね」
カウンターの中でグラスを拭きながら、鳥飼が相槌を打つ。
「本当にそうだよな。大きな駅とか、交差点とかイベント会場みたいに人が沢山集まるところなんて、多分相当数の人間に化けた幽霊が堂々と歩いてんだろうな。何だかそう考えると薄気味悪いけどね。ああいうところで何かの拍子に取りつかれちゃうなんてケースも結構あるみたいだし」
草野の隣に座ったこれまた常連の早川が、微かに眉をひそめてみせる。
「まあ、それはそうかもしれんけど、あんまりそれを気にしていちゃあ、道も歩けやしない。だからどこかで”落とせば”いい、なんていう人もいるよね」
「”落とす”?」
「そう、落とすのさ。あるいは、もっと露骨に言えば人になすりつけるっていうかな。要は、取りつかれたかもしれないと思ったら、他人の集まるようなどこか他の場所に移動して、憑き物を他人になすりつけるのさ」
「なるほど。他人の集まるところねえ。じゃあ、バーなんかもそうか」
「まあ、バーもその一つではあるかな」
「草野さん、毎晩ここに飲みに来るのは、ひょっとしてそのため?」
早川がにやにやしながら草野の顔を見やる。
「あれ、草野さん、そうだったんですか。勘弁してくださいよ」
鳥飼も早川の言葉に乗ってみせる。
「違うって、人聞きが悪いな。俺はそんな目的のためにここに来たりしないよ。大体、俺は霊感が無いから憑かれたことさえわかりりゃしないんだから」
むきになる草野の姿がおかしくて、鳥飼も早川も笑いだす。
「勿論、冗談ですよ。草野さんは開店以来の大事な常連さんですから」
「逆に、人間が幽霊に化けるケースってあるのかな」
早川がぽつりと呟く。
「それはあるだろう。お化け屋敷なんて、そうじゃない?」
「ああ、お化け屋敷ねえ。そうか、それはそうだな」
「ホラー映画なんかも、人間の俳優がお化けに化けているわけですしね」
「ふーん、まあ、それはそうだけどね。なんか普通っていうかあんまり面白くないな」
「じゃあ、お化けがお化けに化ける場合は?」
「お化けがお化けに化ける、ねえ。まあ、時々怪談話にあるのは、お化け屋敷のお化けに本物が紛れ込んでいる場合がある、なんて話があるでしょ。あれはお化けがお化けに化けている、ということじゃないか?」
「なるほどね。じゃあ、人間が人間に化けているケースは?」
「……人間が人間に化ける?」
「そう。お化けがお化けに化けることがあるんなら、人間が人間に化けるケースもあり得るんじゃないか?」
「それはそうだが、人間が人間の恰好してたなら、それは化けてるっていうのかな?」
「なりすまし、とかですか?」
「うーん、なりすましねえ。詐欺とかスパイとか、そういうやつか。まあ、化けていると言えば言えるんだろうけど、なんか、こう、当たり前な感じで、インパクトにかけるなあ」
「インパクトが無いと駄目なんですか?」
「早川さん、もしかして煮詰まってるんじゃない?例のコンテスト、今日が締め切りなんでしょ?こんなところで飲んでていいの?」
難しい顔をしている早川に、今度は草野がにやにやと笑いかける。
「いや、それはいいんだよ。3時までに帰ればいいんだから。とにかく、なかなかアイディアが出なくてさあ。ここで飲んでて皆さんと話してたら何かいい取っ掛かりになる物が出るかなあと思って来たわけよ」
「あまりお役にも立てずにすみません」
カウンターの中で鳥飼が軽く頭を下げて見せた。
日付が変わる頃に常連客二人が帰ると、店の中は急に静かになる。
「この時間で誰もいないとなると、もうお客は来ないかな。今日は店じまいにするか」
ゆるゆると片付けを行いながら、鳥飼が呟く。
「それにしても、あの人も、自称作家とかいう割には、想像力がいま一つだな。人間が人間に化ける、というテーマを草野さんが口にした時は、一瞬ひやっとしたが、結局みんな常識的な話しかしなかったしな。まあ、それがここの現実というやつなんだろう」
鳥飼はおもむろにカウンターから何やら小さな機械を取り出した。筐体から延びる二本のコードを耳に差し込むと、彼の今日一日の出来事が瞬時に機械に記録されるのだ。
バーテンダーのふりをしながら、長年に亘って地球人の定点観測を続けているP星人は、今日も母星に日報を送り続けている。
[了]
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