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君のゆく道
二人揃って、雲ひとつない空を無言で見上げる。
木々の隙間から太陽の光がキラキラと輝く。
「別に、お前自身が納得して辞めるならさ、とめねぇけど。周りの目がどうとか、親に言われたから…とかそんな理由なら、やめとけよ。後で絶対周りのせいにする事になるぞ。お前絶対、納得出来てないだろ?」
陽介が、カップ酒を飲んでまた、顔を顰める。
風が二人を撫でるように吹き抜けていく。
「だけど、今のままってわけにはいかないだろ。いつまでもさ。それに…」
「それに?」
一真は、横であぐらをかいている陽介を見る。いつもと変わらない様子でそこにいる陽介を。そして、ふと視線を外す。
「いや、なんでもない」
そんな一真の様子に、陽介は少し苦笑した。
「俺さ、お前のこんな話思いついた!っていう話、聞くの好きなんだよな。発想は面白いし、勢いもあって、素直に面白いなっていつも思ってた。けどさ、文章になるとさ、なんだろうな。こう、ヤスリかけて随分丸くなっちゃったな…って思うんだよ。綺麗なだけでサラッと終わっちゃうっていうかさ」
「…………」
それは、一真の一番の悩みだ。
作品を書く、ということは、ある意味自分との戦いだと、一真は思っている。
昔、誰かが言っていた「作品は自分が全部出るものだ」…と。
知識、経験、考え…そんなものが全て出てしまう。
そう思っているため、いざ書き始めるとどうしても、「こう書いたらどう思われるだろうか…」「こう書いた方が良く思われるんだろうな…」と、考えてしまう。
その結果、大きく可もないが大きく不可もない、可もなく不可もなくの優等生的な作品になってしまうのだ。
それは、年齢を重ねるほど酷くなり、ここ最近、作品という作品を書けなくなってしまっていた。
書いて読み返すと、これで本当にいいのか?もっといい表現があるのではないか?と悩み、書いては消し、消しては書いて、結局は一行も進まずにただ時間だけが過ぎてゆく。
それは、自分という人間と常に向き合う作業で、弱さや欲望、抱えている不安…そう言った普段は蓋をしている部分を見つめ続ける作業だ。
「俺と違って、なんかいろいろ考えてるんだろうけど、世間とか周りがどうとか考えないで、出してみればいいだろ。お前が面白いと思う話をそのまま、ど〜んとさ」
一真は、ぎりっ…と持っていたカップ酒を握りしめる。
「もうちょっと気楽にさ」
書きたいものをうまく表現できない時の、あの苦しさ…。
いろいろな心の雑音が邪魔をして、なかなか進まない…そんな時に感じる不甲斐ない自分への怒り…。
それが、どれだけしんどくて辛いものか…書いたことのない人間がわかるものか!
「……に……がわか…だよ」
「ん?」
一真は、持っていたカップ酒をガンッ!と、叩きつける様に置くと、陽介の前に立つ。
「お前に何がわかるんだよ!!」
やれるものなら、とっくにやっている!
出来なくて苦しんだりしない!
一真は両手をキツく握りしめる。
そんな一真を、真顔でじっと陽介が見つめる。
「わかるよ」
陽介は滲むように笑った。
「そんなの一番、お前が良く、わかってんだろ…?」
周りが変わりゆく中で、必死に抗い、共に戦ってきた二人なのだ。
作家と役者。方法は違えど、同じ表現者。一真が苦しんでいるように陽介もまた、苦しい思いを抱えて生きてきた。
わからないはずがない。
一真は再びベンチにドサッと腰掛けた。
「………わるい」
小鳥のさえずりが、風に乗って聞こえてくる。
「なぁ、覚えてるか?プロダクションの舞台の後、お前が俺に短編小説くれた事、あっただろ?」
そう、あの時は自分はこの世界でやっていくには甘すぎるのかもしれない、と陽介が悩んでいて、このままだと陽介の良いところを自分自身で消してしまいそうで、一真は不安だった。
けれど、そのまま伝えるには難しくて、小説にして渡したのだ。
「架空の国の年若く心優しい王、コーネル。けれど彼は狡猾で老獪な重臣たちや、信じていた者の裏切り…そんなものに苦しめられて、自分は王として相応しくないかもしれないと考える。時には、自分の意に反してでも、非情な決断をしなくてはいけないのではないか…そう悩むコーネルに、子供の頃から彼に仕える腹心、ライマが言うんだよな」
陽介は、立ち上がって数歩歩くと、振り返った。
すっと、陽介の気配が変わる。
そこに立っているのは、兄のようにコーネルに仕える腹心、ライマだ。
『コーネル様。ご自分の心を捻じ曲げてはいけません。その優しく、人を信じる事が出来る心こそが、コーネル様の武器なのです。ご自分を信じ己の道を、ひたすらに真っ直ぐお進みください。この先、いかなる事があったとしても、私はコーネル様のお側におります。もしも、コーネル様の武器が折れ、倒れることがあったら…その時は私もご一緒致します』
胸に手を置き、一度丁寧に頭を下げる。
そして、顔を上げた時には、いつもの陽介だ。
陽介は、ベンチに戻ってくると再びあぐらをかいて座る。
「俺さ、あのセリフですげぇ救われたんだよ。そのままでいいんだって言われたみたいでさ」
「そう、だったのか…」
陽介は、一真の方を向いて、ニヤリと笑った。
「あの話、俺にしか渡さないって思ってたから、結構好き勝手書いただろぉ?」
「まぁ、あれは、その、勢いで書いたっていうかなんていうか…」
あはは!と、陽介は笑う。再びカップ酒を手に取り、一口含んでやはり顔を顰める。
「けどさ、俺、あの話お前が書いたもんの中で一番好きだ」
陽介はその後、小説に関しては何も言ってこなかったので、そんな風に思っていたなんて、思いもしなかったのだ。
「人の心を動かすって本当に難しい事だけどさ、お前が書くものにはその力があると、俺は思ってる。まぁ、少なくともここに一人はいるわけだし?」
陽介は、前を向いたまま続ける。
「いいじゃねえか、周りにどう思われようが、何言われようが。自分の書きたいもん書いてみろよ…お前にはまだ、それが出来るんだからさ」
その言葉に、一真は陽介の横顔を見た。
前を見ているその横顔は、先程までの明るさが嘘のように、なんだか今にも消えてしまいそうだ。
「あ……」
何かに気づいたように、陽介は少し何かを含んだ様に笑うと、
「そろそろ、行かなきゃなぁ」
そう言って立ち上がり、一真の方を振り返る。
軽く手を上げると、いつも通りの屈託ない顔で笑った。
「じゃあな」
そのまま、一真に背を向け、歩き出す。
一真はその背中に思わず手を伸ばした。
「陽介!!」
はっと、一真は目を覚ました。
そう、目を覚ましたのだ。寝たつもりはない。ないが、電車の中で寝落ちをしてしまった時のような、そんな感覚だった。
さっきまで、陽介と話をしていたはずだ。だが、さっきまで目の前にあった陽介の背中はそこにはない。
「俺は、寝てた…のか?」
それはそうだ。陽介が、ここにいるはずはない。だって、陽介は……。
ベンチの背もたれに体を預けた一真の視界に何かがひっかかった。
それは、ベンチの座面に置かれていた、二つのカップ酒。
一つは未開封で、一つは封が切られ、半分程量が減ったカップ酒だ。さっきまで陽介が飲んでいたくらいの量の……。
一真は、唇を引き結んだ。
手の平で目元を覆う。
「…………っばっかやろう………」
そのまま、目元を覆った手の平で顔を一拭いすると、ワイシャツのポケットに突っ込んだあった黒いネクタイを取り出して結び、背もたれにかけてあった黒いジャケットを着た。
ベンチから立ち上がると、半分程残ったカップ酒に向かい合う。酒の水面がゆったりと揺れている。
一真は一度、手の平を開くと、ぐっと握りしめた。
未開封のカップ酒を手に取り、プラスチックの蓋を取ると、中蓋を引き開けた。そして一気に飲み始める。途中で飲み切れなかった酒が頬をつたい、首をつたい、ワイシャツの襟に染み込んだが、構わず飲み干す。
手の甲でぐいっと口元を拭うと、飲みかけのカップ酒の横に、こんっと空のカップを置く。
酒の水面に細かな波紋が広がった。
ベンチに背を向け、ジャケットの襟を正し、大きく息を吸い込むと一気に吐き出す。
そして、一真は大きく足を踏み出したのだった……。
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