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しおらしくなった旧友。
居酒屋に着くと個室へ通された。俺以外の四人はもう来ていた。おう、と軽く手を上げる。
「遅いぞ田中」
「遅刻だ遅刻」
橋本と綿貫が揃って囃し立てる。
「ごめんごめん。シャワーを浴びていたら電車を一本逃しちゃって」
「色気づく面子でもないでしょうに」
中島が薄い笑顔を浮かべてそう言った。遠慮の無い発言、変わらないな。
「そんなことないよ。この面子で飲むのは初めてだし、ちょっと張り切った。山科はわかってくれるだろ?」
話を振ると、ええ、と小さく頷いた。うーん、この反応にはやっぱり慣れない。
「まあいいや。田中の分のビールも注文しておいたからもうじき来ると思う」
「流石橋本、ありがとう」
お礼を言い腰を下ろす。タイミングを見計らったかのように店員さんが飲み物を持って来た。俺と橋本、綿貫の男三人はビール。中島は緑茶ハイ、山科はウーロン茶を受け取った。
「じゃあプチ同窓会ってことで、乾杯っ」
綿貫の音頭でグラスをぶつける。乾杯、と声が乱れ飛んだ。
「改めて中島と山科、久し振り。こないだの結婚式じゃろくに喋れなかったもんな」
女子二人に話し掛けると、そうね、と中島が応じた。
「しかし同級生も結婚し始めたかぁ」
「二十四だもん。これからまだまだ続くよ。田中君はいい人とかいないの?」
その質問には肩を竦めた。何それ、と笑われる。
「ちなみに俺は独り身です」
訊かれてもいないのに綿貫が挙手して述べた。そっか、と適当にあしらわれる。
「え、何その反応。冷たくない?」
「だってあからさまなんだもん。女の子、紹介して欲しいの?」
「いや、俺はただ事実を述べただけで」
「それともまさか私と付き合いたいとか? 綿貫君、手が早くなったねぇ」
中島にからかわれて綿貫は慌てふためいている。再会早々、何をあしらわれているのやら。一方静かな山科に、何年振りだっけ、と水を向ける。一瞬体を強張らせてから此方を向いた。
「七年ぶり、ですね。高校生の時にたまたまお会いして以来かと存じます」
馬鹿丁寧な喋り方。記憶の彼女とは似ても似つかない。中学生の時、俺と給食のプリンを取り合ってじゃんけんに負けた腹いせに蹴りをかましてきたあいつは何処へ行った。ちなみにその件については未だに納得していない。まあそれこそ十年も前の話だから蒸し返したりはしないけど。
「成人式の後の同窓会には来なかったんだっけ?」
「中学校の会ですよね。あまりいい思い出がありませんので、欠席させていただきました」
いただきましたって。丁寧を通り越して最早他人行儀だ。それでも此方は努めてフレンドリーに話を進める。
「そっか。うん、山科、当時は大分暴れていたからなぁ。覚えてる? 中二の合唱コンクールのこと。ソプラノのソロパート担当の人に何故か山科がやたら熱心に指導して、駄目出ししまくった挙句ブチギレられたんだよな。こいつウザイって」
からかい半分に話題へあげると、やめて下さい、と目を伏せられた。
「その後、君がソロを押し付けられて滅茶苦茶苦労していたよなぁ」
「……人には黒歴史というものがあるのです」
静かな声で呟かれ、はっと口を噤んだ。いつの間にか全員が静まり返っている。完全に空気が死んでいた。やべ、と思うと同時に両脇に座る綿貫と橋本から頭と肩を叩かれる。
「謝れ田中」
「山科が可哀想」
「デリカシーが無いにも程がある」
「人として最低だぞ」
「お前はいつもそうだ」
「越えちゃいけないラインに平気で踏み込む」
うむ、これは俺が悪い。触れられたくない過去もあろうて。
「ごめん、山科。悪かった」
いえ、と俯いたまま首を振った。その姿は記憶の彼女と程遠い。思うがままに突き進み、人とぶつかろうが構わず自分を貫き通した彼女はいない。一体何があった。まあそれはともかく。
「ごめんな」
もう一度しっかり謝る。ようやく薄っすらと笑みを浮かべた。
「お気になさらず」
やっと場の雰囲気が和らいだ。ふう。ひやひやした。
それから皆で思い出話に花を咲かせた。修学旅行で誰が告白していただの、寝ぼけた綿貫が橋本に抱き着いて離れなかっただの、懐かしい話題は尽きなかった。ただ、やはり気になったのは山科の静かな姿だった。
「絶対今のは後出しだ」
「いいや、ちゃんと同時に出した」
「うるせー、女子には優しくしろっ」
「男子だ女子だ言うんじゃない。あ、いってぇ。蹴りやがったな」
そんなやり取りを今のこいつとは決して出来ないだろう。思い出して寂しくなる。
「ちょっと、失礼してお手洗いに」
そう言って山科が席を外した。個室の扉を開け、音も無く閉める。それを見届け口を開くも一瞬早く橋本が、あいつどうした、と中島へ顔を寄せた。
「誰だよあの人。中学時代と違い過ぎて最早知らない人だよ。あんな大人しい奴じゃないだろ」
一方、綿貫はおしぼりで目元を拭った。
「え、お前泣いてる?」
「だって山科が変わり過ぎていて見ていられない。絶対辛い目に遭ったんだよ。なあ、中島。そうなんだろ。あいつに一体何があった。俺はもう胸が張り裂けそうだ。教えてくれ。仲の良かった君なら事情を知っているだろう」
口々に問われた中島は、いやぁ、と曖昧な笑顔を浮かべて誤魔化そうとする。しかし俺も加わった。
「頼む、教えてくれ。俺達は純粋に旧友として山科を心配しているんだ」
「そんな、大したことじゃ」
「大したことだろ。音楽係でも無いのに合唱コンクールの練習を取り仕切って大顰蹙を買った奴が、黒歴史を掘り起こされて静かに俯くか? 昔のあいつなら拳が飛んで来たはずだ」
「田中は田中で、自分のデリカシーの無さを自覚しろよ」
橋本に釘を刺われる。その時、いえ、と静かな声が響いた。反射的に目を遣る。いつの間にか山科が帰って来ていた。男三人、揃って唇を噛む。事情ね、と中島は呟いた。山科を横目で見やる。そっと扉を閉めると山科は口を開いた。
「すみません。私、真帆さんではないのです」
しばしの沈黙。中島だけが溜息を吐いた。事情を飲み込めない俺達は首を捻るばかり。
「山科じゃ、ない?」
だが顔かたちは間違いなく山科だ。大人びたけれど確かにあいつの姿をしている。同じ顔の別人とでも言うのか。そんな考えに背筋が寒くなる。
「じゃあ、君は、誰だ」
震える声で問い掛ける。橋本と綿貫も息が荒れていた。怯える俺達に告げられた返答は。
「タヌキです」
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