化けナイト≪PONPOKO≫

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 暗闇に埋もれる夜はそこにない。  きらびやかな照明、広いダンスホールのようなフロアにはソファーとテーブルの客席がいくつもあった。席を埋めるのは上品に着飾った女性と、そんな彼女たちに一人づつ、あるいは友人、あるいは恋人のように軽快なトークとお酒と軽食でもてなす男たちの姿。  ホストクラブ≪PONPOKO(ポンポコ)≫は今日も盛況であった。 「ねー、ポコ君? なんか面白い話して~?」  甘えるような声音で客の女が言った。 「ちょっと! 抜け駆け禁止でしょ! ポコきゅん~、私は頭撫でてほしいなあ~」  彼にしなだれかかりながら別の女が言った。 「ほらほら、あなたたち、ポコさまが困っていらっしゃいますわよ? ポコさま、お酒のお代わりは何がよろしくて?」  ポコを左右から挟む女たちをけん制するように、年長者らしい女がメニューを広げる。  店内で3人もの女性を一度にお相手するひときわ騒がしい席。  そこがホストクラブPONPOKO一番人気のホストPOKO、通称ポコ君の居場所だった。  彼は、彼女たちに平等な微笑を投げかける。 「……子猫ちゃん達、喧嘩しちゃいやだぜ?」  ポコはひとりひとりの耳にささやくように告げ、ついでに頭をなでなでする。  脳髄を溶かすようなその一言は彼女達のわだかまりをも溶かしたようだ。 尚且つ、優しく頭を撫でられたことによって、女たちは満足したのかソファに深くもたれかかる。 「ああんポコ君の声しゅきぃ……」 「ポコきゅんからの頭皮マッサージで幸せがやばい……」 「ポコさまぁ……」  この三人の女はホスト狂い三姉妹と呼ばれていて、非常に厄介な太客だった。彼女たちは性格も性質も違う癖に何故か同じホストクラブに入り、必ず同じホストを取り合う習性があるのだ。それはもう猫の縄張り争い並みにうるさい。  界隈で噂が立つほど迷惑極まりないホス狂い三姉妹を一言、一動作でノックアウトするのだから、客も従業員も勿論ポコに惜しみない拍手を送るのは必然だった。  だが、ポコはそれに微笑で答えるだけだった。  前髪をどかす動作をしながら、アンニュイに壁掛け時計に流し目を送る。  23時。  ホス狂い三姉妹が入店してから1時間が経過していた。  PONPOKOの料金システムはセット料金。1セット90分で設定しており、これを超える場合延長料金が発生する。  ホス狂い三姉妹はポコを指名し、ドリンクや軽食もたくさん頼んでくれる太客だが、抜け駆けを禁止するあまり延長だけは絶対にしない。  なので、あと30分。  30分後にはお帰りになられるはずだった。 「…………」  ポコは自然と自らの腹部に右手を添えていた。 (お腹、めちゃくちゃイテぇ……)  ホストと言えど一人の生物。  体調が芳しくない時もある。  本来なら即座にWCに駆け込むレベルの腹痛だったが、そこはホストとしての意地とお客様の夢を壊すわけにはいかない信念とで表面上いつも通りに振舞っていた。  我慢強さこそナンバー1ホストに必要な資質なのかもしれない。 「?」  ポコは視線を感じて顔を上げた。  ホス狂い三姉妹のものではない。  彼女たちは幸せ顔でのぼせている。しばらくは起き上がってこないだろう。  フロアを見回すが他のホストやお客はそれぞれお酒に会話に花を咲かせている。  ではどこから?  厨房の方へと視線を向け、その疑問は氷解した。  オーナーだった。  厨房から半身を出して、黒いサングラスの向こうからポコに熱い視線を向けていたのだ。  照明を反射する禿頭に、サングラスでスーツ姿。  一見すればやくざ者に見えることもあるが、虫も殺せない小心者だ。  オーナーは、ポコに向かってガッツポーズと、感謝の意を示す拝礼を行う。  ポン!  軽い爆発音がポコの地獄耳に届いた。  禿頭にタヌキのケモミミと、腰から尻尾が生えたオーナーは慌てて厨房に引っ込んでいく。  連日連夜ホス狂い三姉妹に店をめちゃくちゃにされやしないかと様子を伺っていれば、それは変化も解けるというもの。  ポコは思わず苦笑いを浮かべた。  彼は人間界にたどり着いた頃、働き口も食べる物もなく、汚い路地裏で倒れているところをオーナーに発見されこの道に入った。  オーナーが拾ってくれなければ今頃餓死していた事だろう。  ≪PONPOKO≫で働く従業員は全てポコのような野良タヌキだった。  野生のタヌキとしての生存戦略に負け、人間として一旗揚げようと人間界にやってきた。  そして、世間の荒波に敗北したのだ。  人として生きることもできなかった負けタヌキで構成されているのが、ホストクラブ≪PONPOKO≫だった。  タヌキの世界も人の世も常に不器用な者からつまはじきにされるのは変わらない。 (腹がイテぇのも変わらねぇか……)  腹痛を紛らわせるために普段考えないようなムズカシイことを考えてみたポコだったが、無駄なようだ。  心当たりは……どうやら出勤前に飲んだ牛乳の消費期限が切れていたらしい。  ホス狂い三姉妹がのぼせているうちにWCへ……と、席を立とうとしたポコをホス狂い三姉妹が囲んだ。  馬鹿な、確かにASMRで脳髄を溶かし再起不能にしたはずなのに……。 「ポコきゅんどこいくのぉ?」 「ポコ君、いっちゃいやいや~」 「ポコさま? わたくしのお酒が飲めませんか?」  とくとくとグラスに注がれる透明なアルコール。  ポコは余裕の微笑を浮かべながら、「……いただくよ」と並々注がれたグラスを掲げ、席に座り直す。  両サイドから腕を組まれた。  これではいざという時……。 「どうしたんだい子猫ちゃん達? 俺はどこにも逃げやしないよ」  甘い声音で語り掛けるも、彼女たちはじっと見下ろすばかり。  ポコの獣の本能が脳内で警鐘を鳴らしていた。 「ねえポコさま?」  年長の女が甘ったるい声音を出してポコに顔を近づけた。  食われる! 獣の本能が今すぐにでもこの場を逃げ出せと告げているが、「なんだい?」ポコのホストとしての教示が余裕の笑みを崩させない。  前門のホス狂い三姉妹、後門の腹痛というピンチだ。  その時、救世主が……。 「すみませんねお客様。当店のホストとの過度なスキンシップはおやめいただけませんか。他のお客様も見ていることですし……」  危機を感じ取ったオーナーが厨房からさっそうと現れ、やんわりと注意を促した。 (いいぞオーナー! その流れで彼女たちを帰してやってくれ!!)  ポコは内心オーナーへ喝さいの拍手を送るが、表面は以前ナンバー1ホストの皮を被り続けて余裕の微笑を浮かべ「まあまあオーナー」と言って見せる。 「ちょっと~、ポコきゅんと私たちの話なんですけど?」 「そうよ! ハゲ! すっこんでて! 私達はこれからポコさまに大事な話があるんだから!!」 「そういうことですのでオーナーさん? 戻っていてくださいませんか? これはわたくし達とポコさまの問題ですので」  オーナーはホス狂い三姉妹に睨まれ、少しタヌ耳と尻尾を覗かせそうになったのを、どうにか押し戻して、「は、はは……そですね……はは……」と厨房に戻っていってしまった。 (オーナー……)  弱い、弱すぎる……。これが小心者の力か……  ホス狂い三姉妹の視線の矛先は再びポコに向いた。 「さて、ポコさま、今日こそ決めていただきますわ」 「……何をかな?」 「決まっていますわ。わたくしたち三人の中で誰が一番好きなのか。はっきりさせていただきたいのです」  ホス狂い三姉妹の他二人も神妙にうなずいた。  いつの間にかフロアの視線がこの席に集中し、若干のざわつきを伴う。  従業員も客も、界隈の悩みの種であるホス狂い三姉妹と、PONPOKO1のホストの舌戦を期待しているに違いなかった。  そして、ポコがいつもの調子の甘い囁きと巧みな話術で彼女たちをノックアウトし、店の平穏を取り戻すと信じていた。  負けるわけにはいかない。  ポコは今にも表情がゆがみそうな腹痛に耐えながら、「ははは、困っちゃうな……」とアンニュイで、母性をくすぐる微笑を浮かべ、三姉妹それぞれに視線を向ける。  ぽっとほほを赤らめた彼女達。  あとは、いつも通り耳元で「好きだよ」と囁けば――。  その時、腹部に雷が落ちたような痛みが走る。 「……あっ」  ポン!  変化の解ける音がした。
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