背乗り

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エージェントからの連絡を待つ期間、李は佐藤隆一の半生に関するレポートを何度も読み直していた。 佐藤隆一という人間がどういう人生を歩んできたかは、探偵によって調べられた詳細なレポートがあり、それは訓練の際頭に叩き込んだものであったが、その時はただ覚える事が目的だった。 今、この時間のある時に、改めて佐藤隆一がどんな人間であったのか想像してみようと思った。 佐藤隆一は普通のサラリーマン家庭に産まれ、中堅の大学を卒業し大手電機メーカーに就職している。 開発部門で技術者として仕事をしていた。 社内結婚をしたが、子供はいない。 八年勤めたところで開発部門の仲間八十人と共に会社を辞め、カオスエイティというソフト会社を設立した。 これは当時話題になった話だ。 あの八十人の中の一人だったという事だ。 優秀だったに違いない。 だが、日本社会というのは恐ろしいものである。 せっかく育てた技術者達が、後ろ足で砂を掛けるように出て行った事を前の会社が快く思うわけがない。 優秀な技術者八十人と言っても所詮はソフト開発の会社である。 顧客がいなければ仕事はできない。 技術者に裏切られた大手電機メーカーは回状を出し、自社の全ての取引先に対して、カオスエイティと取引しないよう依頼した。 最初は新聞で取り上げられ時代の寵児と言われた会社も、こうなるとどうにもならなかった。 仕事はじり貧になり、なんとか海外からの案件で食ってはいたものの、元々営業畑の人間のいない技術屋の集まりである、倒産するのは無理もなかった。 佐藤が無職になったところで離婚している。 金の切れ目が縁の切れ目だったという事か。 その後佐藤は、以前勤めていた大手電機メーカー時代の伝手を頼り、同業他社である電機メーカーの取締役資材部長から指名で仕事をもらうようになった。 佐藤はこの人物に気に入られ、仕事も確かだったようで、依頼される仕事量は順調に伸び、三人ほど人を雇って、会社組織にするまでになった。 ところが、世の中何が起こるか分からない。 なんと顧客であった電機メーカーが台湾の会社に買収されたのだ。 顧客との伝手を失ってしまったらもうもたない。 なすすべもなく倒産した。 この時に両親が相次いで他界。 失意の中、佐藤はそれでも再起を図ろうと今度は全く畑違いの居酒屋を始める事にした。 人生の賭けに出たのだ。 しかし、今度は疫病の世界的流行で飲食店は全て閉めざるを得ないという不運に見舞われた。 多額の借金を抱え、今回は会社組織にしていなかったために自己破産し、全てを失って失踪。 ホームレスへ転落。 …なんという不運な人生だ。 決して怠惰に生きた人生ではない。 次々に襲い来る不幸に立ち向かおうと精いっぱい頑張った人生だ。 人生とはこれほどまでに不公平なものか。 李は、心の底から同情した。 その佐藤は今も、この日本のどこかで生きている。 名前も無くし、世の中から隠れひっそりと誰の目にも留まらぬようにして生きている。 私はそんな佐藤から最後の持ち物であった戸籍まで奪ってしまったというわけか。 だが、それも仕方がない。 世の中は不公平にできているのだ。 これからの佐藤隆一は、産業スパイとして後世に名を遺す働きをする。 真っ当に仕事してもその努力を悉く潰してきた運命に対して復讐をするのだ。 それは私が引き受ける。
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