狸の嫁入り

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 耳と尻尾のあった跡には乾いた血が固まっている。 「それは、いったい」  震える声で村長(むらおさ)が問う。 「俺の変化の術では、おそらくもう一朝一夕に耳と尻尾を消すことは出来ないでしょう。何故なら、俺自身がその美しさに誇りと拘りを強く感じているから。だから、断ち切りました」  原因に辿り着いた今、このまま修行を続ければその末に変化の術を完全なものに出来るかもしれない。けれども今だ。今出来なければいけないのだ。  そしてそれが出来ないこともまた、貴吉(たかきち)は深く理解していた。  だから覚悟を決めた。  貴吉(たかきち)は鋭利な割れ石を探し出してさらに他の石と打ち合わせて研ぎ澄ませ、その耳と尻尾を切り落としてしまったのである。 「お(はな)を娶り村長(むらおさ)としての責務を果たすため、至らぬ自分と決別してきました。これが俺の覚悟です」  狸の姿のまま地に伏せ村長(むらおさ)へと頭を下げながら貴吉(たかきち)が続ける。 「お(はな)村長(むらおさ)になるためとはいえお前の愛してくれた俺は耳も尻尾も無い滑稽な獣に成り果ててしまったが、これでもまだ俺を愛してくれるだろうか」 「当たり前じゃないの貴吉(たかきち)。あなたの姿がどうなっても、私の気持ちは変わらないわ」  二匹の言葉を聞いた村長(むらおさ)と、次郎作(じろさく)の視線が交錯した。  次郎作(じろさく)は深く溜息を吐いて頷く。 「ここまで覚悟を見せられては、仕方もありませぬな」 「そうか……そうだな。次郎作(じろさく)が異論無いと言うのであれば、よかろう。これをもって、貴吉(たかきち)にお(はな)を娶らせ新しい村長(むらおさ)とする。よいな皆のもの」  その宣言に、どよめき、そしてじんわりと祝福の声と歓声が広がっていった。  とある春先、満月の夜のことだった。  それからしばらく、その山は耳と尻尾の無い狸が群れの長を務めたことから坊主山と呼ばれるようになった。  しかしてその狸はおそろしく変化の術に長け、山に踏み入った者は名うての僧侶や(さむらい)であっても全くその術を見抜けなかったという。
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