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雪が降り積もっても貴吉は孤独に変化の術の修行を続けていた。修行に集中するため、お花とはもう春までは逢わないでおこうと約束している。
しかし、どれだけ繰り返しても耳と尻尾は残り続けた。逆にやればやるほど、観察すればするほどに、どう変化しても耳と尻尾以外は思い描いた通りの姿へと変じているという確信が深まる。
なのに何故あと一歩が届かないのだ。一体なにが足りないのだ。
そうしているうちに年が明け、気付けばじわじわと雪解けが始まっていた。
進展はなにひとつ無い。
水面に映る己の姿をじっと見つめて、貴吉はひとつ涙を零した。
あとしばらくのうちに全ての雪が消え去って若芽が開き、春が訪れる。そうすればお花は次郎作のものだ。まさか村長の嫁と不義密通するわけにもいかない。
お花とはこれでおしまいだ。
思っているうちに涙は次々溢れ止まらなくなり水面を揺らす。
俺は村で一番美しい狸だ。親も、兄弟も、村の誰も彼もが、あの次郎作ですら褒め称えてくれた自慢の姿だ。
しかし今はどうだ。その姿を完全に捨て去れないが為に、俺は大切な者を失おうとしている。
「なんて、惨めなんだ。想い合う雌も守れない不甲斐ない雄だ、俺は」
お花さえ、お花とさえ添い遂げられるのであれば、俺はなにもかもを捨ててもいい。貴吉はそれほどまでに思い詰めていた。
けれども、それからしばらくして貴吉はついにひとつの悟りに至った。
幼いときから褒め称えられ、骨身に刻まれ魂に沁み込んだ美しさへの自尊心が、狸の姿を全て捨て去る変化を無意識に拒んでいるのだと。
もはや並大抵のことでは禊げない祝福と賞賛という呪い。
それでも気付きを得た今、もしかしたらいずれはそれを解きほぐし完全な変化の術を会得するに至るかもしれない。
だが、もう遅い。
柔らかな風が吹いた。春の訪れが告げられたのだ。
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