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「傷跡なんて、どこにも見当たりませんが」
華奢な方が音を上げるように言った。
「厳密に言うと、ここにあるのは傷跡ではありません。ゾンビの爪で出血こそしましたが、決して深手ではなく、絆創膏を貼るだけで済む程度の浅い傷でした。でも、Zウイルスの影響で治癒力が落ち、感染から5年経っても患部はかさぶたができず、膿んだままです。接客のプロとして人前に出るには相応しくない。なので、妻から譲り受けたコンシーラーやファンデーションをふんだんに塗して完全に隠しました」
恰幅の良い方が萎縮しながらも、ほぅ、と感心したような声を出した。
妻と講じた策はこれだけじゃない。
僕は指先を右頬から口元までスライドさせて2人の目線を誘導した。
「唇には、毎朝、口紅……リップを三重に重ね塗りしています。貧血みたいに青白い唇を晒したら、お客様に不気味な印象を与えてしまいます。なので半年間、妻と一緒に、男性の唇らしい色合いになるリップの組み合わせを探しました。少しでも薄いと不健康に映り、少しでも濃いと女装感が出る。微調整が大変でした」
2人が目を見開いた。恐怖が興味へと変わりつつある。
「感染して生えなくなった眉毛は、アイブロウで描いています。お客様に親しみやすそうな印象を抱いてもらうために、穏やかなカーブを意識して。体臭の予防も欠かしていません。加齢臭と腐臭、それらを打ち消す香水を全身に塗しています」
まくしたてるうちに目頭が熱くなってきた。
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