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「ここにいたいです。」
と言われたとき、断ち切るべきだった。
でも何でかそうできなかった。
鍵まで渡して。
あの椅子で暗い部屋でデスクライトに照らされながら本を読んでる彼を見た時、俺はしばらく動けなかった。
それが何故なのか分かってる。
昔、同じようなことがあった。
あれは、初恋だった。
叶わなかった恋だった。
見てるだけでよかったのに、つい伝えたくなって失敗した。
あの時のあいつの顔は忘れられない。
なにも言わなかったけど、目を見れば何が言いたいか分かった。
俺のことを軽蔑するような目。
あの目を思い出すと未だにズキッとする。
だから俺は誰にも入れ込まない。
感情を持たないようにした。
水に漂うように。
この家に入れないようにした。
心に入り込まれないように。
彼をここに入れたのが間違いだった。
こんなことになるなら雨の中でも走って帰ればよかった。
それから彼は俺の家に来るようになった。
というか、来ている形跡があった。
俺は苦肉の策で彼と会わないように残業して会社に泊まったり、男の家を転々としたりした。
そうして一週間過ごした。
8日目、起きると彼がいた。
「もしかして避けられてる?」
怒ってる様子でもない。
「いや、この一週間忙しくて。」
「遊びに?」
「え?」
「昨夜、男の家に入っていくとこ見たから。」
「あぁ、たまたま。」
まるで浮気を詰められてる気分だ。
気が付くと彼はタメ口だった。
「本、読みきりました。もう来ないから安心してください。」
そう言うと彼は鍵をテーブルに置いて出ていった。
...やってしまった。
終わらせるにも、もう少しいいやり方があった。
タバコに火をつけてすぐ消して彼を追いかけた。
彼は近くの公園で散歩中のゴールデンレトリバーと戯れていた。
それは楽しそうに。
彼なら大丈夫そうだ。
何故かそう思った。
「ごめん。」
謝ると、
「追いかけてくると思ってなかった。」
と言って笑った。
彼は遠ざかっていくゴールデンレトリバーを見つめながら、
「柊さん、柊さんが書いた小説、面白かったです。また書いてください。」
と言った。
あれまで読まれてるとは思ってなかった。
「駄作だよ。」
「年間100冊以上、本読んでる俺が読みたいって言ってるのに?」
「うん。駄作だ。もっと面白いものが書けるよ俺には。」
「なにその自信。」
「とりあえず、あっちに喫茶店あるからモーニングでも食べない?」
「いいですよ、おごります。」
「よかった。財布持ってくんの忘れてたわ。」
「財布持ってないのにモーニング誘うなんて確信犯でしょ。」
お前こそ確信犯だろ、と心の中で呟いた。
追いかけてくると思ってなかったはずがない。
思ってなかったら駅と反対のこの公園にくるはずないんだ。
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