コマドリが鳴く朝

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目が覚めると真っ白な天井が瞳に移る。 「あれ? 私は死んだんじゃないのか?」 妻のヴィクリアに看取られながら死んだはずが、身体の熱さやだるさが嘘のように消えている。 「もしかして……治ったのか?」 そんなことを思っていると、窓の外からコマドリの鳴き声を聞こえてくる。 「難聴も治ってる……」 ベットから飛び降りて扉の方へ行き、ヴィクリアを探しに行こうとした時。 「あっ……」 扉を押し開けようと手を伸ばしたら、扉に触れることは出来ず、手が扉をすり抜けてしまう。 そして私は理解した、もう私は生きてはいないのだと。 「そうか……やはり私は死んでしまったのか……」 虚無と絶望を胸に感じて、瞼を強く閉じ悔し涙を堪えて、瞼の裏に映ったのはヴィクリアだった。 「……とにかく、ヴィクリアに会いたい」 私は扉をすり抜けて、ヴィクリアのもとへと急ぐ。 城から抜け出して辺りを見渡すが、ヴィクリアの姿も城の者たちの姿もない。 (何処に行ったんだ! ヴィクリア!) 探し回ったがヴィクリアも城の者も見つからず、諦めかけていた時。 やっと私はヴィクリアたちの姿を発見して、急いで近づいてみると、 彼女は棺を見ながら呆然と立ち尽くしている。 「ヴィクリア! こんなところにいたのか」 ヴィクリアに話しかけても、当然私に気づくこともなく彼女はずっと埋められる棺を見ている。 「あれは、もしかして私の棺か……」 なんて呟いたとき、ヴィクリアは声を震わせながら言った。 「ルバート……、さよなら私の愛しい人」 "ルバート"は私の名前だった。 「城に帰りましょう……」 私の葬式が終わって、彼女はぽつりと呟いて城の者たちと歩き出す。 (ヴィクリア……) 私は彼女の後を追って、城へ向かった。 城へと着くと彼女は自室へ入り、鍵を閉めた。 「何をしてるんだヴィクリア」 私は彼女に何度も問いかけるが、もちろん彼女から言葉が返ってこない。 すると突然ヴィクリアはその場で蹲って、大粒の涙を流し始めた。 「ルバート……ルバート……、なんで……なんであなたは死んでしまったの」 彼女は子供のように泣き出して、ぶるぶると震えている。 「なんで……なんで……」 そう繰り返しながら泣いている彼女に、私は抱きしめることも出来ず、彼女の身体をすり抜けてしまう。 「頼む! 頼む! 少しだけでいい! こんな弱ったヴィクリア見ていられない!」 彼女を抱きしめたいのに、彼女の優しい言葉を掛けたいのに、私はただ傷だらけの彼女を見ていることしか出来ない。 「頼む! 頼むから! こんなのあんまりじゃないか!」 何度も何度も何度も何度も、彼女に触れようとしてるのに、なんで私は彼女に触れられないんだ。 「ごめん……ヴィクリア、もっと僕が頑張っていたら、君がいまこんなに悲しむこともなかったのに。いや、そもそも病に侵されなかったら……」 しばらく悔しさを口から溢したあと、どうにか彼女の暗い顔を少しでも明るくできないものかと、城の外に出て辺りを見回す。 だが、やはり何も出来ることはなくいきなり誰かに話しかけられた。 「ルバート様、長期の闘病生活と四十二年間の生涯ご苦労様でした」 私に話し掛けてきたのは、八年前に亡くなった料理長のパスティだった。 私がヴィクリアの次に信頼していた人物。 「ルバート様、私はあなた様を迎えに天から参りました。私と一緒に天へと昇りましょう」 「……私は天へと昇れるのか、ヴィクリアをこんなにも泣かせてしまったのに」 「ルバート様、何を仰っているのです。ヴィクリア様のためにもあなた様は昇天するべきです」 私の答えはパスティに言われたときから決まっている。 「…………パスティの気持ちも分かるが、私は彼女の命が尽きるその日まで、彼女のそばにいる」 「そんな……」 私の答えを聞いて、パスティは俯いて困った顔をする。 「悪いがパスティ。私はもうお前に何を言われても、私は天界には参らぬ」 「……分かりました。ルバート様がそう仰るのなら」 「すまない……」 パスティの身体は霧状になって、天界へと昇っていった。 彼を見送ったあと、ヴィクリアのいる城へと戻った。 それから四十年が経って、ヴィクリアは八十一歳になった。 彼女は私が亡くなった日から、黒い喪服を毎日着ている。 嬉しくもあるがずっと悲しみを背負わせてしまっているような気がして、喪服を脱いで新しい夫を見つけて欲しくもある。 二十年間、彼女は女王としての責務をいくつも全うした。 「ヴィクリア様、昼食を用意が出来てます」 「はい、お願い」 彼女は皺が増えて白髪が生えてもまだ尚、美しくて瞳に映すだけで笑顔にしてくれる。 「昼食を食べたら、たまには中庭に歩こうかしら」 震える指で掴んでいたスプーンを置いて、彼女は窓の外を見ながら呟いた。 それは昼食で腹を満たしたヴィクリアは、中庭で花を見ていたときだった。 彼女に見惚れていた私の鼓膜に、気味の悪い犬の鳴き声が聞こえてきた。 「なんだ……この犬の鳴き声は……」 気味の悪い犬の鳴き声は、遠吠えと変わっていった。 それはとても大きくて、耳を塞いでも聞こえるほどだった。 少し経つと遠吠えは止み、耳から手を離すと、男のような低い声が聞こえてきた。 「ヴィクリア・ストックスはあれか……」 声のする方へ視線を向けると、黒い犬がガルルルと唸りながら彼女を睨んでいる。 「なんだあの黒い犬は?」 そう考えていたら黒い犬は彼女へ駆け出し、中型犬から大型犬のサイズになって、まるで狼のようになっていく。 ヴィクリアが危ないと思った私は、化け物を止めようと思ったが、それは杞憂で終わった。 狼の化け物が噛みついたのは悪魔だった。 「くそっ、離せ! 邪魔をするな!」 悪魔は声を荒げて怒っているが、黒い狼は口に咥えた悪魔を遠くの方へ投げ飛ばした。 「愚かな悪魔よ、死期が近い貴婦人に何をする気だ」 「くっ……チャーチグリムの黒犬か、厄介な奴に出くわした」 「彼女の近くで禍々しい悪魔の気配を感じると、神父様に呼ばれ私はここにきた。私の仕事とは専門外だが、神父様が言うならば仕方ない」 「いいじゃねえかよ、もうすぐ死ぬババアをちょいと事故で殺すぐらい」 下品に笑いながら悪魔は続ける。 「おい犬公、前から思っていたんだよなぁ。生き埋めにされて神父に従うとか、お前らの頭はイカれてんのか」 下品に笑い続ける悪魔に、黒い狼は答える。 「仕方あるまい、これが私に与えられた責務なのだ」 そう言って黒い狼は悪魔に勢いよく近づいて、悪魔の頭を咥えて噛み砕こうと力をいれる。 「うぅぅ……! くそっ!」 悪魔は霧状に弾けて地面に吸い込まれるように消えた。 「逃げられたか……」 そう残念そうに言って、黒い狼からまた中型犬に変わったところで、私は恐る恐る彼に話し掛けてみた。 「ヴィクリアはもうそろそろで死ぬのか?」 そう言うと彼は赤い瞳をこちらへ向けた。 「ルバートか……」 驚いた、彼は私の名前を知っていた。 「な、なぜ私の名を……⁉」 私がそう訊くと彼は教えてくれた。 彼はこの場所の墓を守っていることを。 「そうだったのか……心から御礼を申し上げる」 私は彼に一例をして再び訪ねる。 「ヴィクリア……、彼女はもうそろそろで死ぬのか」 「あぁ、そうだ。私には分かる、彼女は二週間後には亡くなる」 「なんとかならないのか?」 私が彼にそう訊くと、彼は「ならぬ」と答えた。 その答えによく分からない感情になって、黙って俯いてしまう。 「もうそろそろで彼女に逢えるのだぞ、嬉しくはないのか?」 彼は不思議そうに首を傾げてる。 「ヴィクリアに逢いたい。逢いたいが彼女にはまだ逢えない方がいい」 彼に話しながら、少しずつ頭の中を整理する。 「彼女にはまだ生きてて欲しいとゆう気持ちもあるんだ」 「ふふっ、ルバートはヴィクリアのことを誰よりも考えているのだな。だが、心配することはない。私の目から見てだが彼女は御主を今でも愛してて、愛してることを幸せに思っていると感じるぞ」 「……」 黒い犬に言われてから二週間が経とうとしていたある日、彼女は震える指で遺言書を書いてメイド長に渡した数日後。 彼女は安らかに息を引き取った。 使用人たちへの感謝の言葉を述べている彼女を見て、私は感動のあまり泣いてしまった。 朝に亡くなった彼女は、使用人たちが棺桶へと入れられて運ばれた。 ただ彼女の魂はベッドに寝ている状態で、目覚めたときのことを思い出す。 彼女の遺体を教会へ運ぶのを見届ける。 棺桶の中に使用人や息子や娘たちが橙色の花を添えていく。 この花の色で私は思い出した。 彼女との結婚式を。 真っ白なウエディングドレスを着て、王冠ではなく橙色の花冠を頭に乗せたヴィクリア。 私を見上げて微笑んだ彼女に、胸が焦げるほど感動したことも懐かしい。 彼女の魂が目が覚めたのは、それから数時間が経ってからだった。 幽体になった彼女がゆっくりと目を開ける。 「ここは……天国?」 「お目覚めかい? ヴィクリア」 「ルバート、久しぶりね」 「あぁ、久しぶりだ」 やっと彼女と話すことが出来た喜びが、目蓋から溢れるのを感じる。 もう感じる頭も神経もないのに。 「何よ、泣くことないじゃない」 「すまない、ずっとそばにいたのに。凄い離れていたような感じがして」 ぼろぼろと涙が胸へと落ちる。 (これで私も天界へ行ける)と思ったが、それから何度朝が来ても、私たちが天界へと昇ることはなかった。 どうしてだろうと二人で話していたとき、あの黒い犬がまた私たちの前に現れた。 「逢えたのに昇天しないだと」 「そうなんだ、なんとか出来ないか?」 「うむ……恐らく、二人は何か遂げられていないことがあるんじゃないか?」 私とヴィクリアは顔を見合わせる。 そして彼女の目を見たとき、私は何が遂げられていないか分かった。 「ヴィクリア、久しぶりに口づけをしよう」 「え、ええ。もちろん良いわよ」 そう言って私は彼女と、何年ぶりかの口づけを交わした。 すると私の身体と彼女の身体が輝き出し、少しずつ霧状になって空へと舞い上がっていく。 「ヴィクリア、四十年間君のそばにいたのに。伝えられなかった想いを訊いて欲しい」 そう言うとヴィクリアは優しく微笑む。 「この世界の誰よりも愛している」 「ふふっ、そんなこと知ってるわ。私もよルバート」 彼女の微笑みに釣られて、私も笑みが溢れる。 「でも、あなただけずるいわね」 突然、不満そうに口を尖らせてヴィクリアが言った。 「え?」 「だって、あなたはあの時から年を取ってないじゃない」 確かに私は生涯を終えて幽体になってから、時が止まったように年を取ってない。 「そんなことを言われても……」 私が困っていると黒い犬は口を開いた。 「ふふっ、私に任せろ」 そう言って黒い犬が吠えると、私とヴィクリアは若いときの姿に戻った。 「わ⁉ ルバートが若返った!」 「君もだよ」 「え?」 彼女は僕から離れて、机に置いてあった手鏡で確認する。 「本当だわ! 嬉しい!」 そう言って彼女は僕のところへ戻ってきて、黒い犬に笑顔を向けて言った。 「心より御礼を申し上げます」 「ふふっ、良いんだ」 黒い犬はにやりと笑い、尻尾を振りながら答える。 「それより時間がない、間もなく冥界から天界へと一瞬で移動する。あちらへ行けば、二人は離れ離れになるかもしれない。最後に言い残すことはないのか?」 黒い犬はそう言うが、愛の言葉はもう伝えたので何も浮かばない。 いやそうじゃない、まだ言い足りない。 「ヴィクリア、天界へ行っても君を愛してる。今までありがとう」 彼女の小さな身体を抱きしめ、もう一度キスを交わす。 くちびるを離すと彼女もぎゅっと私を抱きしめて言った。 「こちらこそ、今までありがとうルバート。天界でもよろしくね、愛してる」 そして私たちはもう一度キスをして、霧状にになり天界へと昇った。 終
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