カマセ犬の唄

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 プロレスの世界ではビッグイベントでの試合が組まれると、その前の地方巡業でいわゆる『前哨戦』というヤツをやる。  1対1(シングル)ではなく、2対2(タッグ)や3対3(6人タッグ)とかでやり合うのだ。  これはビッグイベントに向けて観客の興味を惹き付けるムードメイクの役割と、二人の対立を因縁(ストーリー)として分かりやすく説明する目的もある。  そして、レスラー側としても『相手がどんなタイミングでどういう技を入れてくるのか』という呼吸を合わせておく実戦練習の意味合いがある。  そうしないと一切の手加減をしないビッグイベントでの試合では大怪我にも繋がるからだ。   観客が思わず騒然となるような危険な技の応酬は、互いが互いを信頼していないとできない阿吽の呼吸で成り立っている。 「おら! ピーカロ、出てこいやぁ!」  省吾からタッチを受けてコーナーから飛び出していく。  相手サイドも空気を読んでパートナーのアディアからピーカロにスイッチしてきた。アディアと同じ、褐色の巨体マスクマンがマット中央にそびえ立つ。  汗ばんで膨れ上がる二の腕はまるで熊みてぇだぜ。日本人では何処まで鍛えても届かない遺伝子の壁が妬ましい……が。 「行くぞ、こらあ!」  学生相撲出身の俺に細かい駆け引きなんて無用なんだ。相手が出てきたら、そのままブチかますのみ。 「おらあ!」  まずはラリアットでブン殴ってみるが、ピーカロは軽く一歩引いただけで何処吹く風だ。ま……全力ではなかったけどな。 「……おお!」  観客がどよめく。  ラリアットってのは元々アメフトで反則気味に使われる裏技のひとつで、肘の内側で相手胸板の首付近をブン殴るプロレスでは『よく使われる』技だ。  見た目には分かりにくいが、胸板の首近くは肋骨を守る大胸筋が薄いから直撃すると肋骨が軋んで呼吸が止まるのだ。アマレスの全国王者クラスでもまともに喰らえば一発でK.О.される威力があるんだが。 「ま……そうだろうな」  本場で鍛えられた肉体に、世間の常識なんて通用しない。  この世界では日常の非常識こそが常識なんだ。だから客が足を運ぶんだ。『現実に起こるファンタジー』を目撃するために。 「掛かってこいや、こらあ!」  ロープを指差し、ピーカロを徴発してみせる。ピーカロも空気を読んだのか『ニタリ』と笑ってからロープへ飛び、その反動のままこっちに体当たりをブチかましてくる。無論、こっちに『逃げる』なんていう選択肢はねぇ。正面から受けて立つ。  一瞬、呼吸が止まるかと思うほどの物凄い衝撃がきて、ズドン! という肉と肉のぶつかる鈍い音がする。  胸板に2階から転落したみたいな激痛が走りやがる。  ……ちっ! なんて威力だ。  さっきのお返しとばかりに一歩だけ後ろに下がって耐えてみせる。そして双方、頭をぶつけて睨み合い。 「うぉぉぉ!」と観客の盛り上がる声が聞こえる。  いいねぇ。これでこそ、プロの試合ってもんさ。
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