十三番のお客様

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 「……で、どうなんです? “魔法使い”ってのは」  カウンター席にどっしりと座る男は、ボサボサの髪に首元が伸びきったワイシャツを着た、そのくせ眼光だけは奇妙なほどに鋭く、不快感を与えるには充分の、とにかく“あまり関わりたくない”と思わせるに容易い人物だった。男が注文したアメリカンを運んで行ってもこちらには一瞥もくれず、その眼差しが自分に向けられなかったことへ安心感すら覚えてしまう、それくらいの。  「……はぁ、何のことでしょうか」  マスターは全く気にも留めていない様子で、平然とコーヒー豆を挽きながらそう言った。メンタルが強いのか、神経が図太いのか、懐が広いのか、それとも信じられないくらい鈍感なのか。どれだろうと考えて、そのどれもが当てはまるのかもしれないと思う。  「何って、マスターのあんたが知らねぇはずはないでしょう。一部の界隈では話題になってんですから」  「へぇ。それはそれは」  確かに、マスターが知らないはずはなかった。取材に来られたのはこれが初めてではない。一度目と二度目は、ちゃんとしたグルメ雑誌だった。表向きは喫茶店特集の一部として、この店を紹介したいという典型的なものだったと聞いている。生憎どちらも私はシフトに入っていなかったので、一体どんなやり取りが交わされたのかは人伝に聞いた情報でしか分からない。マスターは取材を受けたことさえ私には言わなかった。全てを話してくれたのは、今もこの男の横で何食わぬ顔でカフェラテを飲んでいる常連の奥川さんである。  三度目のこの男は、あろうことかオカルト雑誌のライターだと言う。喫茶店とオカルトなんて、何をどう頑張っても中々結びつかない。話を聞いた時点で追い返せばよかったのに、マスターはいつもと変わらぬトーンで男の話を聞いていた。  「だから、噂について知ってることを教えてくれればいいんですよ」  「申し訳ございませんが、お話出来るようなことは何も」  マスターの飄々とした様子に、男は苛つき始めているらしかった。天然なのか人工なのか分からないダメージジーンズのポケットをガサゴソ漁り始め、やがてグシャグシャになった煙草のケースと錆びついたライターを取り出す。ジュポ、と音を立てて燃えた火に照らされた目元は、よく見なくても濃い隈に縁取られている。  「お客様、店内は禁煙でございます」  「ッだから、さっさと教えてくれりゃいいんだって! そしたらすぐ帰っからさぁ! こっちも暇じゃないんだよ!」  「お客様、まずは煙草の火を消していただけますか」  男の怒声にも怯むことなく、マスターは灰皿を取り出して男の目の前に静かに置いた。ウチは全席禁煙であるが、稀にこういったマナーとモラルのない客はやってくる。男は舌打ちを一つ溢して、抗議の色を込めた眼差しをマスターに向けている。睨み付けた、と言った方が正しいかもしれない。  「アンタねぇ、やめなよ。大の大人がみっともない。思い通りにならないからって癇癪起こして。相手を動かしたいならまずは下手に出な。そんな基本的なことも分かんないの?」  奥川さんは、切れ長の目を細めて目線だけで男を見た。間延びしているようで、気を抜けば喉元を突き刺されそうな鋭さを持つ声だった。突然隣に座る客に牙という名の正論を向けられ少々分が悪くなったのか、男は渋々といった様子で小銭を置いて立ち上がる。 「有難うございました。またのご来店をお待ちしております」  もはや嫌味とすら取られそうな挨拶の言葉はそのまま空に溶ける。あの男はまた来るだろうか。少なくとも、奥川さんがいる限りは来ないだろうな、と思った。  奥川さんは女性だ。女性だけれど、否、女性であるからこそ、とても強い。それは物理的な話じゃなくて、経験値だとか、余裕だとか、そういうものを持ち合わせつつも、探究心と好奇心に満ちていて、ガハガハと豪快に笑い、盛大に悲しみ、いつだって背筋をピンと伸ばしている。そしてべらぼうに気が強いのである。だけれど彼女はブラックコーヒーが飲めない。そのギャップまでを含めて、私は奥川さんが結構好きだ。  「奥川さん、すみません」  「いいのよ、気にしないで。私はただ、居心地のいいこの場所を守りたかっただけだから」  マグカップを回収しようとして、眉を顰めた。男が頼んだアメリカンは一口も口をつけられていない。熱々の湯気を立てたまま、茶色い液体が綺麗に波打っている。勿体無いけれどこれはもう捨てるしかないだろう。  「高瀬さん、どうかしました?」  「いえ。つくづく気に食わない男だな、と思いまして」  「まぁまぁ……私は寧ろ、怒りというよりも同情の念を覚えてしまいました」  「どうしてですか?」  「彼の顔色を見たでしょう? きっと仕事に忙殺されているのだろうな、と思って」  マスターは、どうしたって掴めない人だ。物腰が柔らかく、常に微笑を湛えていて、誰のことをも平等に扱う。その実、何を考えているのか全く分からない人だ。多分きっとマスターは、心の底からあの男の過労を心配しているのだろう。  「そういえば、高瀬さん。今日は佐渡さんはいらっしゃいましたか?」  「いえ、まだお見かけしていないです」  「そうですか。ご来店されたらいつも通り宜しくお願いしますね」  「……はい」  佐渡冴子(さわたりさえこ)。嫋やかな女性の常連客だ。マスターと名字が同じだからてっきり夫婦なのかと思っていたけれど、別にそういうわけではないらしい。マスターは佐渡さんの様子をよく気にかけているけれど、二人が話をしているところはただの一度も見たことがなかった。  マスターはいつも、佐渡さんの接客を私一人に任せている。どうやら佐渡さんが私のことを気に入ってくれているらしい。バイトの面接の為この店を訪れた際、ちょうど帰ろうとしていた佐渡さんとすれ違いざまにぶつかりそうになって、慌てて謝ったのが最初だった。マスターはそんな私を見て、履歴書にも碌に目を通さぬうちに採用を言い渡した。  「……魔法使いって、やっぱり佐渡さんのことなんですかね?」  マグカップを洗いながら、僅かに語尾が上がりつつも確信めいた声を出した。  佐渡さんは極度に火を恐れているらしく、席はいつも決まって厨房から一番遠い、お店の右奥、パーテーションに区切られて独立している二人席だ。  彼女は基本一人でやって来るけれど、稀に途中から同席者が現れる。老若男女、職業も育ってきた環境もバラバラそうな彼らは決まって何か相談事を持ちかけては、皆スッキリした面持ちで帰って行く。  確かに、魔法使いと呼ぶには相応しいひとなのかもしれなかった。マスターと奥川さんは、それ以上何も言葉を返さなかった。
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