十三番のお客様

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 他のお客様の注文をとって、テーブルを片付けて、お会計の対応をして。また別のテーブルを片付けていた時に、気が付いた。  先輩が、戻って来ない。  視線を移すと、パーテーションの上から彼の茶色く染められた髪が見えて少し安堵した。止まっていた手を再び動かす。彼と佐渡さんが会うのは初めてらしいので、何か話でもしているのかもしれないとそれ以上気には留めなかった。    「……ねぇ」  「! ……何だ、先輩か……って、どうしたんですか。もしかして注文間違えてました?」  突然声をかけられたことに驚きつつも、テーブルを拭いていた手を止めて振り向く。いつの間にかすぐ側まで来ていた先輩の手にはまだ湯気の立つコーヒーが残っていて、純粋な疑問が口を衝いた。視線を上に上げれば、狼狽しきった瞳が見えた。背筋が、冷たくなる。  「……あの、さ。……いや、つか、その……いねぇん、だけど」  「……は?」  「だから、いねぇんだって。誰も……」  先輩の手も震えていて、マグカップがカタカタと音を鳴らす。  手からタオルが滑り落ちたことにも気を留めず、足を動かした。心臓の拍動が速くなるのを感じる。  「……なんで……」  そこには、誰も、何もいなかった。  あるのはただ、先ほど運んだお冷とおしぼりだけ。佐渡さん自身も、彼女が持っていたはずの鞄も、何もない。空っぽの空間に、手のつけられていないお冷の水面だけがゆらゆらと波打っていた。  ちかちかと、視界が歪む。眩暈がする。歯の根が合わず、声にならない息が漏れる。  思わず振り返ると、カウンター席に座る奥川さんの悲しげな瞳と、目が合った。
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