十三番のお客様

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 体調が悪いからとそのまま先輩は早退した。副店長と入れ替わるようにしてやってきたマスターと目が合わせられず、最低限の受け答え以外に声をかけられない。奥川さんも、何も言わなかった。  私と先輩を取り巻く空気だけがあの席に置いて行かれたまま、店内の時間は進んでいく。無心で仕事をこなしていれば、閉店時間はすぐにやってきた。  片付けをしながら、先に沈黙を破ったのはマスターだった。  「高瀬さん。今日は佐渡さん、いらっしゃってましたか?」  「……」  足元が、ぐらぐらと崩れて行くような感覚に陥る。平衡感覚を失いそうで、グッと足に力を込めた。今手に持っている食器をもう拭いたのかも分からなくなって、指先が急速に冷えて行く。  喉が細くなって、無理やり掠れた声を絞り出した。  「……消え、ました」  「……」  「……佐渡さん。いたけど……消えたんです。あの、佐渡さんは本当は……」  最初から、いなかったんじゃないでしょうか。  迷いの含んだ声はか細く、しかし二人しかいない空間ではしっかりと耳に届いたはずだ。  刹那、ガシャン! と何かが床に叩きつけられたような甲高い音が響いた。  「……すみません」  マスターの持っていたマグカップの破片がはらはらと散らばっている。私が手を伸ばすよりも先に、マスターの長く綺麗な白い指に赤い線が流れて息が詰まった。  「あなたは、彼女に会っていたでしょう」  「……」  「会話もしたはずです。何度も、何度も」  「……」  「彼女の透き通った声も、温かく優しげな顔立ちも、全てを憶えているでしょう」  「……」  「それだけが、真実ですよ」  痛みを厭う様子もなく、マスターは不自然なくらい穏やかに笑っている。私はただただ、浅い呼吸を繰り返すことしかできなかった。
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