十三番のお客様

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 「見えなく、なっちゃったんだね」  「……やっぱり、奥川さんも分かってたんですね」  店の外で待っていた奥川さんに連れて来られたのは近くの公園だった。ベンチに並んで座って、奥川さんは一度大きく息を吐く。  「うん。……あのね、佐渡さん……冴子ちゃんって、マスターの奥さんなんだわ。……出先のお店で起こった火事に巻き込まれて、亡くなったの」  懐かしむように、辛い思い出を掘り起こすように、奥川さんは一音ずつ、丁寧に言葉を発した。  そういうことなんだろうな、とは何となく思っていた。私がマスターを恐怖の対象に成り下げられなかったのは、その瞳の奥に深い愛情が見えてしまったからだ。  「マスターも私も、最初は見えてたんだよ。でもね……三回忌の時だったかな。冴子ちゃんの死をまざまざと実感させられて……言ってしまえばまぁ、現実に引き戻されたんだ。珍しく冷静さを失ったマスターの姿を見たからか、私もそのままわからなくなっちゃった」  「……“いない”ことを認識させられたから、私にも見えなくなったのでしょうか」  「うん。多分ね」  あの席を彼女専用にしてしまったのは、火から一番遠いからという理由もあるのだろうけれど、その姿を大衆の目から隠すためだったのだろう。見えなければ、そこにいることと変わりはない。  「ライターの噂話に取り合わなかったのは、彼女を幽霊だと決定づけさせないため……?」  「うん。きっと、魂になった者同士引かれ合ったのね。最初は多分、そういうところでコミュニティができて、いつの間にか見える(・・・)人にまで広まっちゃったのよ。それで“何でも解決してくれる魔法使い”が生まれちゃったってわけ。でも、都合が良かったの。だって彼女が存在する理由に、なるでしょう」  基本的には静かな店内だ。見えない人にとっては何もないが、一方で見える人にはその声も聴こえる。そのせいで彼女は、そこにいる意味を持ってしまった。幸か不幸か、彼女には存在する理由ができた。  マスターはきっと、彼女の存在を感じ続けることができたはずだ。……感じ続けたかったのだろう。  「愛し合っているの、あの二人は。だから壊したくない」  佐渡さんの、あの日の悲しげな瞳を思い出した。彼女がマスターを想っていることは今ならわかる。私にできることは、ただ二人の穏やかな日常を守ることだけのような気がした。  奥川さんは自身の指を絡ませたり解いたりして、それから一度瞼を擦り、私の手を取った。  「ねぇ、お願いがあるんだ」  「……何ですか?」  「……化かされてやってよ。マスターの、彼の魔法に、かけられたフリをするんだ」  奥川さんの声は切実だった。彼女もずっとそうして来たのだろう。わざと化かされていた。魔法にかけられたまま、きっと幾年も過ごしてきた。あの店を覆う魔法は重く、深く、ただの噂として取り上げられるほどに薄っぺらいものではないのだろう。  私は、ただ黙って、それから静かに頷いた。
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