死んだ俺と他人の彼女

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
彼女がはじめて俺の交差点に来たのは、事故のあった翌日、つまり三ヶ月前のことだ。 ここの交差点ときたら昔から見通しが悪くて、これまでも何度も事故や事故未満が起きてる。それなのにこの十年、特に改善はされてないんだから嫌になるよ。 死亡事故だけ数えても、俺の知るだけで四回あった。あ、うち一回は俺だよ。 俺は十三年前の真夜中、酔ったまま運転して、そのままこの交差点で事故って死んだんだ。 ああ、自業自得だって言うんだろ。うるさいな。俺はこうやって死んだんだからチャラってことにしてくれよ。他に怪我人もいなかったし。 なんでって、当時は今ほど飲酒運転に厳しくなかったし……ちょっと嫌なことがあって、むしゃくしゃしてたんだよ。 わかってるよ、馬鹿だったなって。その代償かは分からんが、俺は十三年間、ずっとここから動けなくなっちまった。 ほら、地縛霊? っていうの? なんかそういう感じになっちゃったんだろうな。理由なんて知らないよ。 死んだやつ全員がなるわけじゃないし。 ほら、他の事故死したやつらは今、誰もここにいないだろ? いるのは俺だけだ。 他のやつはどこにいるかって? さあな。成仏だとか天国だとか、地獄だとか。なんかそういうのだろ。生まれ変わりとかさ。こことどっちがマシなんだろうな? とにかく、俺はずっとここに一人でいるわけだから、いつも暇なんだ。 だからあの三ヶ月前の事故もよく覚えてる。 あれは運転手が気の毒だよ。信号無視して突っ込んできた馬鹿な自転車がいて、それを避けようとしたんだから。 自転車野郎は無事で、運転手は血まみれ。 救急車で運ばれてったけど、その翌朝にはテレビカメラが来て、昼には献花する人たちが現れはじめた。 つまり死んだってことだ。 人間ってのは思ったよりあっけなく死ぬんだよな。 で、またそいつがなかなか人付き合いの多いやつだったみたいで、献花にはいろんな人が来てた。 その中に現れたのが――彼女だったんだ。 献花に来るやつはだいたい昼間に来てたけど、彼女は夜遅くにひとりで来てた。仕事帰りなのかスーツを着て、長い髪をひとつに結ってさ。真面目な会社員って風貌だ。 はじめて来たときは彼女、泣いてたっけ。 献花で泣くやつは多かったけど、夜の街灯の下でひとりで泣く彼女はなんだか妙に絵になるというか、目を引いた。 彼女は他の人の供え物の隣に小さな白い花束と、ファンタグレープのペットボトルを置いて、しばらく手を合わせたあと、その日は帰った。 それから彼女は数日おきに、夜十時とか十一時くらいの時間に来るようになったんだ。いつもひとりで、ファンタを一本置いていった。 知らないけど、たぶん死んだやつがファンタが好きだったんだろう。 それから彼女は、あいつが激突した電柱の横に話しかけてた。 最初はぽつり、ぽつりと、死んだ男の名前を呼んで、会いたいとか、寂しいとか、思わずこぼれたって感じの声だ。 人には聞かれたくないだろう、弱音みたいな声だ。 なんだか気まずくて、俺は少し定位置から動いてみたりもした。 ああ、そう、地縛霊って言っても少しは動けるんだよね。まあ俺はせいぜい数歩ってとこだけど。でもあの道路の二つ先の角の家にいる地縛霊の婆さんなんて、たまにここまでやってくるんだよ。暇だとか言ってさ。そんならとっとと成仏しろよって話だよ。 でさ、彼女はだんだん慣れてきたのか、普通にその空間に話しかけるようになった。死んだ男がいるみたいにしてな。 仕事の愚痴とか、二人の思い出の話とか、そういうやつ。聞いてるとどうやら、ふたりは恋人同士だったようなんだ。彼女がいつもつけてたネックレスも男が送ったものなんだと。 いや、盗み聞きみたいだけど、聞こえるんだからしかたないだろ。 それに彼女、声がすごく良かったんだ。デパートの受付とか、バスガイドとか、そういう感じの、よく通る声だ。聞いてると自然と身体に馴染む、っていうのかな。 俺はつい、その声を聞いてた。 悪いとは思ったよ。だけど俺はここから動けないし、彼女は俺に気づくことはない。 だからどうしようもないだろ? 退屈すぎる地縛霊ライフにとって生きる活力みたいなもんだ。もう死んでるけど。 そんなことが一ヶ月くらい続いたときかな、彼女が突然、背の高い女を連れてきた。 黄土色のローブみたいなのを着た妙な中年女で、数珠を持ちながら俺のほうを見て、 「たしかにいますね」 って言ったんだ。 意味分からないだろ。 それからその女は変な勾玉が括り付けられた器具みたいなものを出して、俺のほうに向けてきた。 「コウヘイさん、聞こえますか」 って、中年女は言った。 コウヘイってのはつまり、彼女の死んだ恋人だ。 「なんだそりゃ?」 って俺が言ったらさ、その瞬間、勾玉が揺れたんだ。そしたら彼女が悲鳴を上げた。 「ね?言ったとおりでしょう。霊はここにいるのです」 って、中年女が言った。どうもこいつ、霊媒師のたぐいらしい。 ここには確かに交通事故で死んだ霊がいる、この器具を使うと会話ができる、みたいなことを彼女に説明しててさ。 たしかに間違っちゃいないよ? 俺が反応すると勾玉はマジで揺れたし。 だけどその霊ってのが、彼女が期待してる一ヶ月前に死んだコウヘイとやらじゃなくて、十三年前に死んだ俺だ。その霊媒師は死んだやつの顔まではわからんらしかった。 だけど彼女はすっかり喜んじまって、その器具を霊媒師から買った。三十万もしたんだとよ。俺の月収より高いんだから笑っちゃうだろ。 それからは彼女、その高い器具をここに持ってきてさ、ずっとコウヘイの霊に話しかけてた。最初は俺も、反応しないようにしてた。俺はコウヘイじゃないからな。 だけど彼女、寂しそうな顔で……何度も、何回も話しかけるから、つい、魔が差した。 俺は反応しちゃったんだ。 コウヘイとして。 そのときの彼女の顔といったら、忘れられないよ。 俺が返事をして、勾玉がくるくる回った瞬間、彼女は驚いて目を見開いた。それから俺の頭の上あたりをじっと見つめてたよ。 きっとコウヘイは俺より背が高かったんだろう。 彼女はその位置を見つめて微笑んでいた。 そのときはじめて、俺は彼女の笑顔を見たんだ。 俺はなんだか無性に腹がたった。 こんな献身的で優しい女を置いて死ぬコウヘイとかいう男に。 だけどコウヘイの霊はここにいないし、いたとしても俺が何か言えた立場じゃない。 だから俺は、せめて彼女のコウヘイとして勾玉を揺らした。 そうするだけで彼女が笑ってくれたから。 コウヘイがどんな男かなんてまったく知らないけど、きっといいやつだったんだろう。 そう思って、なるべく「いいやつ」みたいに反応したよ。 そうやって「いいやつ」になってると、まるで自分もいいやつだったんじゃないか、いいやつになれたんじゃないか、って思えてくる。 馬鹿みたいだろ。 だけどもし俺が「いいやつ」になれていたら、こんなことにはなってなかったんじゃないか、って思うと、ちょっと虚しくなる。 俺もさ、事故る前は付き合ってた女がいたんだよ。 だけど俺は全然「いいやつ」じゃなくてさ、酔って暴れたりして……それで女は出ていっちまった。 それでむしゃくしゃしてて、酔って運転して……あとはご覧のとおりさ。 馬鹿な話だろ。 ああ、女は一度だってここに来ちゃくれなかったよ。 そりゃあ俺は誰が見たって「いいやつ」なんかじゃなかったし、仕方ないんだけどさ。 あのとき少しでも「いいやつ」になれてたら……あの子もここに来たりしたんだろうか、なんて考えたりもした。 十三年前、俺に献花に来たのなんて、義理で来ただろう職場の上司だけだったよ。 ひとり来ただけマシだがね。 ふん、あんたには何人来るんだろうな? 勝手にコウヘイのふりをして、ずっと罪悪感もあったよ。 だけど今日、俺は自分のやってたことは間違いじゃなかったって思えたよ。 俺のおかげで彼女は死なずに済んだんだから。 だって、俺が叫びまくって勾玉を揺らしまくらなきゃ、彼女はきっと、後ろにいるあんたに気づかなかっただろ? あんなでっかい包丁を持って、あんたは彼女を殺すつもりだったんじゃないのか? あんた、彼女のストーカーかなにかか? え? 同僚? ……彼女に三十万騙し取られた? ああ、なるほど。 彼女はその金で、あの勾玉を買ったんだな。 あはは。 それを聞いて安心したよ。あんな大金、彼女が身体を売りでもしたんじゃないかって心配してたんだ。 あんたに同情なんかするかよ。 言っただろ? 俺は「いいやつ」じゃないからな。 騙されるほうが悪いのさ。 それであんたは彼女を殺そうとして、悲鳴を上げた彼女にビビって、転んで車にはねられて、勝手に死んじまったってわけだ。 おめでとう! 今日からあんたも立派な地縛霊の仲間入りだ。 強い怨念があるやつは、地縛霊になりやすいらしい。 ま、同じ場所で死んだよしみだ、仲良くしようぜ。 この交差点のことなら、俺になんでも聞いてくれ。 end
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!