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「あれ? もしかして紗代(さよ)ちゃん?」 「……?」  地元へ帰ってきて、昔よく通っていた商店街を歩いていたとき、定食屋から男の人が出てきた。久しぶりの地元だし、昔の知り合いが私に声をかけたのだろう。  と、思ったけど、 「……え、どなたですか?」  声をかけた男に私は見覚えがなかった。男は黒髪に黒いメガネ、黒いジャージと、全身黒かった。誰だろう、この人……? 「いやいや! 俺だってば! 俺俺!」 「?」  一つも思い当たる節がない。  つまり……なるほど。はいはい。噂のあれね。知り合いっていうテイで近づいてくるナンパ。あれだ。 「おいおい! 今絶対失礼なこと考えてるだろ!」  おっと。顔に出ちゃったかも。 「いや、俺が人違いしてるだけなのか……? 間違いないと思うんだけど。えっと、紗代ちゃん、で合ってますよね?」  私の名前を知ってるみたい。本当に知り合い? 記憶にないけども。 「私は紗代ですけど」 「やっぱり! ほら、俺だよ、俺! 慎太郎! 青木慎太郎! 紗代ちゃんの幼馴染み!」 「……え?」  青木慎太郎。それは幼い頃から商店街に住む同級生の名前である。しかし、私の記憶にある慎太郎と目の前の慎太郎は同じ人物に見えなかった。 「慎太郎は金髪だったじゃない。あなた本当に慎太郎?」 「いつの話だよそれ。金髪は高校生のときだけだから。もう五年くらい前だぜ」  そういえば話し方は昔の慎太郎そっくりである。顔立ちも昔の面影がある。ただ、今目の前にいる慎太郎と記憶の中の慎太郎が違いすぎている。でも慎太郎だと分かると、不思議と受け入れることができた。 「ところで紗代ちゃん、今日はどうした? こっち帰ってくるのも久しぶりだろ」 「……そうね」  久しぶりの帰省なのだから、私がどうして帰ってきたのか慎太郎が気にするのも当然である。でも、 「もしかして」  それ以上先は言わないで欲しい。 「紗代ちゃん、アナウンサーになれたのか?」  全身から冷や汗がじわっとにじみ出てくるのがよくわかった。私は心の中の焦りが出ないよう、精一杯笑顔をつくりながら言う。 「……まぁ。ほぼ確実、かな」 「すげえな! もうすぐ紗代ちゃんをテレビで見るってことか!」 「まだ決まってはないよ。それに、アナウンサーになったからってすぐにテレビに出るとは限らないじゃない」  ……我ながらぺらぺらと心にもないことを喋るものだ。なれるなんて思ってないくせに。 「まぁ、紗代ちゃんならすぐなれるだろ! あんなにがんばってたしさ」 「……そうね」  私は高校を卒業した後すぐ東京に行き、大学を卒業してからアナウンサーの試験を受けていた。  何社もアナウンサー試験を受けてきたけど、どれも受からななかった。有名な局やローカルな局。五十社以上は受けたと思うけど、それ以上は数えていない。  十社ほど受ければいずれどこかのアナウンサーになれると思っていた。その考えは甘かった。アナウンサーの倍率の高さをなめていた。  今も数社の書類選考を受けている最中だけど――――正直、私は落ちると思っている。  おそらく今回も書類選考で落ちるだろう。 「紗代ちゃん、なんかあった?」 「えっ」  今回の帰省も、気晴らしというか、向こうで感じた嫌な気持ちを忘れたかったからだ。 「いや、何か考え込んでたから大丈夫かなって」 「何でもないよ。大丈夫。たまにはさ、一週間くらい、帰省しようかなーって思って。それだけだから」 「……そっか」  久しぶりに会う幼馴染みには弱みを見せたくない。つい見栄を張ってしまったけど、本当は全然大丈夫なんかじゃない。何社も落ちるうちに、私はどうしてアナウンサーになりたかったのかわからなくなっていた。  両親はあんなに期待してたし、大学や塾のお金を工面してくれた以上、アナウンサーになるまで諦めるわけにはいかない。  でも、正直疲れた。 「そ、そういえば慎太郎はずっとここにいるんだね。実家の定食屋さん」 「まぁ、そうだな」 「野球は続けてるの?」 「……あ、えーっと、それは――――」  そのとき、お店の扉がガラガラと音を立てて開いた。慎太郎の家の定食屋からである。 「し~ん~ちゃ~~ん! あ~そ~……」  扉を開けて出てきたのは一人の女の子だった。幼稚園児くらいの小さな女の子で、その子は私を見つけるとピタッと固まってしまった。 「お、おう、みねこ。アニメ見終わったのか?」 「うん。ぜんぶみた! ……おとりこみちゅーでしたか?」  みねこと呼ばれた女の子はじっと私の方を見てそう言った。 「えっと、まあそんなとこ。中で待っててくれるか? すぐ行くから」 「りょーかい!」  女の子は出てきたときと同じくらい、勢いよく扉を閉じて中に戻る。慎太郎は左手で後頭部をかいていた。 「えーっと」 「……今の女の子、もしかして」 「紗代ちゃん、違うぞ! 全然違うからな!」  私は何も言ってないでしょうが。慎太郎は全身を使った身振りで何かを必死に否定していた。 「みねこは俺の子じゃなくて、姉貴の子だから!」  まぁそんなとこかなと大方の予想はついていた。慎太郎の子にしては大きすぎる。 「慎太郎があの子のこと預かってるの?」 「あ……。ま、まあな……」  慎太郎は、照れるような、バツが悪いような、そんな仕草をしていた。  それは……なんだか昔よく見た仕草だった。 「そ、そうだ紗代ちゃん! せっかく帰ってきたならさ、うちでなんか食っていくか?」 「え、ごちそうしてくれるの?」 「もちろん!」
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