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「君はそのうち、化けるぞ」サッカー部の顧問・山田監督は眼光鋭く、まっすぐに俺を見ていた。
「それって、そのうち俺も才能が開花してサッカー選手になれるっていうことですか」
「恐らくな。私はこの20年間で、何人か化けそうなヤツを見てきた」堀の深い顔で腕組みをした山田監督は、貫禄にあふれていた。
「いつ頃、俺は才能が開花しそうですか」
「すぐではないな」
それを聞いて俺は少しがっかりした。だが山田監督はかつて弱小だったこの高校のサッカー部を全国レベルに押し上げた指導者。この人が俺に才能を見出したことは、大きな希望だ。「ちなみに監督が化けると思ったヤツ、今、どうしてるんですか。プロの選手として活躍してますか」
「いいや、みんなサラリーマンになった」
「え?」耳を疑った。「サラリーマンですか」
「普通のサラリーマンだ」
「化けなかったんですか」
「いいや、まだ化けていないだけだろう。特に15年ほど前に私が才能を見出した町田というヤツ。あれは絶対に化ける」
「15年経ったのに、まだ化けてないんですか」
「まだ化けてない。だが、今にきっと日本サッカー界に衝撃を与えるだろう」
「15年経ったってことは、もう30歳過ぎてますよね?」
「化けるのが、少々遅いようだな」
「遅すぎるのでは? 引退する年齢ですよ」
「最近は家庭菜園にハマっていると言っていた」
「サッカー辞めたのでは?」
「家庭菜園という趣味がきっかけになって、化けるのかもしれない」
「たぶん、もう化けないんじゃないですか」
「彼は遅咲きなんだ」
「遅すぎますね」
「先月、女の子が生まれたそうだ」
「サッカーより家庭が優先ですね」
「化けるのは子どものほうかもしれないな」
「やっぱりその人は化けないっていうことですね。他の人もそんな感じですか?」
「聞くところでは、みんな幸せな家庭を築いているようだぞ」
「何よりです」
俺は失望した。たぶん俺も化けないだろう。このまま、そこそこ強い高校の控え選手という微妙な位置で終わるのだ。
「どうした? そんなに肩を落として」
ぽん、と山田監督が俺の肩に手を置いた。
「現実の厳しさを知りました」
「そうか。現実は確かに厳しい」山田監督は空を仰ぎ、どこか遠くを見るような目をした。「だが、私には分かるんだ。君はいつか化ける、と」
「うッス」俺は投げやりな返事をした。「がんばりまッス」
「がんばれ、若人よ」
「うッス。失礼しまッス」俺は踵を返し、立ち去った。普通に生きようと決めた。不思議と嫌な気持ちではなかった。
監督、少しだけ夢を見せてくれて、ありがとうございまッス。
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