ペンライトの遥かな光

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 帰宅部の僕は、テスト期間が終わっても大して学校生活に変化はない。でも、テスト期間後の解放感はやっぱり気分がいい。廊下やグラウンドのあちこちを人が動き回っていろんな音がして、校舎全体が活気づいている。それを通り抜けて僕はバイトに向かう。テスト中に減らしたシフトはまたしっかり埋まっている。  バイト代の使い道は金額順に、ライブのチケット、CD、電車代、それに洋服代とか遊びとか。親から食費は貰えるので飯代は別。携帯代も家族割に入っているから別。趣味代は意地でもバイトだけで賄いたい。CDのために食費を削るのもそれはそれで美学かもしれないけど、自分で稼いだ分からしか使いたくない。  CDを買って楽曲の売り上げに貢献したい気持ちと、付属するチェキ券を欲しい気持ちが、どれくらいの割合で自分の中にあるのかわからない。確かにチェキ券がなければ、こんなに一生懸命CDを買ったりしないだろう。けれども楽曲の売り上げに貢献できるのでなければ、チェキ券だってここまで気持ち良くは手にできない。  応援しているだけでいろんなことを考えるもんだ、と思う。バイト中は頭が暇だ。コンビニバイトはやることがいろいろあって頭を使うけど、マニュアル通りだから思考はしない。余計なことを考えてしまう。余計ではないか。必要じゃないけど必要なこと。最近ではそうやって考えたことをLINEに打つこともあった。  ただのメモではこういうふうには書けなかった。本当に万が一送られてしまったっていいのだというような、ハルカさんに届いてしまったっていいくらいのものを書いているんだというような、覚悟のつもりかもしれなかった。  まず、「お知らせ」というだけの無機質なタイトルの公式情報が朗報のはずはない。  それでも開くまではまだ少し他人事だった。 〈メンバー ハルカの活動に関して〉というさらに無機質な書き出しに、背筋がすうっと冷えた。一度大きく息を吸い込んでから続きを読む。  体調不良により…本人との協議の末…当面の間活動休止し…体調の回復に努め…voyageは三人で活動を継続…  飛び飛びで目が文字を拾った。読み終わるまでやたら時間がかかった。最悪の知らせではなかったことにほんの一瞬安堵し、それから必死に考えを巡らした。  怪我、ではないのだろう。体調不良というからには。身体的なものだろうか精神的なものだろうか。体調不良とぼかさないといけない別の理由か。当面とはいつまでなのか。もし精神的なものなら、活動によるものか、私生活で何かあったのか。それとも悪質なファンからの何かか。  バイトに向かう駅のホームが、急に自分と無関係の場所に見えた。いくら息を吸っても浅いところにしか入ってこなかった。周りの景色も音もさぁっと引いていって、僕は自分だけがぽつんと寄る辺なく立っている気がした。  学校と塾とバイト。生活のメインは変わらないはずなのに、それまで何をそんなに忙しくしていたんだろう。ハルカさんが休止してから、僕の生活はずっと暇な気がした。せめて自分の気持ちに見合うくらい深刻なことが自分の身にも起こってほしかったのに、日常は僕に構わず平和に進んでいた。心配しているとか、待っているとか、一抹の望みを託してLINEに送ってみようかと一瞬考えたけれど、そしてそれが本来の使い方なのだけれど、今さらそうは送れなかった。きっと届かないのだという無力感を自分に突きつけるだけでしかなかった。今考えていることを書く気にはもっとなれなかった。トーク画面は開かないまま画面の下の方に流れていった。  あっという間に制服が夏服になって、私服はTシャツ一枚で過ごすようになった。  ハルカさんがいないだけでライブに行かないのも不誠実だと思い、voyageのライブには一度だけ行った。結局楽しいより虚しくなってしまってだめだった。松田さんが僕を心配、というか憐れんで、チェキ券一枚いる? とまで言ってくれたけど感謝して断った。 「活動してればこういうこともあるよ。休んだらちゃんと戻ってくるって事務所が言ってるんだから、あんま深読みしすぎない方がいいよ」  背中を叩かれてそう言われ、出てきた返事が自分でも笑ってしまうくらい弱々しい声だった。またね、と松田さんが言ってくれる。  ライブハウスを出ると外は蒸し暑い夜だった。グリーンのTシャツをひと夏着倒す想像をしていたちょっと前の自分が、何も知らないバカに思えた。  三人体制のvoyageだって嫌いにはなれなかった。パワーのみなぎったライブは三人でも充分に見応えがあった。  そんな中にいたライブのハルカさんを思う。  本気のハルカさん。  帰宅部で、ほとほどにバイトして、音楽を聴くのはちょっと好きだったけど、何にも本気になったことのなかった僕に、何かを本気でやるってこういうことだと全身で見せつけてきた。  ああやって振り切って動きまくるのは、アイドルに限らず誰にでもできることじゃない。ライブのために体を投げ打つことができる人だ。ライブで生きなきゃいけない人だ。  ライブ後のハルカさんのことも思う。チェキ会のハルカさんを。彼女は頬の高いところに小さなほくろがあって、チェキ会くらい近くで笑うのを見た時にだけ、それが目立って見える。その時の僕は特別なものを見てしまった気分だった。でも今は、そんな人間らしいところなんて知らなくて良かった。彼女が普通の人間で、本当は普通の女の子で、傷ついたり弱ったりすることもある人間だなんて考えたくなかった。ずっとライブが本当の姿なのだと、チェキ会やそれ以外の姿なんておまけみたいなものだと勝手に思っていたかった。  voyageにメンバー個人のSNSアカウントはない。公式アカウントにメンバーからの投稿もあるが、プロフィール欄には「スタッフが管理しています」とある。投稿するのは主にアリナとミオ、次にユウ、ハルカさんはほんのたまにだけ。その頻度まで「スタッフが管理」はしないだろうけど、そういうアイドルらしいファンサービスが得意なのはアリナとミオの二人なのだ。愛嬌の赤黄色、パフォーマンスの青緑、なんて言われる。心配かけてごめんねなんて投稿を休止中のハルカさんがするとは思えない。  休止以降、僕は界隈のSNSをなるべく見ないようにしていた。たくさんあるはずの応援の言葉より、余計な雑談と憶測ばかりが悪目立ちして僕の目に入った。 「特攻隊長ついに爆死?」「ぶっちゃけセンターアリナで三人のがバランス良くねw」「これを機にハルカもアイドルらしくなるべき」「無理してあのキャラ作ってたんじゃないのかな~」  正統派アイドルを求める人たちと、ハルカさんのアイドルらしくない部分を評価する人たちの間で、元からあった意見の対立が過熱しているらしかった。  あんなのはアイドルじゃないという意見。だからいいという意見。それがハルカさんファンとそれ以外、という構図ならまだわかりやすいものの、ファンの中でも「あれはやりすぎ」と言う人もいたし、ハルカさん個人を特別応援しているわけではないけれどvoyageには彼女が必要だ、と言う人もいた。彼女のパフォーマンスは嫌いな人には痛々しい破天荒キャラに見え、好きな人にはのびのびとした自由さに見えるらしかった。  それは薄暗いライブハウスのざわめきみたいだった。近くにいるけど顔のよく見えない人たちが、手を伸ばせば届くような近さのステージを前にして、好き勝手なことを言っているようだった。松田さんみたいにメンバーみんな好き、という応援のしかたをする人ばかりではない。僕だって、ハルカさんが一番かっこいいだろなんでわかんないんだよ、という気持ちがある時点で他の人たちと同じなのだった。  voyageは地下アイドルの中ではそこそこの集客を得ており、けれどアイドルの世界全体ではまだまだ小さいものだった。もっと売れるためにはハルカさんの個性が必要と言う人と、地下アイドルだから許されているのだと言う人がいた。  雰囲気だけでハルカさんは純粋に歌やダンスが上手いわけじゃないという意見もあれば、その雰囲気も含めての上手さなのだという意見もあった。  ハルカのパフォーマンスが好きならアイドルじゃなくてもいいだろという意見があり、普通のアイドルが好きならvoyageじゃなくてもいいだろ、という意見があった。  自分が何を好きで何を信じていたいのか、しばしばわからなくなって嫌になった。ただ一つの正解なんてあるはずがないのだから、考えるだけ疲弊した。ハルカさん本人が見ないことを願った。それを見るのはステージ上のハルカさんではなく、穏やかな人間らしい彼女だと思うと辛かった。
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