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「サンゴっていうのは、俺の会社の先輩の人でさ。どうしても今日行けなくなったから、代わりに行ってくれって頼まれた。コトミさんは同じヒグルマのファンだし、きっと話も合うだろうっていう理由で」
コトミはまだ何も相槌を打ってこない。それが辛い。まだブチ切れてくれたほうがマシだ。そこそこ客の多いカフェなのに、誰もいない大劇場のステージで話しているような心細さが襲ってきた。
だが、まだ肝心なことを言っていない。
「先輩は俺の責任でちゃんと断罪するけど、そもそもこの話に乗った俺も悪かったと思う。ごめん」
膝に手をつき、頭を下げた。傍から見ればこの光景は、どのように思われるのだろう。
考えてみたら、俺も初対面から一時間以内の相手に謝罪をした経験などない。そんなのは仕事で何らかのポカをやった時だけだと思っていたのに、なんで休みの日に俺はこんなことを――。
剥げたテーブルのヘリを睨みつけながら、俺は過去の自分の行いを、心から恥じた。
そう思った時、ガヤガヤと騒がしい店のノイズにまぎれて聞こえてきたのは、テーブルを挟んで向かいに座るコトミが、懸命に笑いをこらえている声だった。
「……ぷふっ。ふふふふっ」
頭を上げたら、コトミは口元を手で覆いながら、今も懸命に笑い声を漏らさぬように耐えていた。だが俺と目があった瞬間、その耐久力が一瞬でゼロになったようで、コトミは「あっは!」と大きな声で笑い始めた。
笑いの理由が分からなかった。目の前の男が偽者だったという滑稽さに対する笑いなのか、そんな男の嘘に気づかないまま楽しみ始めていた自分への嘲笑か。いずれにせよ、俺は一緒になって大笑いすることもできないから、コトミの笑いが落ち着くまで、貝のように口を閉ざして待っていた。
ひとしきり笑ったあと、目尻を小指でなぞりながら、コトミが言った。
「あー、ほんと、めっちゃウケる」
それはどういう意味で?
俺は目線だけでコトミに訊ねてみた。
「まさか、どっちも偽者とは思わなかったよ」
「は?」
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