虫のいい話

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「もし生まれ変わることができるならさ、わたしは蚊になりたいな」  そう言いながら、彼女はベッドの上で寝返りを打ち、隣のベットで横になっている僕の方へと身体の向きを変える。真っ白な病衣から覗かせた肌の色は薄白く、腕は枯れ木のように痩せこけていた。出会った頃の生命力に満ちあふれていた彼女に比べると、今の彼女はちょっとでも強い風が吹けば消えてしまいそうな本当に小さな命なってしまったんだと思い知らされる。 「それはつまり鬱陶しい存在になりたいっていう解釈でいいの?」  僕がからかうように訊くと、彼女はいつものようにクスリと笑った。 「もぉ、違うってば。ほら、蚊っていつもあんなふらふらと宙を飛んで毎日を過ごしているんでしょ。気楽そうでいいじゃん」そのまま彼女はベットからもそもそと両手を出して、勢いよく叩いてからしたり顔で僕を見る。「それに苦しまないで一瞬で死ねるしさ」 「……そういうブラックジョークは返す言葉に迷うからやめてよ」僕は辟易するように言った。彼女からこんなブラックジョーク聞かされるのはもう何回目になるだろうか。「それに、数日前は猫に生まれ変わりたいって言っていたのに。死が近づくと飼い主から離れて死ぬのがかっこいいとか言ってさ」  僕が言うと彼女は拗ねるように口を尖らせた。 「だって、よく考えてみたら猫が外の世界で生きていくにはネズミとか生ごみとか食べないといけないでしょ。糞は鼻が曲がりそうなほど臭うし。だから猫にはなりたくなくなったの」  僕はため息をついてから窓の外へと意識を向ける。外の世界の季節は夏だった。 強い日差しがアスファルトを焼き、雲一つない青い空の真ん中にある太陽が病室から出られない僕たちを嘲笑うように光を放っていた。狂ったように単調なリズムで鳴き続けるセミの声が僕に何かをせかしているように聞こえた。  そんな世界を目の当たりにするたびに、僕はこの世に対して辟易とした気持ちを抱くことになる。どうして彼らは僕たちのことをほっといてくれないのだろう? 僕たちはただこの世界の片隅でひっそりとでもいいから生きていきたいだけなのに。
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