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よしっ! アップだ。顔に寄るんだ。
蜂谷は水を口から吐き出している。いい! 真に迫っている。両足でバタバタ泳ごうとするが、また沈んで行く。
ゲホッ
また上がって来た蜂谷だが、前回より勢いがない。すぐに沈んでしまう。
「ざまあみろ」
「魚のえじきになってしまえ」
若杉組の子分たちの笑い声が夜の海に消えていく。
ゲホッ
予定通り三回目の浮上だ。
カメラ、もっと蜂谷に寄るんだ!
蜂谷の目がらんらんと光っている。いいぞ! この迫力を俺は求めていたんだ。もがきながら蜂谷が沈んでいく。
カメラは蜂谷が沈んだ海面を追う。だんだんあぶくが出なくなり、海面が静かになる。
「カット! 紐を引いて合図しろ」
「監督、大変です。応答がありません」
まさか、宅ぼんは本当に溺れているのか?
「紐を引っ張れ。泳ぎに自信がある奴は飛び込め!」
ザブーン、ザブーン
「見つけたぞ!」
見つけた宅ぼんは息をしていなかった。懸命に人工呼吸をしたが、二度と息をすることはなかった。
翌日、スポーツ新聞の一面の大見出しに、宅ぼんの名前が載った。
『俳優海野宅三、撮影中事故死』
『北映「勝者なき戦い」撮影中止か?』
北映は世間からの非難に晒された。「撮影で事故を起こすような映画は中止すべきだ」というのが圧倒的な世間の声だった。各局のワイドショーはすべて、北映と映画監督の俺を糾弾した。
二日後、宅ぼんの葬儀が行われた。それに先立って、俺と五島プロデューサーは、北映の結論を持って、宅ぼんの妻であるしおりさんと会った。やつれているしおりさんを見るのは忍びなかった。
「しおりさん、今回の責任はすべて、監督の私にあります。本当に申し訳ありません」
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