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糸にはかすかなにおいがあった。湿っているのにほこり臭くて、熟しているのにさわやかな、不思議なにおいだった。
金色の垣根に導かれて、私はその家の門をくぐった。門をくぐったとたんににおいは濃厚になった。ぼんやりとかすんでいるように見えた家の姿は鮮明になった。
古い武家屋敷のような建物だった。村長さんの館に似ている気もしたが、もっと古めかしい。玄関には若い女性が立っていた。
きれいな人だった。くすんだ桃色の和装がよく似合っていた。
「どうぞ。お入りになって」
女性は僕を招いた。彼女に従って僕は長い廊下を歩いた。
奇妙だった。僕の周囲は鮮明なのに、通り過ぎるにしたがって構造がぼやけて曖昧になっていく。柱と壁の区別もつかなくなって、ぐんにゃりと曲がっている。
「あまり見つめないで。恥ずかしいわ」
女性は笑った。僕は慌てて前だけを見つめた。
客間に通された。
「ちょっとお待ちになって。今お茶を持ってきます」
女性はふすまを閉めた。私は疲労と不安から解放された気持ちになって、畳の上に座り込んだ。部屋の中も、不思議なにおいに満ちていた。
私を安心させるにおいだった。
「お待たせしました」
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