迷い家

2/3
前へ
/15ページ
次へ
糸にはかすかなにおいがあった。湿っているのにほこり臭くて、熟しているのにさわやかな、不思議なにおいだった。 金色の垣根に導かれて、私はその家の門をくぐった。門をくぐったとたんににおいは濃厚になった。ぼんやりとかすんでいるように見えた家の姿は鮮明になった。  古い武家屋敷のような建物だった。村長さんの館に似ている気もしたが、もっと古めかしい。玄関には若い女性が立っていた。 きれいな人だった。くすんだ桃色の和装がよく似合っていた。 「どうぞ。お入りになって」 女性は僕を招いた。彼女に従って僕は長い廊下を歩いた。 奇妙だった。僕の周囲は鮮明なのに、通り過ぎるにしたがって構造がぼやけて曖昧になっていく。柱と壁の区別もつかなくなって、ぐんにゃりと曲がっている。 「あまり見つめないで。恥ずかしいわ」 女性は笑った。僕は慌てて前だけを見つめた。 客間に通された。 「ちょっとお待ちになって。今お茶を持ってきます」 女性はふすまを閉めた。私は疲労と不安から解放された気持ちになって、畳の上に座り込んだ。部屋の中も、不思議なにおいに満ちていた。 私を安心させるにおいだった。 「お待たせしました」
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加