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「きっちゃん、きっちゃんや」
「馴れ馴れしく呼ぶな」
「なんでそんな不機嫌なんだい」
「盗みを働いたかなんて聞くからだ」
「そりゃあ、悪かったよ」
二人は電灯が照らす歓楽街をずんずん進んでいった。まともな人らしからぬ話をするスーツのきっちゃんと大柄なタキチである。
時間は午後十時。
帰る人間は帰路を急ぎ、まだ遊び足りない人間はさらに町をさ迷う。二人はそのどちらでもなかった。
「悪いなんて、微塵も感じてない癖に」
きっちゃんは不貞腐れ、タキチは彼の後に続いていた。
「感じてるさあ」
「嘘つけ。お前は人間に振りしているだけだ」
「振りだなんて。実際、そうだろ。俺たちゃ人間のふりしてらあ」
屋根のある街の道を進む。声は雑踏の騒がしさにかき消され、誰も気にするものはいない。
「振り、は、まあそうだけど」
歯切れの悪いきっちゃんに、タキチは畳みかける。
「しばらく見ない間、どうしちゃったんだよ。きっちゃん」
「十年ばかしな」
十年、この二人の間での年月はちょっとと言う程度であった。
「人が変わっちまったみたいだ。いや、人ってのは言葉の綾で」
二人は直線の道を進み、きっちゃんが道を曲がるとタキチもそれに続く。
「わかってるよ。タキチ、そんなガチガチにならなくても」
「なってねえ」
「もっと早くから、変わるべきだったんだ。そんな気がするよ」
「なんの話だい」
いや、ときっちゃんは言葉を濁す。
二人の足音が夜道に響いた。革靴の硬い音と、安物のスニーカーのゴムの音だ。
道は賑やかな声と光に満ちた場所から一転、暗い住宅街へと変貌する。人が溢れている店の裏では、その街に寄るのではなく住んでいる人間が必ずいる。
二人が道を進み、そして足音が三つになった時。
ようやくタキチの意識も自身の後方へと向かった。
「聞こえるか」
静かにきっちゃんがタキチに尋ねる。
「ああ。ついてくる」
ヒールの独特の音は、二人の足音に紛れることはなかった。
「あのバーからだ」
「嘘だろ。もしかして、俺たちの正体に気づいたんじゃ」
「気づいたからなんだってんだ。ちゃんと金は払ったぞ」
「金を払ったから、じゃないか」
はあ、ときっちゃんは思わず尋ねた。
「金を払って怪しまれることなんてないっ」
「狐狸が金を払うなんて、おかしいだろっ」
「バレてないって」
「バレてるよっ」
二人は顔を見合わせる。
点々と道を照らす街灯は、闇に紛れようとする二人を許さなかった。しかし、きっちゃんの顔は暗闇に消え、再び街灯に照らされる時には先ほどの顔とは異なっていた。
顔だけではない。着ている衣服さえも違っていた。
丸い顔に愛嬌のあるアーモンドの瞳。加えて、服装はスカートに暖かそうなニットを着込んでいる。
「これで、ばれないだろ」
もし誰か常識のある人が見ていたら、自分の目を疑うかもしれない。魔術かなんかだと答える輩はいないだろう。そんなものは存在しない、きっと口を揃えてそう答えるからだ。
しかし、タキチの血相が変えた。
「後ろでヤツが見ているかもしれないのに、なんて無茶を」
「ヤツだななんて大袈裟な。ここまで姿かたちを変えりゃあ、違う人間だと思うさ」
「言いたかないが、その格好に革靴は似合わんぜ」
タキチが指摘すると、きっちゃんは歩きながら再び闇に姿を隠す。そして街灯に照らされる頃にはキャメル色のブーツに履物が変わっていた。
「上手かろう。俺の術は」
「女の恰好なら、私だ」
「私の術は」
誇らしげな友人を、タキチは愛おしそうに見やる。
「十年よりも、もっと前からきっちゃんの技は俺には敵わないよ」
二人は十年の歳月を感じさせない距離で歩みを止めない。しかし、進んでも進んでもついてくる足跡は消えなかった。
むしろ、一人分増えたのだ。
もう一人もヒールだが、気配を感じさせない足音。
「増えたな」
「やばいぞ」
きっちゃんとタキチは再び顔を見合わせる。歩きながら、この素振りももう飽きたころだった。
金はちゃんと払った。なのになぜこんな目に合わなきゃならない。
きっちゃんはまだしも、大柄なタキチをつけ回すなんて正気ではない。人間の恨みを買うことはここ3000年、やりたい放題してきたが、ここ最近は悪事をしていないはずだ。
「弱ったなあ」
「殺して食っちまうか」
タキチが物騒なことを言う。しかし、まんざらでもないような雰囲気だった。
埒が明かない。延々と町を歩くことは出来ない。
「タキチ」
「おう」
男の口から覗く歯が、獣の如く鋭く光る。
「案があるぜ」
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