狐狸ム中

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狐狸ム中

 狐狸が人を騙して国を傾け、さらに人を馬鹿にするのはよっぽどの性悪だけがすることで、その他大勢の狐狸は迷惑しているのだ。 「2200年前に私らを悪く書いた奴らはみんな懲らしめたのに、どうして醜聞だけずーっと残ってんだよお」 「2900年前だよ」  酒を煽って文句を垂れるスーツ姿の男の横で、大柄な男が横槍を入れる。  スーツの男はひっくとしゃっくりをした。 「そうだっけ」 「始皇帝が生きてたから、絶対そうだ」 「あーあの坊っちゃんねえ」  懐かしいなあ、と遠くを見ながらスーツの男はグラスを飲み干した。喉を通ったアルコールが胃に収まり、男の体をゆっくりとほてらせる。 「そうそう」 「懐かしいなあ」  何処かしら話し声のするこの空間は、何処にでもある街のバーだった。静かで落ち着ける、しかしカウンターにいる二人の会話はどことなく浮世離れしていて時世に合っていない。  約3000年前だとか、始皇帝を坊っちゃんだとかをごく最近のことのように話す。そんな大人は恐らく居ないか、もし居たとしても変人の部類に入るだろう。 「俺がくる前に、何杯呑んだ」  大柄な男が嗜めても、スーツの男はヘラヘラと上気させた顔のまま笑う。すると、しゃっくりをした拍子に彼の頬から長い毛がひょろりと現れた。 「げっ」 「馬鹿っ」  これには二人とも動揺してしまい、スーツ男は顔を隠して体を曲げた。大柄な男は彼の腰をかばうふりをする。 「どうかされましたか」  髭を生やしたバーテンダーが二人を気遣う。酒を飲む場ではよくある、吐き戻しの恐れがあったのだろう。バーテンダーの頬には冷や汗があった。 「いやあ、違うんだ。手拭いを落としてしまって」  スーツの男が顔を上げる。その時にはもう顔に髭はなかった。清潔な肌には毛穴一つもない。逆に不自然なほどにバーテンダーの目に映る。  化粧ではない。まるで作り物のような……。 「お、俺たち、チェックで」  大柄な男が言うと、凝らして見ていたバーテンダーの目が移る。  バーテンダーが伝票を持ってくる間、大柄な男はカウンターの下で手を揉んでいた。手の中には、二三枚の葉っぱがある。それが奇妙にも、手の中で粘土のようにグニャグニャと曲がり、なんと肖像画の書かれた長方形の紙に為った。  誰がどう見ても、福沢諭吉の描かれた日本紙幣そのものだった。男の手の中で簡単に作られたそれを、何食わぬ顔で大柄な男はカウンターに置いた。 「やめろ」  制したのは、横にいたスーツの男だ。 「きっちゃん」  そこで初めて大柄な男は、スーツの男の名を呼んだ。きっちゃんは、知己の友人の肩を抑える。 「タキチ。俺の金を使え」  きっちゃんは、ポケットの中に入れていたくしゃくしゃの紙幣をカウンターに出した。  馬鹿な真似はよせ、とでも言う様なきっちゃんの言い方に、タキチは面食らう。 「その金、稼いだのか」 「普通、稼いで対価を払うもんだ」 「今までそんなこと一回も」  しなかったじゃないか。  タキチが言いかけて、きっちゃんはそれ以上言うなと凄む。これがなんとも迫力があって、タキチは葉っぱで作った紙幣を大きな掌で潰した。すると、また奇妙なことに日本紙幣は二三枚の葉っぱに戻った。 「盗みを働いたんじゃないよ。昔とは違うんだ」 「腹が減ってお武家の母屋から金平糖をかっぱらったことか。あれが盗みなんて言えたもんかよ。狐狸に戻って棚を漁っただけじゃねえか」 「うるさい」  きっちゃんはタキチを窘め、戻ってきたバーテンダーに紙幣を払った。  バーテンダーが再びお釣りを確認するために席を外し、二人の男は再び口を開く。 「他所から盗んだんじゃあなけりゃ、どうやってあの金を手に入れたんだよ」 「働いたんだ」 「はっ、働いただって」  タキチは思わず声が上ずった。 「普通、私ら位の年になったら社会で働くんだよ。知らないのか」 「知らないも何も」  タキチは言いたいことがあったが、口を噤んだ。  二人は長い間、苦楽を共にした仲だった。たまたましばらく顔を見ないことがあり、ここ十年ほどの久しぶりの顔合わせだった。それだけのはずなのに、友人が人間の店で金を払うことなど一度たりともなかった。 「お釣りです」 「ありがとう」  困惑するタキチの傍で、きっちゃんはバーテンダーと会計のやり取りをしている。  人間に労いをみせる姿も、偽りではなく本心からくる動作に見えた。 「どうしちゃったんだよお」  タキチが情けない声を上げる。しかし、きっちゃんは鬱陶しそうに店を出るだけだった。タキチもきっちゃんの影を追いかけるように店を後にする。  二人は気づいていない。  きっちゃんとタキチの後に続いて、隠れるように会計を済ませて出て行った一人の女性を。そして、更にもう一つの影を。    
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