Misty

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原因はまるで分からない。 それまでは普通に街を歩いていた。 自分の向かう場所もはっきりと分かっていたし、そこで誰に会い何を仕事を済ませ、帰る場所も明白だった。 昼間の歩いている時に……よく知ったビル街の、人の行き交うのに混じり歩いている最中に私の頭の中にある経路が途切れてしまった。 例えば脳内の血管のダメージで、肉体的に影響が及んでしまうケースもあるのだろうけど、そういう兆候もなしに、突然に変容してしまった。 気がついたのは、信号灯の真下に吊るされた交差点名標識を見てだった。 それは、まず塗料が剥げ落ちたのか、と考えた。 古い自営業の店の塗料の剥離した看板や、ネオン管が部分で切れてしまったネオンサインのように、不完全になってしまったかのように、通常の日本語表記、漢字やかななどで記載されているべき名称が、読み取れる表記になっていない。 だが、こんな街中のものでそこまで表面が剥げることなどあり得ないだろうと思い返し、もう一度見直した。 印字されているものは欠けていない。 文字はしっかりと板面に定着していた。 だがそれは名前として読み取れないものだ。 発音記号や数学記号、そして通常のアルファベットでもない頭上に符号を付けたアルファベット。 何かのいたずらなのか? 私は別の方向に目を向け、道沿いのテナントが外向けに出している看板を見た。 それも同様に記号と符号付きアルファベットの連なりだ。 立ち止まって周り全てを見回した。 まるで映画撮影で仕立てられたセット全てに仕掛けを施したように、見えるところにある、あらゆる文字が日常に使われることのない奇妙な記号文字に置き換わっていた。 私は周りの歩行者の様子も見た。 皆、表情も無く普通に歩いている、この異変に気がついていないかのように。 私はスマホを出した。 ホーム画面を表示させた瞬間、画面を見て胸が冷たくなった。 大きく時刻の表示されるべきところに、また得体の知れない記号が並んでいた。 ロック画面上のテンキーも同様に文字が変わっていた。 記憶になるパスコードの位置のボタンをおしてロックを解錠した。 見覚えのあるアプリのアイコンだが、その下に並ぶ文字は全て変わってしまっている。 何が起こってしまったのか。 私は再び交差点名標識の名称を見た。 無論読めないのだが、文字に見覚えがることに気がついた。 これは……PCで起こる「文字化け」に似ている。 本当ならきちんと読める筈の文字が、表示する時に文字コードを違えてしまい、その結果、意味の取れない謎の文字列で表示される。 目に入るものすべての文字がおかしく見える。 目蓋を閉じそれから開いてから再び文字を見回した。 やはり「文字化け」状態のままだった。 それなのに往来の人々が、誰も反応していない。 彼らはこの変化に気づいていないのか、それとも彼ら自身の目には普通に読める文字として映っているのだろうか。 だとすれば。 私だけが、そう見えている、ということになるのだろうか。 いつの間にか私の中で何かが壊れてしまったのか。 これから向かう筈だった仕事のことも、霧の中に沈むように考えられなくなってきた。 耳に人々の話す声も届いているのに、言葉として聴き取れない。 この世界から隔絶してしまった……。 なんということだ、どうすれば良い。 人の流れの中央で、その場で立ち尽くしているとふと身体が動かなくなった。 まるで……目に見えない巨大な手が私を掴んだかのように。 それは比喩では無かった。 目に見えない巨人の手に掴まれたまま、私の身体は宙に浮いた。 歩行者たちは誰も捕らえられ宙に浮いていく私を見ていない。 高みから見下ろす街は、小さな人間たちが埋め込まれた箱庭のようだった。 見えない手は私を遥かな高みに持ち上げた。 それは我々の目から見えない別次元の場所だった。 ……不具合を起こした私は、世界という箱庭から速やかに取り除かれてしまった。 私は一体の人形として、同様に取り除かれたらしき他の人形とともに、区分けされたケースの中に収められた。 いつか私は正しく調整を直されて再び元いた世界に戻してもらえるのだろうか。
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