チャプター5

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チャプター5

      三  志乃の縁談を知ってから数日後、助之進は稽古の後に手拭いで汗を拭っていたところ、道場の掃除の手伝いに現れた志乃がすれ違いざまに「明日、子(ね)の刻(深夜十二時)に三納神社の境内に来て」と囁いた。一瞬視界に入った志乃の顔には並々ならぬ覚悟の色がうかがえたため、助之進は顔を強張らせる。  それを兄弟子に見咎められ、「いかがした、助之進」とたずねられたのに、「なんでもありません」と彼は慌てて首を横にふった。  それから上の空で道場の掃除を済ませ、退出する。  晴幸と行った湯屋、兄との夕餉共々ほとんど記憶に残らない。いったい、わざわざ待ち合わせて何を告げようというのか、そのことが気になって結局一睡もできないままにすずめの鳴き声を聞く羽目になった。  それから子の刻までがまた長かったが、過ぎてしまうとその時間が現実のものであったかもすら怪しく感じるほど現実感を欠いていた。  そうして、待ち合わせの場所に向かう。早めに足を向けたのだが、先に志乃が境内の隅で待っていた。その顔には悲愴ともいえる覚悟が浮かんでいる。  参った、ほかに言葉が見つけられず助之進は志乃を少し上目づかいに見るようにして告げた。  それに志乃は無言で小さくうなずく。 「それで」 「わたしと一緒に伊勢まで足を運んで、助之進」  問いかける言葉をさえぎって志乃が叫ぶようにして訴えた。  伊勢、と眉をひそめて聞き返すと、 「わたしと抜け参りをしてほしいの」  と彼女は声を低めて言葉をかさねる。だが、そのようすがかえって冷静になっても考えが変わらないという事実をあらわしているようで覚悟のほどを感じさせた。  抜け参りというのは、満年齢でいえば五歳から十五歳ぐらいの子どもが突如家出して伊勢へ旅立つことをいう。宝永二年にひと月に京都を通過した伊勢参詣者の数をかぞえたところ親にともなわれていない子どもが一万八五三六人もいたという記録があり一日当たり約六〇〇人が歩いていた。子どもの姿が見えないと思ったらいつの間にか出て行ってしまっていた、ということも多かったという。 『名所図会』などの道中の絵には抜け参りらしい子どもの姿が所々に描かれているから特別なことではなかった。 「したが、さようなことをすればそなたの縁談は」 「破談になってもいい、そうでなくともせめて共に過ごした思い出が欲しいの」  やはり志乃は、強引に助之進のせりふを遮る。感情が言葉を最後まで聞く耳を持たせない。  助之進は言葉を失って唸ることしかできなかった。  安易にうなずくことなどできない。  しかし、志乃の必死な言葉をたやすく撥ね退けることもできなかった。 「ねえ、お願い」  沈黙を恐れるように志乃がさらに言い募り、一歩距離をつめてくる。  その瞳は薄く涙をたたえていた。ここで否と応じれば堰を切ってあふれだすのは明白だ。それは見たくない。  なれど、と助之進は考えた。そんなことをしていいのか。師の娘を道連れにして抜け参りなど道義に反すること甚だしい。それに、  それがしに、さような挙に走る資格があるのか――。  という思いもあった。  己のような無価値な人間がそんな大事に手を染めていいのか、という考えが脳裏をよぎる。だが、 「お願い、うんといって」  ついに、志乃がこちらの手を手に取りながら涙声で懇願するに至り、 「わかった」  と思わず助之進は首を縦にふってしまった。  次の瞬間、「ほんとう」と声を高くながら志乃はまばゆい笑顔を見せる。  その表情を見て助之進の胸にも温かいものが満ちた。が、一方でとんでもない一歩を踏み出したという感触をおぼえている。  しかし、とにもかくにも承諾してしまったのだ。  志乃の勢いから察するに言を返せば懐剣で首を突くことにもなりかねない、そんな予感があって助之進はその日以後、兄の目を盗む形で出立の準備を進めていった。  予備の草履を用意し、愛宕下の家にある物で旅に使えそうな品を見つくろい、足りない品物をなるだけ安く調達し。  そうしているうちに、志乃と約束した日が近づいてきた。
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