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チャプター96
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その頃、正家は早馬を飛ばして道を駆け国許の出入り口へといたっていた。
一刻も早く、助之進たちのもとへ――。
脳裏にあるのはその思いだ。
不思議だった。敵の目を誤魔化すためというのは正直なところ言い訳で、同年代の少年や娘と旅をともにしたかったというの本音で強引についていったのがことの始まりだ。
それが今では、家臣や領民が相手でもないというのに命をかけた行動に出ている。
久蔵に助之進たちを助けるようにいいつけ、単独で国許を目指すという暴挙に出ていた。むろん、久蔵は最初首を横にふった。あくまで分家に仕える忍びなのだ、下知を聞くいわれはない。
「よいのか。ことが上手くいかなかった場合、おぬしの名を文に残した上で切腹いたすぞ」
正家の前代未聞の脅迫に屈し、仕方なく久蔵はしたがったのだ。
もう少しで、国許――正家は目印になる、道の脇の大木を認めて声に出さずにつぶやく。自分のせいで助之進たちは苦境に立たされているのだ、一刻も早く援軍を差し向けなければ。止めにしたのだ。流されるままに生きることは。
刹那、いくつもの出来事が一瞬のうちに起きた。
まず、街道脇の木陰から人影が飛び出し、銀光が走る。長巻の描いた銀弧は馬の前脚を巻き込む、とたん騎馬は体勢をくずした。転倒する馬、投げ出される正家。景色がゆっくりと動いているように彼には見える。
幸い、馬の下敷きにはならなかった。地面に落ちるときになんとか受け身をとる。
ここで体感する時間の流れが正常にもどった。そのせいで、とどめを刺さんとこちらにせまる刺客の動きが妙に速く感じる。
電光石火の早業、正家は送られてきた一撃を柄を切断して防いだ。
「慣れぬ得物などふるうものではないな」
動揺を見せず、相手は腰間に手をのばす。手原虎繁と行動をともにしていた浪人は、半身になりながら抜刀した。
虎繁と同じ新陰流か――そう推測しながら正家も中段に剣をとる。
刹那、相手が斬りつけていた。間の読み合いを許さない問答無用の一撃だ。誘いをかけると見せてからの一撃だけに非常に有効な手だった。
早――正家は剣を一閃している。交刃、甲高い悲鳴をあげて互いの大刀が止まった。
「合撃」「切り落とし」
互いに互いの技の名を口にする正家と敵。どちらも真っ向から斬りつけながら相手を制すという妙技だ。泰然自若、その精神を身につけているからこそ正家は遅れることなく応じることができた。
互いに距離を置く。そこで気づかされた。
技倆が勝ったのは敵――正家は己の衣装の胸元がかすかに裂けているのを視野にとらえたのだ。
正家が改めて視線を自分に向けたのに相手は気づき嫌みな笑みを口もとに浮かべる。
「御曹司の剣術にしては感心なものだが、どうやら勝てる見込みはなさそうだな」
正家は言い返せなかった。
先ほどの一撃――手心が加えられていた、彼はそう読んだ。
戦いを長引かせて楽しみたいのか、なぶりたいのか知らないがどちらにしろこちらを侮ってのことだ。
が、次の瞬間信じられないことが起こる。
一陣の風が両者の間を吹きぬけた、少なくも正家はそう思った。
辛うじて、浪人は反応を示し剣を一閃する。
それを突如として出現した人影は飛び越えた。すれ違い様にそのまま剣をふるう。狙い違わず、銀弧は浪人の首を巻き込んだ。闖入者の着地と同時に、驚愕の表情の首が地面に落ち、少し遅れて頭を失った体も地面に倒れた。
「貴殿は堀口家の若様であらせられるか」
それを尻目に、一瞬の攻防を制した壮年の男が正家にうやうやしい声でたずねる。
「さ、さようだ」
正家は圧倒され、考える前にうなずいていた。
「若様が中屋敷を抜け出したという話がまことであったか」
表情の変化がわずかで気づきにくいが、独語した彼はあきれているようだ。そしてふたたび正家を見すえる。
「拙者、仔細あって貴殿を陣屋までお届けいたす。ご承知いただけようか」
「助太刀いただけるのなら、ありがたい」
声をつっかえさせながら正家は問いかけに応じた。今さらになって動揺がわきあがってきたのだ。
まさか、相手が御小人目付をつとめる助之進の父であり、人身売買の噂の真相を探るうちに正家の行動を掴み迎えに来たとは知るよしもなかった。
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