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チャプター100
五
町屋に火よけ地としてもうけられた空き地に幔幕が巡らされていた。
周囲には見物人ができている。最初は「見せ物ではない」と役人が追い払っていたが、次々とあつまってくる老若男女をすべて追い返すことなど少人数でできるはずもなく途中から放置されていた。鄙の地のことだ、人々は刺激に飢えていた。
彼らが生む喧騒は相当のものだ。それが風音なら嵐の夜を連想させるだろう。
だが、鉢金を巻き、股立ちをとりといった具合に果し合いの準備をととのえた助之進の耳には微風が草叢を揺らす程度にしか聞こえないほどに遠かった。高まった集中力が周囲の現実感を後退させ、己の体だけがその場に存在するような錯覚をおぼえさせる。
日は中天にのぼっていた。そのさなかに虎繁は姿を現す。ここに至って顔を隠すのは無意味と考えたのか、立ち合いのなりをしながらも顔は隠してなかった。
審判役の武士がその間に割って入る。侍が戦を忘れて久しいためか、その顔には緊張がみなぎっていた。まるで彼自身が剣をふるうような風情だ。
それがおかしくて助之進は微笑を浮かべる。
そんな様を目の当たりにし、虎繁が「ほう」とでも声をもらしそうな顔つきになった。
「日輪のもとで顔を合わせるのは二度目になるな、小僧。熱はもうさがったのか」
特に皮肉をいう意識があってというより、それが板についている調子で彼が嫌みなせりふを吐く。同時に剣気をほとばしらせた。
突風を受けたような感触を助之進はおぼえるが猛禽が風を制するように自然に受け流す。
「こそこそと闇討ちや不意打ちでないと戦えぬかと了見していたが、わざわざ足を運んでいただき痛み入る」
同じく皮肉を返した彼を、虎繁はうれしげな顔つきで見返す。
「手間をかけさせておいて冴えぬ業前を示された日には嬲り殺しにするつもりだったが」
虎繁は一度言葉を切って目を細めた。まるで、自分の子どもの成長をよろこぶ父親だ。
その反応につかの間、助之進はとまどう。
そして、改めて実感した。この男は真に剣客なのだ――と。
性根が曲がっていようが、人倫にもとろうが、この男なりに剣に真摯に向かい合っているのだ。
あるいは、手原虎繁という男、もっとまともな環境で生まれ育てば一角の剣聖になっていたのかもしれない。だが、そうはならなかった。その現実がなんだか助之進は遣る瀬無く感じる。
「ところで、おまえは父を招待したのか」
ふいに意識に割り込んだ虎繁の言葉に、助之進は彼が目で示した方向にとっさに目線を向けた。
「父上」と唖然となりながら助之進は相手を凝視する。
人垣のなかに確かにその姿を認めたのだ。見間違えるはずがない。息子が修羅場に立っているが、その顔に張り付くのは相変わらずの無表情だ。
「ふ、骨を拾う者がおってよかったでははないか」
「父上は、それがしが負ければ骨など拾ってはくだされまい」
眉尻をさげた助之進に虎繁はいぶかしげな顔をする。
「情もなく、なんの関心もなければここに姿は見せまい」
虎繁の言葉に、助之進はハッとなって彼を見返した。いわれてみれば、道理だ。
「情などない場所で生きてきたからこそ。余計に、そういうものがおれには見える」
彼は口もとを皮肉にゆがめる。
「だからといって手心を加えると思うなよ」
「むろんだ」
虎繁の言葉に、助之進は声に力を込めて応じた。
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