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チャプター11
「そして、俺も厚生労働省には恨みがある」
公彦は自分が虐待を受けていた事実を語った。かつて彼が通っていた幼稚園の年長ではひらがなを教えていたのだが、当時は外を走り回るのが好きだった彼は頑としてひらがなの学習を拒んだ。それを短大を卒業したての指導力に乏しい幼稚園教諭が短慮を起こして母親に密告した。結果、一文字書けないごとに母親に引っ叩かれ、一文字書けないごとに父親に殴られるという一週間を送るハメになったエピソードを例に挙げた。
「暴力と罵声は日常茶飯事だった。その上、進路の話になったら」
と、息子に「金がもったいない」と言い放った事実を語る。
一口に児童虐待というが、実は死亡するような場合でなければ、身体的ダメージより心理的ダメージのほうがはるかに深刻で後々まで影響を残す。しかも、心理的ダメージは治療が困難だ。“児童”虐待といっても虐待は児童である間だけでなく大人になっても後遺症を残し一生にわたって被害者を蝕む。よく、「過ぎたことなのだから」や「前を見て」などと安易な慰めを口にする者が世の中には溢れているが、当人は常人では耐えられないほどの苦しみのなかでやっと自分を保っているのだ、そこに無責任な言葉を投げかけられることがどれだけ被害者を傷つけるか。
そんな連中は拷問でも受けて、俺たちの苦しみを少しでも理解すればいい、と公彦は思う。
その上、虐待を受けた子どもは臨床的、精神医学的見地からすればかなりの確率で治療が必要となる。しかし、年に数万件寄せられる児童虐待の相談のうち、いったいどれだけの被虐待児がケアを受けられたのか疑わしいものだ。
虐待を受けた者は自分の周囲をすべて敵と考え、おのれを守るために攻撃をくり返す。さらに、将来への希望を失い、一般的な将来像が描けなくなる。
もし、数万人の人間が国内で自暴自棄になって暴れ出したとしても、文句をいえるロスジェネ世代以前の大人はほとんどいないはずだ。連中は問題を放置してきた――。
そして、年に百人前後の虐待死を出す。狂っているとしか思えなかった。
「クソみたいな親だな」
っと、悪い、と活志が正直な感想をもらした上で謝罪した。
「いや、いい。俺ももう、あいつらに情は欠片も抱いちゃいない」
それに対し公彦は苦笑いを向ける。
「そんな訳で、俺たちはこの国に復讐がしたいのさ。今でこそ虐待防止法があるが、それ以前に虐待を受けた人間に対し厚生労働省が慰謝料を払うなんて話はみじんも聞こえてこない」
「そして虐待で週にひとりの子どもが死んでいる。法律が成立しようが、この国はほとんど変わっていない、変わる気もない」
「さらにはワーキングプアにブラック企業、官僚は事なかれ主義で面倒な問題には目を向けない。いや、そもそも目に入ってない。連中の視界に入るのは、事業を計画してどれだけそこから金をくすね取るかだ」
弾、活志と向後に言葉を重ねる。積年の恨みのこもった言葉は雄叫びよりも重くひびく。
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