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電話に出ると、
「視聴覚室で女子といいことしてるってほんとか」
というおどけた声が鼓膜を叩いた。
「なんで、そんな話になってるんだ」
「お前のクラスの奴が視聴覚室に誰かと入っていくのを見たって聞いたからな。学校で人目を忍んですることなんて一つしかないだろ」
「なんだその、AVみたいな設定は。妙な背徳感で興奮する変態みたいに人をいうな」
「いやいや学校で“する”のは燃えるぞ」
電話の相手の発言に公彦は思わず黙った。通話相手、友人の弾(はずむ)の性格上、必ずしも冗談とは限らないからだ。しかも相手が生徒とも限らない、と考えかけて公彦はかぶりをふった。それ以上想像したくなかった、疲れる。
「まあ、とにかく視聴覚室の前に来てるから鍵を開けろよ。真実を確かめてやる」
「だったら、最初からそういえよ」
公彦はため息をついて通話を切り、無造作に扉のほうに歩いて行き施錠を解いた。あれだけ痛めつけたのだ、デブが愚かにも助けを求めることはないと計算しての行動だ。よっ、と手を上げながら弾が公彦の脇から室内を覗き込む。その視線が例のデブを捉える。転瞬、弾は落胆を露わにした。
「なんだ、別の“お楽しみ中”だったのか」
「別に楽しんだわけじゃない、あいつが『ちょっと顔がいいからって調子に乗るな』って一方的に喧嘩を売ってきたんだ」
「はは、イケメンは辛いな」
弾は笑いながら、公彦をやんわりと押しのけて視聴覚室に足を踏み入れ、後ろ手に戸を閉めた。人のことをイケメンと評した弾だが、そういう本人も狐っぽい顔は整っている感はあり少なくとも彼を不細工だと表現する人間はいないはずだ。それに、
「イケメンなんてもんじゃないだろ、俺の顔のレベルは」
公彦自身、自覚があった。精々が中の上といったところだろう。それで喧嘩を売られては損ではないか。目立ったところでいえば生まれながらに純血の日本人だが茶色い髪だが、これも学校を出れば紛れてしまうちっぽけな個性に過ぎない。
「まあ、そのバカが告白した女子が、本気なのか言い訳にしたいからかお前の名前を出したらしいからなあ」
「んな情報、どこから仕入れてきた」
当事者はほぼ確実に隠しているであろう事実をあっけらかんと明かす弾に、公彦は感心とあきれの入り混じった感情を抱く。さすがは“――の家”の息子だ。本人が聞いたら不機嫌になるため、公彦は心のうちでつぶやくのにとどめた。
「それは人目を忍んで」「黙れ、若手AV男優。エロが伝染(うつ)る、近づくな」
先ほどの下ネタを再び持ち出す弾に公彦は厳しいツッコミを入れた。
「なんだよ、あれは男の夢の職業だろ」「場合によっては犬とさせられるらしいぞ」
公彦の返した言葉に、さすがに弾も嫌そうな顔をする。一方的にやり返せて公彦は口角をあげた。こんな表情を向ける相手は世の中広しといえども今や弾だけだ。
「しょうがない、今度の進路希望にAV男優って書くのは止めるか」
「お前、そんなこと書くつもりだったのか」
こちらのツッコミに弾は嬉しそうな笑みを浮かべた。公彦は理解している、弾が進路希望調査票にバカなことを書こうとしているのは、そもそも彼に選択肢など与えられていないと自覚しているからだ。“家庭の事情”でまともな人生を歩める可能性など皆無なのだ。
同時に胸が締め付けられる思いもする。原因は、弾の情報の“源泉”にあった。実は父が新興宗教の教祖であり、校内の弾の情報源は信者の息子娘だ。
「ところでさ、お前のクラスの奴がラノベの新人賞受賞したって」
「ほんと、耳が早いなおまえ」
今日の朝、明らかになったクラスメートの情報をすでに掴んでいる弾に改めて感心した。
「小説家になるやつってほんとにいるんだな」
「いなけりゃ誰が本屋に並んでる小説を書いてるんだよ」
「理屈ではそうだけども、テレビの向こうみたいもんで小説家ってなんか現実味が薄いっていうか」
「いってることはわからんでもない」
弾の言葉に公彦は顎を引いた。
教師とともに教壇にのぼり、照れたような表情を浮かべるクラスメートが、新人賞を受賞したと教師が告げた瞬間から別の生き物に見えたのが正直なところだ。いじめられているのが原因で、一般社会から距離を置いて生きられるように作家を目指したという理由を、教師は知らないであろうことは皮肉に思えて仕方ないが。
「という訳で公彦、この国に革命を起こすぞ」
弾の唐突な言動には慣れているつもりだったが、さすがにこれにはついていけず何をいわれたのか理解するのに一拍の間を要した。
「革命って、フランスとか清教徒とかの」
「そう、その革命だ」「頑張れ、俺も陰ながら応援してるから」
力強くうなずく弾に公彦は棒読み口調でこたえる。
「おい、おれは本気だぞ」「だったら、早めに心療内科に行け」
弾の反論に打てば響く調子で公彦は応じた。
「田舎の平凡な高校生が小説家になれるんだ、だったら革命だって起こせたって不思議はないだろ」「知り合いが公務員のなったのを例に出して、自分が総理大臣になれる可能性があるって主張するくらい論理の飛躍があるぞお前の話には」
冷めた口調で応じながらも、公彦の心の奥底で何か蠢動するものがあった春の到来を暗い土の中でひたすら待ち望む幼虫のごとき存在を感じた。何かに期待するなどという感情はとっくに死に絶えたいたはずだとうのに、それでもわずかに生き延びていたようだ。
「黒船来航で開国した癖に憲法九条を守ってれば平和でいられるなんていう、頭の中に広大なお花畑を持ってる連中が人口の大半を占める国だぞ、何をしたって元の木阿弥だろ」
「でも、太平洋戦争に負けたことで、日本はそれ以前とは真逆の国になったんだろ。だったら、大きな波を起こせば変化を呼ぶことだって不可能じゃないだろ」
「そんなもん、もう一回核でも落とすぐらいしか手はないだろ」
そこまで言葉を交わしたところで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。現実から遊離しかけていた周囲の空気が確かに存在を取りもどす。それでこのやり取りは強制的に中断となった。日常に引き戻されて何となく気が抜けてしまったのだ。それでも、消し損ねた煙草の火のように公彦の胸のうちに赤い光が明滅する。
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