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第一章(2)
数ヶ月ぶりの公爵領の見馴れた風景――遠くにかすんだロワイノ山脈、子どもたちが遊び場にするノックの森、ぐねぐねと蛇のように曲がりくねりながら大河に合流するジルファ川――に兵士たちが歓喜の声を上げる。
ある程度の傷病者は出したものの、誰一人欠けることなく帰還できた。
クラウスは馬腹を蹴り、隊列を組む兵士たちの先頭を行く。
すでに太陽はロワイノ山脈の向こうに沈みつつあり、街の温かな灯が遠くからでもよく見えた。
一際くっきりと闇の中に浮かんでいるのは、公爵家の居城、エレガノ城。
おそらくクラウスたちの帰還を待ちわびているのだろう、街道沿いには篝火がおかれて、決して迷わぬよう配慮がされていた。
「公爵様、出征も一区切りですね」
公爵家の私兵である銀翼騎士団の副団長、アーノルド伯爵が馬を寄せて語りかけてくる。
「そうだな」
「……しかし本当によろしいのですか?」
アーノルドが様子を窺うような視線を向けてくる。
何がだ?とクラウスは視線だけで問いかける。
「皇帝陛下のことでございます」
驚くべきことに、クラウスはまっすぐ都へ報告するようにと告げた皇帝からの使者に対し、「無理だ」と言ってのけたのだ。
「都へ行ってしまえば、領地へ帰るのがさらに伸びてしまうだろう。どうせ型通りの言葉を交わすだけ。それに今度の守勢に関する報告書は使者に託した。いちいち俺が向かう必要もない」
「そ、そうですよね」
アーノルドはやや引き攣った笑みを浮かべる。帝国広しといえども、こうまではっきりと断言できてしまうのはクラウスくらいなものだ。
「公爵様。これからはしばらくは出征がないので、是非ご夫婦の時間をお取り下さい!」
「……そうだな」
「いやあ、出征前の見送りに夫人がいらっしゃっていましたが、すっかり大人の女性になられて……子どもの時分もあどけなく可愛かったですが、成長されて大人の女性としての気品と言いますか、色香と言いますか……」
ギロッとにらまれ、アーノルドは慌てた。
「申し訳ありません。口がすべりました……!」
副官は口早に言うと、後ろに下がっていった。
――ナタリア……。
手綱をにぎる手に力がこもった。
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